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付き合ってるの?なんて野暮なこと聞かない。一緒に食事したり談話室で雑談したり、非番が被れば二人で街に出たりもする。けれど僕らは恋人ではないから、手も繋がないし抱き締めたりもしない、キスもしない。友達以上恋人未満なんて焦れったいだけだと思っていたけど、案外この微妙な関係も心地いいものだと気付いてしまった。

「ヒロイン、午後に下町のカフェにでも行きませんか?あそこのカプチーノ飲みたいって言ってましたよね」
「あ、うんっいいの?そんなついてきてもらっちゃって」
「はは、何言ってるんですか、僕とあなたの仲でしょう?…ただしヒロインの奢りで」
「へぇえ!?普通そこは奢ってくれるのが紳士じゃないの!?」
「生憎人様のカプチーノ奢ってられる程金銭的な余裕がないんです」
「…あ。その原因と思われる方が」
「え?」
「よう馬鹿弟子」

背後からぬうっと影が落ちたかと思ったら、高そうなお酒と煙草の香りと、色気たっぷりの低ーいテノールボイス。廊下のど真ん中で話してたのがいけなかったのだろうが、トラウマの塊と言っていいそれらが心構えもなしに現れて、僕は心臓が凍り付いたかと思った。

「…し、ししょう…お帰りはもっと先かと…」
「ああ、久々に弟子の顔が見たくなってな」
「(嘘だ…)」
「ん?ほお、見慣れん顔だな」

クロス師匠は僕の横をするっと通りすぎ、ヒロインの元へと手を伸ばした。あっと思った瞬間には師匠の大きな手が彼女の頬に触れていて、その瞬間炎のような憤りが、じりりと胸の奥底で燻った。ヒロインはヒロインで焦ったように笑いながらも、相手が元帥じゃ迂闊に払い除けることも出来ないようで、されるがままだ。それが余計に…

「あ、は、はじめまして。ヒロインです」
「…ヒロイン、か。東洋の生まれだな。黒い瞳がなかなか綺麗だ」

じっと師匠がヒロインの目を覗き込むから、必然的に見詰め合うようになる。皮肉なことに、あんな師匠でも顔は良いのだ。ヒロインの頬が次第に赤らんでいく。その様に腹の底からむかむかして、僕は耐えきれずヒロインの腕を掴むと、強く引き寄せて師匠の手を払った。

「…いつまでやってるんです」
「お前の女なのか?アレン」
「師匠に言う筋合いはありませんよ」
「生意気な口叩くようになったじゃねぇかこの馬鹿弟子が。なあヒロイン、こんなガキやめといて俺にしないか?可愛がってやるぞ」
「師匠っ!ヒロイン、出掛ける準備してきて下さい。正門の前で待ってますから」
「あ、えっと、うん解った。…失礼します元帥」

ぺこりと軽く会釈すると、ヒロインはくるっと僕らに背を向けて自室へと急いだ。その背中を無言で見送って、見えなくなってから師匠に向き直る。

「…ヒロインは恋人なんかじゃないですよ」
「ほお?それにしてはやけに砕けているように見えたが?」
「…そうですね。『友達』、も少し違うと思います」
「…お前、あの女に惚れてんだろ」

いきなり思ってもみなかったことを言われて、僕は目を丸くする。

「どうしてですか?」
「『どうして』だ?それはお前が一番解っているだろう」
「は?」
「何故さっき、ムキになって俺からヒロインを遠ざけた?」
「………」

そんなの、師匠の魔の手から彼女を守るためだ。そんなこと今までにもよくやってきた、女ったらしの師匠が目をつけた女性皆が皆ふらふらと誘惑されてしまっていたら、デート代やらなんやらで借金が増えて痛い目を見るのは「僕」なんだから。しかし今僕がヒロインを庇ったのは、「ヒロイン」に触れて欲しくないと強く思ったのが一番の理由で。

「…解りませんよ。そんなこと…」
「だからお前は馬鹿弟子なんだアレン。いつまで生温いごっこ遊びを続ける気だ?」
「ごっこ遊び…?」
「恋人ごっこなんぞ止めて、好きならさっさとモノにしろ。もたもたしてやがったら俺が先に盗っちまうからな」

不吉な言葉を残して、師匠はそのフリルのついた高級そうな私物のコートを翻した。こつこつと小さくなっていく足音と師の背。耳に残る彼の助言。

「恋人ごっこ…か」

近付きすぎないし遠すぎない、微妙な距離が好きなんだと思ってた。しかしそれはただの「ごっこ遊び」に過ぎないのか。
ならば、もう一歩。彼女に踏み出してみるのも、悪くはないかもしれない。


恋人ごっこ、いち抜けた。


20080717
企画「sweet love」様へ愛を込めて