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※シャンクス先生パロディ


カツ、と白いチョークが黒板を叩く音と、学校特有のチャイムが重なった。おお、と驚いたように呟きながら掛け時計を見上げる赤髪の男は、指に付着した粉をふっと息で吹き飛ばしながら黒板に背を向ける。既にシャープペンを手放し、唸りながら固まった体をぐんと伸ばす男子生徒の、高く上げられた右拳が真っ先に視界に入った。

「じゃ、今日はここまで。配ったプリントなくすなよ、予備はねぇからな!」
「シャンクス、おれのもう読めねぇんだけどー!」

涎で一部文字が滲んだ藁半紙をひらひらとさせながら、そんなふざけたことを叫ぶ黒髪のいつも生意気な男子生徒に、校内一の人気を誇る世界史教師は愉快そうに笑った。

「ああ、そりゃ困ったなあ、プリントにまで太平洋作るなよお前。オレの授業で居眠りかますからそうなるんだ」
「飯の後は眠くなるんだ、どうしようもねえ!」
「じゃ、きっついメントールでも買っといてやるからよ。プリントはテメーでどうにかしろ」
「なっ、いやだ、あれ辛…」
「おーっと授業だ、次は5組だなー」

ルフィの口答えを突っぱね、シャンクスはカラカラと笑いながら教室を出ていった。唇を尖らせて頭を掻くルフィの後ろの方で途端に女生徒たちが輪を作り、きゃあきゃあと黄色い声で彼の噂話を始める。

「今日もシャンクス先生かっこよかったー!」
「うんうん、授業は解りやすいし!」
「先生なのに偉ぶらないよね」
「あの爽やかさは、クラスの男子にはないよね!」
「…でもよォ」

盛り上がる女子の輪に、割り込んだ一人の男子生徒が眉を潜める。

「シャンクスせんせ、結婚してんだろ?」
「ええ知ってる、それが何?」
「……何って」
「奥さんがいようがいまいが関係ないわ、シャンクス先生が素敵なのは事実だもん!」
「でもなあ。学校じゃ人気者のシャンクス先生も、家に帰れば嫁さんにあんなことやこんなこと…」
「いやー! そんなわけない! 先生はそんなことしない! 謝れこの馬鹿野郎がー!!」
「ぎゃあああ首絞まるっ締まってるッ」
「締めてんのよー!!」

生徒たちの賑やかな声に次の授業の本鈴が重なる。冴えない中年の英語教師がガラガラと扉を開けて入ってきても、彼等の声が止むことはなかった。








「ただいまー…」

ガチャリ、扉を開いて自宅のにおいを肺いっぱいに吸い込む。けれど、いつも「おかえりなさい」と笑いながら駆け寄ってくる姿はなかった。オレンジの明かりが照らしたフローリングの廊下の先から、彼女の代わりに旨そうな匂いと湯気が漂ってくる。

「あー…、ビーフシチュー」

思わずニヤリと綻ぶ口元をそのままに、革靴を脱ぎ落として冷たい廊下を進んだ。音を立てないようにリビングへのドアをそっと開けると、見えたのは、コンロの前に立って白い煙の立つ真新しい鍋を掻き回しながら、小さな皿に中身を取って味をみている愛妻の背中。気配を消して近付いて、腰に右腕を絡めた途端びくついた肩に顎を乗せた。

「おお、旨そう」
「しゃッ…ン、クス? おかえりなさ…あれ? いつの間に?」
「たった今の間にさ」
「あ、ごめんなさい、気が付かなくて…」
「謝るこたねェよ。今日は飯が先?」
「お風呂に行くなら、あがった頃には丁度シチューも美味しく煮込まれてると思うけど」
「そうか、じゃあ先に……ヒロインも一緒に入ろうか?」
「なっ、火の元から離れられません!」
「ハハッ、冗談だって、そんな可愛い顔するなよ」

赤面したヒロインが振り返ったのを見計らってその唇にちゅっと軽く口づけると、オレは素直に浴室へひとりで向かった。もう、と上擦った声のため息を背中で聞き、クスクスと密かに笑いながら。








「明日はお休み?」
「ああ。ミーティングも残した書類もねぇから、明日はずっと休み」

カレンダーの土曜日の枠を指でなぞりながら、そう、とヒロインは心なしか嬉しそうに呟いた。平日は夕方過ぎまで学校にいる上、休日も採点や会議に引っ張られることもしょっちゅうで、ヒロインに寂しい思いをさせているという自覚はある。

「ヒロイン」

クイーンサイズのベッドに無造作に横になると、温かい匂いか、ふわりと体を包んで、昼のうちにヒロインが洗っておいてくれたのだろうと悟る。呼ばれた通りにこちらへ近付いたヒロインの手に指を絡めて、引き寄せると、ぽすんとヒロインの体も横でシーツに沈んだ。同じ目線で覗き込んだ瞳は、きらきらうるうるとオレを見詰めてくる。そっと頬を撫でると、心地良さそうに瞼を伏せた。

「……明日はふたりっきりで、のんびりしような」
「…へへ。うん」

幸せそうにはにかむヒロインは、さほど年が離れているわけでもないのに、自分とはさっぱり違い小さく細く、可愛らしくて、ずっと抱きしめて守ってやりたくなる。近い未来につくる子供なら、彼女によく似た優しい女の子と、毎日怪我して帰ってくるようなわんぱくな男の子がいいなどと考える程。

「…なぁ、ヒロイン」
「なに、シャンクス?」
「そろそろ、子供、…欲しくないか?」

ぱち、と目が開いて、ヒロインはオレを見上げた。大きな瞳に映ったオレの顔は、自分でも驚くほど優しげである。数秒目を合わせていると、彼女は穏やかに笑って言った。そうだね。欲しいね。

「男の子がいいな」
「どうして?」
「だって、あなたがパパよ。絶対に丈夫でかっこよくなるわ」

オレはクスリと小さく笑うと、彼女の肩を優しく押さえて起き上がり、ヒロインの細い腰を跨いだ。見下ろす。

「女の子だって将来有望だろうけどなぁ」
「女の子だったらシャンクス、可愛くて仕方なくなっちゃうもの。私なんかほっとかれちゃうかも」
「それはないね。オレほどの愛妻家なんて、そうそういないだろ?」
「…ふうん、?」

耳に擦り寄るように口づけると、ヒロインの声が跳ねた。熱い首筋を舌で辿り、吐き出される悩ましい吐息を聞く。こんな美人を嫁にもらって、放っておく男などいるものか。

「…嘘吐いたら、泣くからね」
「吐かねぇが、お前は泣き顔も可愛いんだよな」
「…っ、ばか、 ぅ」

ヒロインの寝巻に手を掛けると、彼女は何かに耐えるような顔でオレの手を制止した。

「シャン……、疲れて、」
「明日休みなんだから関係ねぇよ。……ああじゃあ、疲れてるオレをお前が癒してくれ?」
「ちょ…ぁ、シャンクス、っふあ、待、」
「安心しろ、朝飯ならオレが作ってやるから」

顎をついと掬い上げて欲情した瞳を見せ付けてやると、ヒロインの頬が桜色に紅潮した。




漸く眠りについたのは、それから時計の針が二度も12を過ぎた頃のこと。


シャンクス先生の家庭事情/20100314