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例えば、そう、賑やかな人混みの中心にいる君を見付けて、気付かれないようにくるりと指先で宙に丸を書いて囲ってみる。君の体温が手から離れていった一秒後に、その熱が堪らなく切なくなって、冷めてしまわないようにぎゅっと握り込み、君の気配を閉じ込める。想いはちくちくと針の先でつつかれるような、痛いものばかりだ。私の心は君と出逢った頃から絆創膏だらけなの。
じっと見詰めて、見詰めて、やがてちらりと彼が振り向いた瞬間にそっぽを向く。こうしたら君は悪戯っぽい笑みを唇に乗せて、私の所に来てくれる。

「どうしたお嬢ちゃん、あまりの男前っぷりに見惚れてたか?」
「どこかしら、その男前。是非拝見したいわ」
「は、野暮だねェ」

むにむにと頬を摘まれて、きゅうとまた心臓が軋む。私の顔が熱くなるのなんて、その高い体温が私に流れ込んでいるだけだ、そうに決まってる。恋なんかしてないと思いたかった。恋愛感情なんて、彼には受け入れてもらえない。けれどこの持て余すばかりの「かなしさ」を、恋と説明する以外に、私には証明できそうにないのも確かだ。

出来ることなら、背中に手を伸ばしてきつくきつく抱きしめて、そして驚いて私の名を口にする君に叫ぶの、好き好き好きもしかしたら愛してる。けれどこの手は一向に君の広い背中には届かなくて、吐き出せない気持ちは飲み下すしかない。こんな乱暴な感情なんて、体の中で朝ごはんと一緒に消化されて全部消えてしまえばいいのに、飲み込む度に膨れ上がるばかりで、きっと大きくなり過ぎたそれはいずれ私の中でパンと弾ける。その先のことはもう解らない。

君はいつも、とても遠い。私がいくら走っても追い付けないくらい遠い。その距離を疎ましいと思うなんて、恋心というのは大層傲慢な奴である。こんなに苦しいならいっそのこと、君の前からいなくなってしまえたら、いいのにね。

「…、どしたの、お前」

あんまり近くで声がしたから驚いて、涙が止まる前に顔を上げてしまった。困惑した顔が私を覗き込んで、だらりと俯いていた私の右手を、彼の温かい手がそっと握った。頬を伝う涙を拭う人差し指や、慰めるように私の手を何度も握り直す左手に、愛を求められたなら、どんなに救われるかしら。

「…なんで泣いてんだ、」

ごめん、心から少し血が出たみたい。でも心配しないで、手当てなら慣れてるから。前から全部自分でやっているんだもの。

「誰が泣かせたんだよ」

涙が勝手に出てきただけよ、きっと私の容量は少ないから、溜め込みすぎた感情に押し出されてしまったんだわ。そうね、質問に答えるなら、「私自身」が無難かしら。

「…ックソ、」

わななく唇が柔らかな弾力に押し潰された。乾燥してささくれ立った彼の唇の皮が私の下唇を引っ掻いていく。それは意外にもあっさりとしたものだった。涙の膜のせいで不透明な私の眼球では、彼の表情が解らなかった。
君を想って流すこの涙にはきっと、愛、みたいなものも溶け込んでいるのかもしれない。彼の舌が私の濡れた目尻に触れて、逞しい両腕に抱き寄せられた頃になって、漸く忘れていた声の出し方と、伝えるべき言葉を思い出す。これ以上我慢すれば、心臓が切なさに圧迫されて止まってしまいそう。そんな滑稽なことをやけに真剣に考えながら、咳込みそうになるのを必死に堪えて、私は深く息を吸った。ねえ、聞いて欲しいことがあるの。


寂しかったのなら、それはもう愛です/20100331
企画「溺心」様に愛を込めて。