log | ナノ

「…つまみ食い禁止!!」

べし! と手の甲を叩かれて、喉から声が出る代わりに心臓がぐるりとひっくり返る。お玉を片手にふうと息を吐くサンジをよそに、自分の敗北を感じてぺたりと座りこんだ。あと数センチで届いた出来たてのローストビーフは、私をあざ笑うかのように皿の上でおとなしく寝たままだ。絶対に気付かれないと思ったのに、ああなんてこと、気配を消し切れていなかったのだ!

「またかヒロイン、これで何回目だ?」
「う…な、何回目かな…15くらい?」
「23だ!」

ひりつく手をさすっているところに頬っぺたをムニッと抓まれて、いよいよ涙で瞳が滲む。

「いひゃいいひゃいっ! う〜…っ!」

ようやく放してもらえても、引っ張られた右頬の赤みは午前一杯引かないだろう。恨みがましく睨みつけたら、やれやれと肩を竦め、火に掛けたままだった鍋の具合を確かめながらサンジは言う。

「手加減しろって顔だなァ。つまみ食いの常習犯にそんな情けかけないから、オレは」
「レディのほっぺ抓るなんて紳士がすることじゃないわ!」
「テーブルに並べられる前の料理をつまみ食うなんてレディがすることじゃないでしょ」

痛いところを突かれてぐっと言葉に詰まる。うまく言い負かしたとサンジの勝ち誇った笑みを横目に確認した。つまみ食いの成功率は今までに2回。後はすべて料理を作った主の彼に阻止され、その度にお仕置きを受けている。

「ったく、ちっと前にはクソゴムが忍びこんできたぜ。何で朝食まで待てねぇのかね」
「だって、キッチンからすっごく美味しそうな匂いするんだもの!お預けなんて生殺しよ!」

ムーっとむくれて抗議すると、サンジは無言でコンロの火をガチンと止めた。自分勝手な言い分にいい加減キレたかと一瞬肩を強張らせる。カツ、カツ、と近づいてくる長い足は、私の正面に来ると膝を折った。

「お預けの生殺し…ねェ」

赤くなった右の頬に手を当てられて、また抓られるのかと体が固くなり目を瞑る。しかし予想した痛みは訪れず、それどころか、労わるようによしよしと撫でられ、驚いて恐る恐る瞼を開く。

「……ふぇ?」
「毎日毎日こんな朝早くからつまみ食いに来やがって。ヒロインホントに飯が目当てなのか?」
「!!」

ぎくりと目を見開く。なぜそんなことを聞くのか。あたしは彼の料理を拝借しに毎朝キッチンに忍び込んでいるんだ。なぜ、そんなことを、

「つまみ食いは、オレに会うための口実、って考えちまうのは自惚れか?」
「…………は」

かあああああ。一気に顔が熱くなっていくのを意識して、自分でもひどく驚く。正直すぎる自分が憎い。こんなの、はいそうですと肯定しているようなもんだ。あれ、あたしはサンジに会いに来ていたのか?つまみ食いが目的ではなかったのか!?自分で自分が分からなくなるけれど、顔に上った熱が、私にも分からなかった本心を明かしているようだった。

「あ…たし…、は」

どくん、どくん、心臓が脈を強く打ち始める。彼と見つめあったときや、彼に笑いかけられたときと同じだ。サンジは嬉しそうな笑みを口元に浮かべると、私の頬を撫でていた手を放し、今度は両手で私を抱き締めた。

「ひゃ!?」
「オレはずっとこうしたかったよ。惚れた女の子が毎朝オレのとこに来るのに我慢なんて生殺しだった。お前、自覚、しねぇんだもんよ」

ぎゅ、とサンジの腕に力が籠ったのを感じて、どくりとまた一際心臓が跳ねた。頭がくらくらしてくる。痛くもないのに、目が熱い。

「サンジ、」
「ン?」
「すき」

耳元で感じていた彼の呼吸が一秒止まる。さっき気付いたばかりの、しかし紛れもない私の本音だ。サンジの料理がすきだからつまみ食いに来ていたのに、どうやら私はサンジ自身まですきだったみたいだ。

「おせぇ」

サンジは私を離さないまま、ハハ、と笑いながらそう言った。私もおずおずと手を彼の背に回したら、触れ合った胸元から感じるサンジの鼓動が早くなったことにやけに幸せな気分を味わう。いつの間に私はこんなに彼に心奪われていたのだろうか。いつから彼は、私を女として見ていてくれたのだろうか。
しばしそうやって時を忘れていると、ふとサンジは顔をあげ、壁の掛け時計に視線をやった。

「…そろそろ飯の時間か。またルフィが来るかもしれねぇ」

名残惜しそうに腕を離し、サンジは座り込んだままの私が立つのに手を貸す。放れた熱に私自身物悲しさを覚えながらも、なんだか気恥かしい気分でいた。怒られて頬や手にお仕置きを受けた直後に、優しい手つきで抱きしめられてしまったのだ。

「…分かってる?」

ぼうっと突っ立っていた私の頭を、ポンポンと二、三度叩かれる。何を、と言いたくて首を傾げると、やっぱりかとサンジは小さく笑った。

「オレとお前はもう『恋人同士』ってコトさ」

ニィ、と悪戯っぽく笑うサンジの声が甘く響く。なんて心臓に悪い人だ。ドキドキすることばっかり囁いてくる。さて、と皿に盛った料理を器用に手に乗せてキッチンを出て行こうとするサンジの背に手を伸ばす、待って、まだ、

「ああ、そうだ」

私が声をかける前に。私がその背に触れる前に。愛しい人は振り向き言った。

「すきだぜ、ヒロイン」

召しませ/20091226