log | ナノ

※現代、夫婦設定


「ごちそーさん」

ぱちんと箸を茶碗の上で揃えると、ゾロは行儀よく手を合わせた。相変わらずヒロインの料理はオレの舌に合う。うまかったと告げると、ヒロインはいつものように嬉しそうに笑って椅子を引いた。

「お風呂沸いてるよ、ゾロ。私は先に頂いたのでどうぞ?」
「ああ…そうさせてもらう」

食器を片づけながら、ヒロインはハイとバスタオルをオレに預けた。浴室に向かいながら、せっかくだから二人で入りたかった、なんて心の中でごちる。まあ仕方ない、今日は帰りがいつもより少し遅かったし、飯を一緒に食えただけでも良しとすべきだ。
脱衣所でシャツを脱いでカゴに放り入れると、オレはスモークガラスのドアを開いてバスルームへ上がった。




どきどきどき。ベッドシーツにくるまりながら、私は早鐘のように鳴る自分の心臓をどうにか治めようと深呼吸を繰り返していた。クイーンサイズのベッドは、ふたりで寝るためにと新婚初日に新調したもので、ひとりで寝転がるととても広く感じる。ゾロ。ゾロ。焦がれるあまりどくどくと早かった鼓動の中で胸がぎゅっと締めつけられて、私はそっと目を閉じた。

『ベッド温めて待ってるわ』

まさに今日の昼、洗濯を干し終わってひと段落していた時に、たまたま目にした昼ドラマに衝撃を受けたのは記憶に大変新しい。唇に紅をたっぷりと乗せた色っぽい女性が、艶めかしい視線で夫と思わしき男性を見つめながらそう囁く。彼は甘い表情を見せ、彼女の唇に情熱的なキスを送っていた。画面に見入っていたその直後にインターホンが鳴り響き、いけないものを観ていた気がして私は慌ててテレビの電源を落としたのだけれど、「ベッドを温める」という行為イコール「旦那さまにとって嬉しいこと」なんだと私は勝手に解釈してしまった。

そして、現在に至る。

ベッドを温めるって、やっぱりこういうことだよね。私はゾロが浴室へ入ったのを確認すると、食器を大急ぎで湯につけ、寝巻に着替えてベッドに転がった。寒い外からくたくたで帰ってきたゾロがぬくぬくと安眠できるように、ベッドを温めておくのも妻の仕事なのだわ。戻ってきたゾロはどんな顔をするのだろう、あのドラマと同じように、私にキスをくれるだろうか。私はぎゅっとシーツを握りしめて、熱い息をひとつ吐いた。

ゾロ、 はやく  おいで。




「上がったぞー……ヒロイン?」

首にタオルを掛けてリビングに戻ると、やけに静かだとは思っていたが、案の定彼女はいなかった。テレビもついていなければ照明もランプがひとつ灯っているだけで薄暗い。いつもならソファの隅っこに座っていて、「水飲む?」なんて聞きながらコップに水を汲んでくれるのに。首を傾げながら自分で台所へ行って、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターのボトルに口をつけた。500ミリリットルの容器に半分ほど残っていた水をすべて飲み干すと、もう寝てしまったのだろうか、と寝室へぺたぺた移動してみた。

「ヒロイン? 寝―――」

…あまりに彼女を恋い焦がれた自分の見せた、都合のいい幻かとさえ思った。覗き込んだ寝室はこれまた暗く、ぼんやりとしたオレンジのランプだけが唯一の光。それに照らし出されて、広いベッドの上で布団を被り、ちょこんと座りこんだヒロインが心なしか顔を赤くして、まるで待っていたとばかりにこちらを見ていたんだから。




「…ゾロ」

裸の上半身にタオルを掛け、下はズボンを履いて、そんなのいつものスタイルなのに、これでもかとばかりどきどきした。驚いた顔をしたゾロの顔がみるみる赤くなり、ぱし、と自分の口元を片手で押さえる。はやく、と訴えるように自分の被っていた布団を両手でぱっと広げたら、ゾロは我に返ったようにはっとして、いつもより強く私を抱きしめてくれた。

「ヒロイン…」

ゾロがどきどきしてること、くっついた胸から伝わってきた。生乾きの髪から滴る雫がひやりと冷たい、私を呼ぶ低い声が吐息を孕んで熱い。耳に唇を押しあてられて、びくり、全身が跳ねた。

「ヒロインから誘ってくるなんて、嬉しいじゃねぇか」

……ん?

「ぞっ…ゾロ…?」

前開きシャツのボタンをぷちぷちと外されていくことに動揺して、私は慌てて胸元を手で押さえた。それを照れ隠しと取ったらしいゾロは、ニッと猟奇的に笑って私の唇を深い口付けで塞ぐ。あれ、あれ、なんかおかしい?確かにゾロは喜んでくれているみたいだけど、私が想像していたのと少し―――…

「あったけ。ヒロイン」

深く考える余裕も、理性も、ゾロとのキスですべて溶け落ちてしまった。ゾロとあったかいベッドで抱きしめ合って寝れたらと思ったけど、それだけでは終わらないらしい。白い海に沈んだ私は、上機嫌に私を組み敷く愛しい夫をじっと見上げた。

…それでもいいか。彼が笑ってくれるなら。


奥様の誤算/20091231