log | ナノ

「ヒロイン、ヒロイン! 起きろーっ!」
「うー…? あ…? んー、あとごふんー…」
「あっコラ! ヒロイン!」

被った布団をばさりと剥がれ、ひゅうっと入り込んだ朝の冷たい風に思わず身を震わせる。うるさいわよルフィ、と脅迫めいた掠れ声がナミのベッドから洩れたのが聞こえて、なんだまだ皆起きてないじゃないかと再び夢の中へ潜り込もうとする。

「っおい、ヒロインッ!」
「ひっ!?」

べたり、と頬をひどく冷たい手で包まれて、私は結局強制的に覚醒させられた。未だにぼやける視界にニコニコと嬉しそうなルフィを捉え、不機嫌を隠しもせず目を擦りながら何の用だと凄んでやろうと思ったのに、大きな欠伸にそれは阻まれる。

「夜に雪が降ったんだ! 真っ白でキレーだぞ」
「ゆきぃ…?」

ああ、どうりでこの冷え込み様。ベッドの脇に立っているラックからコートを取り上げ寝間着の上に引っ掛ける。見に来いよ、と私の手を引こうとする、ルフィの肌はやはり氷の様だ。

「待ってルフィ、冷たい…まさかその薄着で外に出てたの?」

スリーブのない赤いベストの下に、ルフィは何も着ていない。夏の島にいたときと何ら変わらない彼の服装に、ボタンをとめかけていた自分のコートを脱いでルフィの肩に羽織らせてやる。知ってる、数日前の海上戦で、ルフィのコートは使い物にならなくなってしまったのだ。
きょとん、とルフィは何とも呑気な顔をして、ヒロインのにおいがする、なんて顔を綻ばせた。

「いい加減風邪引いちゃうんだから、そんなことしてたら」
「大丈夫だ」
「何を根拠に…」
「だっておれがどうにかなる前に、ヒロインがまたコート貸してくれるだろ?」
「…次の島でルフィのコート、買おうね」

にししっ、ルフィが歯を見せて笑う、その笑顔の前じゃ何もかもが許されてしまう気がした。子供みたい、っていつも思う。その「子供」を好きになってしまったのは他でもない私だけれど。








「雪なんて別に珍しくないじゃない…」

文句を言ったところで、ルフィが繋いだ手を放す訳でもない。体に巻き付けた毛布をずるずると引きずりながら、私はルフィに手を引かれ廊下を進んだ。

「雪だけじゃねえ。見ればわかる! すっげーぞ」
「?」

ぎゅ、と力の篭った手の平は、もう自分と同じ温度になっていた。彼の言おうとすることを汲みかねて、寒さに身を震わせながらもついていく。
吐き出す息は白く、まるで雲のように通路を流れる。いよいよ甲板に出ると、肌を突き刺す冷気と鋭い朝陽に目を細めた。

「っ…、あ!」

雪と光に白く輝く世界。甲板は雪原になっていた。私は足跡のないそこに躊躇いなくざくざくと踏み入り、船首のすぐそばの柵をがしりと掴んだ。

「花島…!」

遥か前方に見えるのは鮮やかな浮島。色とりどりの花が咲き乱れる、グランドラインの春島付近にしか見られない孤島だ。その話をナミに聞かされ、一度は見てみたいと零したことはあったが、それをルフィが聞いていたとは思ってもみなかった。花島が見えたということは、春島も近いのだろう。

「な! すげーだろ!」
「すご…! 本当にあったんだ!」
「不寝番で展望台にいたら見付けたんだ。ヒロインに一番に見せたいと思ってな!」

え?

ぱっと後ろを振り返ると、ルフィも私を追ってざくりざくりと雪を踏み固め歩み寄ってきた。私は目をぱちぱちさせて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「…ルフィ? 私が前から花島に興味を持ってたこと、知らなかった?」
「おお、そうなのか!? よし、じゃあ、上陸しよう! いやー見れて良かったなー」

知らずにルフィは私を呼んだのか。一番に私にあの島を見せたかったから。誰も起きていない朝早くに、私だけを起こして、ここに…

「ヒロイン」
「ルフィはすごいね…」
「おいヒロイン、寒くねぇのか?」
「え、 ……!!」

ひゅう、と全身を打つ冷たい風に、忘れていた寒さが神経を一気に逆撫でした。花島を初めて目にした感動の余りに、私は体に巻き付けていた唯一の防寒具である毛布を放ってきてしまったのだ。
薄い寝間着で、この氷点下に無事であるはずがない。少なくとも私は。

「う、あ! さむ! 寒い寒い寒い!」

自らの腕を抱いて体を固くしたところに、ふわりと背中に熱がぶつかって、後ろから二本の腕が伸びてきた。コートで包むように抱きしめられる。親鳥がヒナを守るみたいに。広がる体温と響く鼓動。寒さを感じている余裕なんてない。

「おまえの方が、おれよりよっぽど風邪引きそうだ」

きゅ、と肩幅全部包まれて、耳元の囁きは白い煙となって私の頬を撫でる。きゅんと胸が音を立てた。

「…ルフィがあったかいから、平気だよ」

首を少し捻ってルフィを見たら、視線が絡まって、彼の目がふわりと笑った。磁石が引き合うみたいに唇がゆっくりと近付いて、私の瞼は魔法がかかったように落ちる。夢見心地で瞼の裏の赤い光を見ていたが、唇に触れてくる気配は一向になく、うっすらと目を開けたら、ルフィは私の肩に頭を預けすうすうと穏やかに寝入っていた。
呆気に取られて目を丸くする。…ああ、そうだ。不寝番。

私をしっかりと抱きしめたまま眠るルフィの頭を撫でる。そんな無邪気な顔をして、一体どんな夢をみているの?

「あ? ルフィ、お前こんな時間に何… え、ヒロインちゃん!?」

声のするキッチンの扉を振り向くと、朝の仕込みに来たのか、まだ長い煙草を指に挟んだサンジが驚いた顔でこちらを見ていた。私は彼にフッと笑い掛けると、ルフィを支えながら小さく手を振った。

「おはようサンジくん。ルフィを運ぶの手伝ってくれる?」
「は? …あっテメ何ヒロインちゃんに凭れて寝こけてやがるクソゴム!」


雪月花/20100205