天気良好、風は西向、目的地へとまっしぐら。クー、と咽かに鳴くカモメがサニー号の上を滑るように飛んでいく。
穏やかな波に揺れる船の甲板で、緑頭の剣士が軽々とダンベルを持ち上げ下ろすのを、ヒロインは芝に座り込んで見つめていた。
「ねえゾロ、そのダンベル軽いの?」
「あ? 馬鹿言え、50キロだ。お前が持ったら腕折るぞ」
「えー! 重ーい! じゃあゾロ、片手で私を持ち上げられちゃうね!」
すごいすごいとはしゃぐヒロインの好奇の眼差しを受けて、ゾロは何とも言えない気恥ずかしさに眉をしかめた。
ギシ、ギシと筋トレを無言で続けるゾロに話し掛ける訳でもなく、それをにこにこと見守るヒロイン。ゾロは習慣的な行為を行っているだけで、ヒロインも気まぐれにそれを眺めているのは単なる暇つぶし。だけれどもそれを傍から見て良く思わない「彼」は、船首からぴょんと飛び降りると、芝生にぺたんと座り込んだヒロインの背にさくさくと歩み寄り、膝を着くと両手を恋人の腰に絡めた。
「わ!」
驚いて振り返るヒロインの目に映ったのは、拗ねたように唇を尖らせたルフィだった。その顔がなんだか可愛くて、ぷっとヒロインは小さく吹き出し、ルフィの頭をよしよしと撫でる。
「あれえ、どうしたのルフィ」
「別に、どうもしねえ」
「そっかーどうもしないんだー」
変なの、とヒロインはくすくす笑い、明らかにどうもしなくないルフィの頭をぐしゃぐしゃ掻き混ぜながらゾロに向き直る。
「そうだゾロ、今度ね、女部屋を少し模様替えしようかって話になってるの。家具を動かすの手伝ってくれる?」
「…めんどくせえな。俺が寝てねェ時にしろよ」
「お! ゾロってば優っ―――!?」
突然ぱし、とルフィの黒髪の感触を楽しんでいた手を掴まれて、驚いたのも束の間、ぐっと左頬を大きな手が押さえたと思ったら、右に顔を向かされて強引に唇を塞がれた。見開いた瞳の一寸先で、ルフィの黒い目が強い力で私を射抜く。表情なんて近すぎて解らないけれど、合わさった唇は奪うような荒々しさで私の声を封じた。
「っ…、…!」
色気もへったくれもない口づけが終わると、目をぱちくりさせ黙り込んだヒロインをルフィは強く引き寄せた。敵対心剥き出しなルフィの視線の標的になってしまったゾロは、呆れたように静かにため息を吐き出すと、ダンベルを下ろし頭をガシガシと掻き立ち上がる。
「晩飯まで寝る」
「…え、あ…ハイ…」
「…その食えねぇ餅焼いてる奴、何とかしとけ」
一言言い残して欠伸をしながら去っていくゾロの背を見送る、その視線すら許せないのか、ルフィはヒロインの視界を片手で遮ると、今度は幾分優しいキスを寄越した。
「う…っ、るひ、 っん」
触れるだけの口づけを繰り返し、その間もルフィはヒロインを放す様子はさらさらない。ヒロインが酸素を求めたのをきっかけに、長いキスの雨が止んだ。
「むしゃくしゃしたんだ。お前、ゾロと楽しそうに喋りすぎだぞ」
「…えっと…ごめんなさい」
「おれだって、ヒロインぐらい簡単に持ち上げられる。抱きしめられる。ゾロは強えけどよ、ヒロイン、おれ…」
必死に言葉を繋ぐルフィだったが、ヒロインを独占したいし誰にもとられたくない、けれど自分以外の野郎と話すななんて仲間主義なルフィには言えないし考えもしない、そんな複雑な想いを言葉にするのは容易ではなく。
「…あ〜〜っ、だからだなっ」
がしッ、と力強くヒロインの肩を掴み、ルフィは叫ぶように言った。
「お前はおれだけを好きでいろ!!」
呆気に取られたヒロインはたっぷり数秒ルフィを見詰め、その目を大真面目に見詰め返すルフィの視線。ヒロインは頬をほてらせながらもへらりと笑い、ルフィの左頬をそっと手で包んだ。
「どうして今更そんなこと言うの? 私はずーっとルフィだけが大好きなのに」
「でも、ゾロと話してる方が、楽しそうだった」
「ゾロと話すのは楽しいよ、サンジくんもフランキーも同じ。でもこんなにドキドキするのはルフィだけだもん」
親指で頬の上に走る傷をするりとなぞると、ルフィの顔が少しだけ赤くなる。
「…ドキドキするの、か?」
「うん。ちゅーしてほしいとか、抱きしめてほしいって思うのも、ルフィだけだよ」
「ほんとうだな?」
「あたし、嘘はルフィとおんなじくらい苦手」
あはは、とヒロインは柔らかく笑って、ルフィの背中に両手を回す。温かい胸にぎゅっと耳を押し付けると、どくどく心臓の音が聞こえて、なんだか嬉しくなった。
「ルフィもドキドキしてくれてるのね」
脈打つその上の皮膚にキスをしたら、漸くルフィの手がヒロインを抱きしめた。
「おれだけかと思った」
「ばーかっ、そんなわけないじゃない」
「じゃあお前、もっとおれに構え」
「え? …ルフィもそうしてくれる?」
「当たり前だろ!」
ぎゅー、と腕に力がこもって、ヒロインの頬がルフィの胸に押し付けられる。頭を大きな手で包み込まれて、てっぺんに唇を押し付けられる感触に、ヒロインは噛み締めるように目を閉じた。
かわいいひと。だいすきよ。
声を、「彼」の心臓だけが聞いていた。
ハートビート、狂おしく/20100124