log | ナノ

「―――…♪」
「……?」

教団の麓(ふもと)の小さな街、ふと、美しい歌を耳にした。きょろ、と音源を探して頭を闇雲に捻ってみる。すると奇妙なことに歌声は大きくなり、まるで僕を誘い出しているようだった。

「これは……」

その歌は鼓膜を震わせる度に直に脳髄へ響くようで、胸の奥から込み上げる不可思議な感情にぞくぞくした。しかし、こんなにもよく通る大きな声なのに、道を行き擦れ違う人々は顔色一つ変えない。全く気付かない、聞こえない…?そうか、それならば。

間違いない…これはイノセンス。

確信した僕は導かれるままに、声のする街の外れへと歩き出した。




止まない旋律のソプラノ、声の主が女性なのはほぼ確定的。聞くからには肉声のようだ。となると…イノセンスは喉。寄生型か。頭と耳に神経を集中させ、歩を速める。

…近い。


「〜〜〜――…♪」

この街の一番端に立つ古ぼけたホテルの壁に隠れ、僕は漸く立ち止まった。10メートル程先に生えた大木の下、柔らかそうな芝生に座り込みただ歌を奏でる、少女が一人。表情は見えない。俯いて顔を上げない…が、僕と同い年か、それより少し下くらい。
それにしてもおかしくないだろうか?ここは教団の真下と言っても過言ではない、あまりに小さな街だ。そこに、たまたまジェリーさんに頼まれてふらっと買い出しに出て来た僕が、こんなにもあっさりとエクソシストを―――…
コムイさんは、調査班は一体何をしてるのだ。灯台下暗し…いや、黒の教団ともあろうものがそんな綻びあっていい訳が…

彼女の周囲に集まる、白い小鳥。その一羽が、考え込む僕の所へ不意に飛んで来た。

「…え、なに…?」

ふ、と 歌が消えた。

「チチチチッ!」
「うわわわっ!?」

頭を思い切り鳥の鋭いくちばしでどつかれ、僕は思わず声を上げてしまった。

「…誰…?」

ゔっ…気付かれちゃったか…もう隠れていても仕方ない。若干の涙目は仕方ないとして、にっこりと屈託のない笑顔を貼付けてから、僕は影からすっと出た。

「あの、怪しい者じゃ―――」

ばちっと視線がぶつかり、思わず続きの言葉を飲み込んだ。あの美しい声の主。それ相応、というか、とても綺麗な人だった。

「…あ…」

かぁ、と顔が赤くなって、堪らず口元に手を当てる。驚いた様子だった彼女は、しかし直ぐに微笑み言った。

「初めまして」

―――どくんっ

何でだか、心臓が跳ねる。沈まない鼓動の音を耳の裏で聞きながら、挨拶を返そうと思ったのに、出て来た言葉は。

「さっきの…歌…」
「えっ?」

言った途端に流石に失礼だったかと、他の言葉を探す。が、一瞬目を見開いた少女は、少し照れたように俯いて耳に髪をかける。

「あ…聞いてたんですか?やだ、恥ずかしいな…」

髪が上がって垣間見えた、少し色付いた柔らかそうな肌。恥ずかしそうな伏し目のその表情。うわ、と僕は再び目を奪われる。

―――かわいい…

「たまにこうやって歌うんです、一人で。心が落ち着くっていうか…動物もよく寄って来るんですよ」

肩に止まった小鳥の頭を、人差し指でそっと撫でる彼女。ぼおっとそれを見詰めたままだった僕にもう一度目を向け、そしてまた悩殺的な笑みを浮かべて。

「でも、こんなかっこ良い方が来て下さったのは初めてですね」

えへへ、と含み笑いする少女。ああ、もう駄目だ。

「あっ…ごめんなさい、初対面の方に失礼で「あの!」

大声で言葉を遮ると、彼女はびくりと口を閉じた。そんな仕種すら可愛くて、無意識と言っていい程の動きで腕を伸ばした。

「あ…っ?」

初対面の男に腕を引かれ、両肩を掴まれ、さぞかし気味が悪かったと思う。しかしそんな事、気にしていられる余裕がなくて。

「黒の教団に来ませんか…?」
「……!」

ハッと口をつぐんで、黙りこくる少女。あれ?ここで、「何言ってるんですか?」とか苦笑混じりにでも言われるのを予想していたのに(まぁ話は進めやすくていいけど…)

「見ない顔だと思ってたんです。旅をしていたのでしょう?それとも放浪?」
「え、えぇ…旅を」
「世界中には、イノセンスを狙うアクマが居る。世界を回っていたのに、全く会わず無事でいられる訳がない」

言葉に詰まる彼女を見て、理解する。イノセンス。アクマ。この単語に一般人が首を傾げないだなんておかしい。彼女は自覚しているのだ。自分が…

「貴女はエクソシストですね」

掴んだ肩がぴくりと震えた。少女は、小さくこくりと頷いた。

「…うちには、大きく古い書庫がありました。そこでたまたま見付けた書物にあったんです。この世界の現状と、それを阻止しようとする組織の存在…」
「喉は…?」
「…生れつき、です。気付いたのは十歳の頃で…私自身、どんな能力があるかは解らないけど」
「…じゃあ、貴女がここまで出向いた理由、は…?」

彼女は纏った服をぎゅっと掴み、そして顔を上げ、強い視線で僕を見詰め返す。

「正式に…エクソシストになる為です」

きっぱりとそう言った少女、僕は一瞬目を見開いて、しかし直ぐに微笑を取り戻し彼女の手をとった。

「ようこそ僕らの世界へ」

クレッシェンド

の舞台で動き出す、僕の想い、彼女の決意

//20071001