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少し固そうな黒塗りのソファの前にあるテーブルに、ついさっき淹れてきたコーヒーのカップを置く。すぐそこで横たわってすうすうと寝息を立てる彼の目の下には、濃い隈がくっきりと浮かんでいた。わあ、これは相当辛いだろうな…とまじまじ眺めていたら、伏せられていた睫毛が一瞬だけ震えて、次いで瞼がゆっくりと持ち上がっていく。

「…起こしてしまいましたか」
「ん…あ…? オレ、なにしてた…っけ…」
「仮眠を取っていたんでしょう? あと10分くらい寝れますよ」

ぼーっとして数秒動かなかったリーバーさんは、しかし頭をがしがしと掻きながら上半身を起こして、テーブルの上のコーヒーに手を伸ばした。

「いや、起きる」
「いいんですか?」
「ああ。少し休んでまた仕事に戻るさ」

ずず、とコーヒーを啜りながら、リーバーさんは半泣き状態で書類に書き込み作業をする科学班一同に視線を向けていた。

「そういやヒロイン、この前の任務はどうだった? あそこは探索部隊もイノセンスも反応は微妙だったからな…」
「あ、ありましたよちゃんと。レベル2が多くて苦労しましたが」
「そうか。んなら良かった」

疲れきった顔に笑みを浮かべ、お疲れさん、とリーバーさんは私の頭をくしゃくしゃ撫でた。うわぁ、と私はドキドキしてしまって、思わず俯いてしまう。

「り、リーバーさんたちのお陰ですよ。毎日ありがとうございます」
「そう言ってもらえると遣り甲斐あるな、この仕事も」
「…あの、この前転職しようかとかって…」
「ん? …いや、…いやほんと俺ももういい年だしなー、はは」
「いっいやですよ!」

私が急に顔を上げて大きな声を出したので、リーバーさんはびっくりしたみたいに目を見開いて私を見つめ返した。

「嫌です、リーバーさんがいなくなるなんて。ただでさえここは、そういうのが…多いのに…」

殉職していった人たちのことが頭を過って、不覚にも涙が滲んだ。ここでまた下を向いても喋っても泣き出してしまうだろうと直感したので、私はリーバーさんの瞳に視線を固定したまま口を閉ざした。涙腺を緩めまいと力を込める。酷く剣幕な顔をしていたと思う。
黙っていたリーバーさんは少し間を空けた後、まだ半分残ったコーヒーカップをテーブルに戻して、私の肩を優しく抱き寄せた。

「っ…リーバーさ、」
「ん、」
「いかないで…」
「冗談。こんな引き止めてくれる奴がいて、見す見す辞めらんねぇよ」

慰めるように背中やら頭の後ろやら撫でられて、リーバーさんの白衣の肩口に顔を埋めていた私は、嗚咽を押し殺すので精一杯だった。温かい、なあ。どうしてこんなに人肌の温度って優しいんだろう。

「…やくそく、で、すよ、っ」

私がなんとかそれだけ呟くと、リーバーさんは柔らかい声色で「ああ」と囁き返して、

「俺はずっとこのホームで、お前たちを待ってるから」

ああ、ああ、良かった。この人は失わずに済むんだ。堪らなくて彼の白衣の裾をぎゅうっと握ったら、少し遠くのところからコムイさんの声が聞こえてくる。

「リーバーくーん、そろそろ起きてぇー」
「もう起きてます。それより書類のサイン終わったんですか?」
「うっ…あ、あとたった50枚だから!」
「はぁ…早くして下さいよ」

涙は止まっていなかったけど邪魔になるのは解っているから、私はそっとリーバーさんの胸の中から退いた。皺が寄った白衣をそのままにしたリーバーさんは、そんな私を心配そうに覗き込む。泣きたいんじゃない、笑いたいんだ、私は。

「ヒロイン…?」
「い、…いってらっしゃい」

乱暴に涙を手の甲で拭うと、私はぐしゃぐしゃの顔を綻ばせた。後から溢れると思っていた涙は、もう出てこない。

「行ってくる」

それに安心したようにリーバーさんも薄く笑って、足速に声のする方へと消えた。

私も数時間後には教団を出る。おかえりを言ってくれる人の為に、私はまたここに帰ってこよう。


「室長、半分手伝いましょうか?」
「…? な、なんだかご機嫌だねリーバー君…」


//20080519