log | ナノ

目を覚ましてまず視界に入ってきたのは、真っ白な天井と蛍光灯。焦点がずれて距離がいまいち掴めない。全身がじくじくと痛いということは夢ではないらしい、ではここは天国だろうか地獄だろうか。あの世にも蛍光灯は存在しているのか。そんな馬鹿なことをやけに真面目に考えていたら、ようやく自分がベッドに寝かされていることに気付いた。少し遅れてつんと鼻を突くアルコールのようなにおい。病院だと理解するまでかなりの時間を要した。

「…生きてん、のか…」

そうだ。将来ボンゴレ十代目の右腕になるやつがこれぐらいで死んでたまるか。体を起こそうとする度にしぶとく走る鈍痛に悪戦苦闘していると、病室の目に痛いほどに白いドアが小さくノックされた。そのとき初めて今いる部屋が個室であることに気付く。返事もせずにドアを睨み付けていると、それは遠慮がちにカラカラと開いた。そこから覗いたススキ色の髪に、俺は痛みすら忘れてがばっと起き上がる。

「じっ、じゅうだい…」

め、と続くはずの言葉は、しかし尻切れに薄れて消えた。病室に入ってきたのが一人ではなかったからだ。その人物はニカッと口元に笑みを乗せ、馴れ馴れしく俺に声を掛けてくる。

「よっ獄寺!無事かー?」
「てめぇ野球馬鹿…何しにきやがった」
「何って、見舞い以外何があるんだよ」
「獄寺くん、通り魔に刺されたって大丈夫?」
「あっ全然平気っス十代目っ!ご心配かけて申し訳…ッう゛」

不安そうに病室に入る十代目こと沢田さんと、頭の後ろで手を組んで続く野球馬鹿こと山本。山本は無視してやろうと十代目に深く頭を下げたら、腹部の傷がじくりと痛んで思わず呻く。十代目が悲痛な声を上げて、山本からもへらりとした腹のたつ笑みが消えた。

「ご、獄寺くん!俺たちのことはいいからさ、寝てて」
「そ、ういう訳には…」
「いいから、!」

寝てて、ともう一度言って俺の肩を押す十代目。俺は痛みも手伝って大人しくベッドに沈んで、すみませんと情けなさに苛まれながら謝った。

「そういえば獄寺、何で通り魔なんかに襲われたんだ?」
「あ…?」
「犯人は単身、しかも短刀で襲ってたって聞いたぜ。獄寺ならあの花火でやっつけられたんじゃねぇ?しかも正面だったんだろ、腹って…」
「たしかに…あ、獄寺くん。通り魔は雲雀さんにぼこぼこに咬み殺されたみたい…」
「は…そうですか…」

女を守るために体を張っただなんて、カッコ悪くて言えやしない。余計なこと聞きやがって野球馬鹿…と唇を噛んでいたら、個室のドアが本日二回目のノックを受けた。一斉に振り返る三人だったが、気配はあるのにその後ドアからは何の反応もない。返事を返さなければそのまま帰ってしまいそうだ。ちらり、と十代目が気にかけるように俺を振り返った。嫌な予感がする。そしてこういうときの直感は、当たって欲しくないときに限って的中するものだ。

「………はい」

たっぷり間をおいて返事をすると、ドアは何度か躊躇してから開かれた。やはりそこにいたのは予想通りの人物。本当は、今回の事件の被害者になるはずだった女だ。彼女は腕に、かすみ草やその他…名前も知らないような花の束を抱いて、そこに立っていた。

「あ…あの、お見舞いにと思ったんだけど、沢田くんたちと一緒なら…」
「あ、いやいや!オレたちそろそろ帰ろうと思ってたんだ。ね、山本!」
「ん?あー、…ああ」

出直します、と背を向けようとした彼女を、十代目は慌てた仕種で引き止めた。振り返って少し目を瞬かせるヒロインの脇をすり抜け、意味ありげな視線を俺に向けて、十代目と山本は病室を後にした。

「………」
「………」

重苦しい沈黙が漂う。ヒロインは戸口で立ち竦んだままだ。何で俺がこんな気まずい思いしなきゃいけないんだと、些か理不尽な不満が頭を過る。

「…いつまでそうしてんだオメー」
「…あ、えと」
「入らねぇなら帰れよ」

ツンといい放てば、漸く彼女はもつれ足で病室に踏み込んできた。カラカラとひとりでに扉が背後で閉まる。ヒロインは、何も飾られていなかった花瓶に花束を差して、ちらちらと俺を盗み見ながら気まずそうに口を開閉していた。言いたいことがあるんだろう。しかしそれがどんな内容かだいたい予測出来てしまった俺は、釘を打つように先に口を開いた。

「謝んじゃねぇぞ」
「っ、え?」
「どうせお前のことだから自分のせいとか思ってんだろーけど、あれは俺が勝手に突っ込んだんだ。礼くらいは言われてもいいけどな、謝られる筋合いはねぇ」

ぱちくりとヒロインは瞳を丸くして、ただ俺の話を最後まで聞いていた。しまった、不自然に饒舌になっていたかもしれない。気まずくてそのままベッドの上で寝返り彼女に背を向けた。

「…あ…ありがとう」

そっと背中に指で触れられた感触がして、思ってもみなかったことに肩が跳ねた。それが相手に気付かれるのを酷く恥じて、勢いよく振り向く。そのせいでまた傷が鈍く痛んだ。

「お前…っ」
「え、あれっ、ごめんなさい…お礼ならいいって、言ったから」

それもそうだと俺は熱くなった脳みそを鎮めながら思う。しかし次の彼女の言葉は、

「私、獄寺君に何か出来ること、ない?」

恐らく、いや確実に、悪意は欠片もなかっただろう。ただ礼がしたかっただけ。しかし俺は、自分でも不思議に思う程に頭に血がのぼった。

「なっ…俺が見返りを求めるような男に見えんのかよ!?」
「えっ、ちが、違うよ!これはええと、そう、ただの自己満足」
「は…?」
「命の恩人なんだから何かしらお礼でもしないと、私の気が済まない」

いちいち噛み付く俺に、ヒロインは泣きそうな顔で語りかけていた。俺はようやく口をつぐみ、少し考えてからぽつりと呟く。

「…じゃあ」
「うん」
「ひとつ聞きたいことがある」
「何?なんでも聞いて」

言葉を拒むように喉が熱かった。呼吸を妨げるように鼓動が速かった。このまま気を失えればどれほど楽か、しかしそれでは、何も解決しない。

「お前は、」
「うん」
「俺のことどう思ってんだ」

らしくもなく緊張していた。ヒロインは面喰らったように、しかしさほど驚いた素振りも見せず俺を見詰めた。

「…私、獄寺くんのことよく知らないから、どう思うかとか解んないけど…」

申し訳なさそうな彼女の言葉に、確かにそうだと赤面する。俺は彼女を見ていたから知っていた気でいたけど、彼女はそうではない。対して関わりがなかった女に俺は何を聞くんだと、そう頭を抱えそうになったその時に。ヒロインは俯きながらも嬉しそうな声で答えた、

「もっと、獄寺くんを知りたいとは、思う」

眩い白き世界の浮上

(俺もだ、とは口の中だけで返しておく)

//20080911