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人には誰しも喜怒哀楽という感情を持っている。楽しければ笑うし、頭にくれば怒る。そんなの当たり前のことなのに、どうして泣いている者を見ると人は動揺するのだろう。笑顔は喜びの象徴で涙は哀しみの象徴で、重さなんてどれも同じはずなのに、

「獄寺く…ごくでら、くん」

ぼろぼろと涙を溢しながら俺の目の前で膝をつくヒロインの、その極僅かな雫が俺の胸を揺さぶって仕方がないのは、なぜだ。

「泣いてんなってんだ、よ、っ」
「だ、って、あ 止血っ…」

俺は腹部に深い傷を負っていた。最近この辺で騒がれている通り魔に、ヒロインが襲われそうになったところを庇ったのだ。別に俺とヒロインは恋人同士な訳でもねぇし、たまたま帰り道が一緒だっただけ。数メートル前を歩いていたヒロインにナイフを持った男が近付いてきたのに気付いた瞬間には、俺はもう駆け出していた。ボムを使えばヒロインが巻き添えになってしまうから、思わずヒロインを突き飛ばして俺がその鋭い刃を腹に受け止めたんだ。別に放っておいても良かったし他に方法はいくらでもあっただろうけど(でも無意識に動いちまったんだから仕方ねぇだろ)
これくらいの怪我将来ボンゴレに入れば日常茶飯事だろうに、思ったより深い傷にふらりと膝を崩してしまった。俺の後ろにいたらしい女が派手に悲鳴を上げ、通り魔は一目散に逃げていく。ショックが強かったヒロインはがくりと俺の前にしゃがみこんだ。

「ごっ、獄寺く、なんで…」
「別にっ…お前のためにやった訳じゃ、ねぇ…」

自らの体をナイフの餌食にするなんて、ヒロインのためでなければ何だというのだろう。けれど、女を自分の身を呈して庇ったなんて俺のプライドが許さなかったんだ。しかしそんな俺の強がりも気に止めないでヒロインはカバンから淡い色のハンカチを取り出して、傷口に押し当てた。清潔なそれがみるみる俺の血に染まっていく。

「っおい、余計なことすん、な」
「お願いじっとして」

振り払おうと思ったのに力が入らなかった。途中ぱたぱたと落ちる涙を何度も拭いながらヒロインは震える手で必死に血を止めようとする。いつもにこにこと腹がたつ程笑顔なこいつが俺のために泣いてるんだ。

「痛い…?痛いよね、獄寺くんごめん、ごめんね、」
「大したことね…っつ」

ヒロインの手が一瞬離れたから立ち上がろうとしたら、またずきりと傷が痛んで思わず顔を歪めた。それにまたヒロインは悲痛そうな顔をして唇を噛み締める。

「…どうして獄寺くんは、私なんか助けて、くれたの」
「…知らねえよ」

出血の具合を調べながら、知らないって何、とヒロインは情けない泣き顔で無理矢理に口元を緩めてみせた。ああやっと笑ったと、俺は痛みにぼやける頭でそんなことを思う。やっぱりこいつは笑ってた方がいい。

「も…平気だ、離せ」
「そ、それで平気なわけ、」
「いい 、から」

そんな言葉とは裏腹にちかちかと目の前が眩んでくる。ヒロインの応急処置があるとはいえ少々血を流しすぎたようだ。それでもこいつには泣いてほしくなかったから、

「もう…泣くん、じゃねぇ…っつの」
「え…」
「じゃな きゃ、俺が刺された意味ねぇ、だろーが…」

ヒロインの濡れた大きな瞳が見開かれたのを確認した一瞬後、俺の意識はふつりと途切れた。そうだ、俺がヒロインをわざわざ庇ったのは、彼女を泣かせたくなかったからじゃないか。

俺にもヒロインにも喜怒哀楽っつう感情がある。いつも笑ってるヒロインだって涙くらい流すのは当たり前なのに、それが俺をあんなにも動揺させたのは何故だろうか。

それは、彼女が泣くことが俺には酷く不自然に思えたからだ。あいつに涙なんて似合わない、あいつに一番似合うのは笑顔なのに…だなんて、なんて押し付けがましい感情だろう?

赤く滴る世界で微笑

(このまま命尽きるならばせめて瞼よもう一度開いてくれ、)

叶うならばあいつの笑顔を最後の思い出に

20080910