香りと共に届けたい。
私が飾られた場所は、四方八方を白で囲まれている部屋だった。
白、白、白。見れば見る程、それらは白だった。ここは何処なのだろう。
今は人こそいないけれど、目の前のベッドは確かに誰かがいた形跡が残っていた。ベッドの上にある掛け布団がめくれている。それもまた、白だった。
雨が降っても、その数滴さえ遮断するようなこの白い部屋。その中にいて、このように無事に芽が出せたということは、誰かが私に水を恵んでくれたから。しかし、その誰かがここにはいない。
「あ、飾られてる」
ガラリと開いた扉(これも色は白)から聞こえた声。その声は、先程まで静寂だったこの部屋の空気に馴染み、溶けた。
「ちょっと待っててね」
こちらへぱたぱたと音をたてて、花瓶を持ち上げ廊下に行った。
向かった先は水道。
きゅ、と蛇口を捻り、新しい水を入れた。不思議とその水はなんだか暖かい感じがした。水の温度とかではない、暖かさ。すんなりとこちらにも染みてくる、水ではない何か。
ふと見上げれば、それまで見飽きていた白とは違った、蒼みが掛かっている髪の人だった。綺麗にウェーブしている毛先は、歩を進める度、上品に揺れる。
「綺麗だなあ」
そう言った彼の表情は優しそうに綻んでいたが、言葉を発した唇は少し青白く、肌もこの部屋に負けないくらい白かった。
まるで、病人のような。
* * * *
次の日、この部屋は人でいっぱいになった。彼のトモダチのようだった。
そして、1つだけ。わかったことがあった。
彼が、病人だということだ。
「幸村、今日は赤也がだな‥」
「げっ、柳先輩、言わないでくださいよ!」
そんな彼を見舞いに来たらしいトモダチは、みんなラケットバックを背負っている。そうして悟ったのだ。彼も、彼らと同じで運動部員なのだと。
「じゃあ、今日はこの辺で帰るか」
「わかった。来てくれてありがとう」
夕日が柔らかく窓から差していた。
静かに彼は笑って、トモダチは帰っていった。
「あ、水変えなくちゃね」
ゆっくりとした動作で、彼は花瓶を手にし、水道にいった。
* * * *
「それでね、ブン太が‥」
最近はよく、彼が私に話し掛けてくれる。見ることも、聞くことも、何故か出来る私だけど、何か返事をしたり相槌を打つことは出来ない。それでも彼は、毎日毎日楽しそうに私に語り掛けてくれる。私はそれがとても嬉しかった。
「笑っちゃうだろ」
そう笑いかけてくれる彼は、今日も綺麗で、儚かった。
* * * *
今日は雨が降っている。しかし、ザアザアと上から降ってくる大きな大きな雨粒は、ガラス越しでしか見ることが出来ない。日の光も、分厚い雨雲のせいでいつものようには浴びられない。
「うわ、すごい土砂降り‥」
これじゃあ今日は部活なしになるだろうなあ、と彼が呟いた。窓越しまで来た彼のパジャマが少しだけ触れる。
「そうだ、水変えるね」
いつものように、彼と廊下に出た。
ふと窓の外を見ると、雨に打たれている植物たちを見つけた。たくさん水を浴びていて、なんだか気持ち良さそうに見えたが、何かが違う。日光ではない。空気の温度でもない。
「これでよし」
あ、これだ。彼からの気持ちだ。
彼は、いつも慈しむような優しい瞳を私に向けてくれる。もしかしたら、これはとても恵まれているのかもしれない。だって、あの子達はきっとこんな風に人からの愛を受けていないはずだから。
天からの恵みである雨を受けられない私は、彼からの愛情いっぱいの恵みを受ける。
例え神様が私のことを嫌っているからそうしたとしても、私は神様に感謝したい。そして、あの子達にこう言ってやるの。
羨ましいでしょ!
* * * *
彼は日に日に青白くなっていった。痩せたし、それに少しだけ笑顔に儚さが増しているような気がする。
それでも、私に欠かさず毎日水を変えてくれたし、話もしてくれた。
だけど、今日は違った。
「もう帰ってくれないか!!」
彼のトモダチは、ぱたり、と扉は閉め、彼の苦しい叫び声は白い壁に吸い込まれた。彼はいつもみたいに優しい表情ではなく、辛く、哀しそうな顔をしている。
すると、急にこちらを見た。その目は怒りと困惑と哀しみが混ざっていて、彼から受ける普段の感情ではなかった。
私も、さっきトモダチのように拒絶されてしまうのだろうか。
そう思っていたら、彼は花瓶を持ち上げ、水道へ向い、水を変えた。
「今日、医者にテニスなんてもう無理だと言われた」
ぽつりと口から出た言葉を、私もこの部屋で聞いていた。そう、貴方も聞いてしまったのね。
「俺は今まで、テニスを中心に生きてきた。それなのに、こんな病気になって、それで‥」
彼は震えていた。何か大切なものを失うとは、こういうことなのだろう。数日前まであった、凛々しさは欠片も感じられない。
「悪いのは全部俺なのに、誰かに八つ当たりなんて、」
違う。違うよ。貴方は何も悪くない。悪くないの。
ああ、どうして声にならないの。言いたいのに、何も言えないなんて、なんてもどかしいの。
ねえ、神様。どうして彼にこんな人生を与えたのですか。どうしてですか。
「‥君はまたひとつ、花が咲くね」
その言葉は、哀愁を帯びているようにも思えた。
彼は長い睫毛を伏せて、影をつくった。
神様、私がお嫌いですか。
どうか、お願いです。私の我が儘を叶えてやってください。
* * * *
目を覚ませば、そこは芝生の上だった。溢れんばかりの日の光が少し眩い。
「あれ、ここ‥」
俺は今、どこにいるんだ?ここは一体‥
「目が覚めましたか」
鈴を転がすような、澄んだ声に導かれ、視線を上げれば、美しい少女がいた。
にこり、と微笑んだ彼女は、今まで何処で見てきた女の人よりも神秘的で、かつ幻想的な雰囲気を漂わせている。
ああ、ここは天国か。
そうだ。そうに違いない。
だって天使のような少女が目の前にいるし、今いるこの場所もなんだか神々しく、何もかもを優しく包み込むような空気が流れているんだ。それに、俺は重度の難病。いつ死んでも可笑しくなかったんじゃないだろうか。
「ここは、貴方の夢の中です」
まるで俺の心境を読み取ったかのように、彼女は言った。
「夢の、中‥あはは、天国かと思った」
すると、彼女は驚いた顔をしたが、穏やかに口を開く。
「死んでなんかいませんよ。貴方はまだまだ生きられる」
その言葉に、俺はふざけるなと言ってやりたかった。お前になにがわかる。いまさっき会ったばかりのお前に、一体俺の何がわかるのか、と。
しかし、言えなかった。何故だか、彼女とは長いこと親しんでいたような気がしたからだ。
「‥でも、俺からテニスを取り上げてしまえば、死んだと同じようなものだよ」
出てきたのは、弱音だった。しかし、それは確かに本音だった。
「そんな哀しいこと、言わないでください。気持ちがあれば、夢はいくらでも追うことが出来ます」
強く、芯が通った言葉だった。
「私が、その良い例です」
「え?」
「少しだけ、私の話を聞いてくれますか」
彼女のひどく透き通った瞳は、俺を捕らえて離さなかった。
「私に、毎日話し掛けてくれる人がいるんです。それに、私の世話もしてくれる。だけど私は、いつもその人にお礼も何も言えないし、出来ない」
彼女は最初こそは空を見上げ、表情は晴れていたが、最後の方になるにつれ俯き、表情が曇っていった。
「しかも、その人は今、人生最大の壁に直面している。それなのに、私はただただ見ているだけ」
突然、ぶわっと風が吹いた。彼女からは微かに花の香りがした。
「でも想いは変わらなかった。むしろ、もっと強く願うようになった」
彼女は何処か遠くを見て、凛と言い放った。
「彼を絶望から救ってあげたい。そして、お礼を言いたい」
何かが心の中でカチリと音をたてた。
「ねえ、もしかして、君‥」
そう言いながら手を伸ばして、彼女に触れようとした。
すると彼女は、満面の笑みでこちらに顔を向けた。
「ありがとう。お話、とても楽しかった。頑張って生きて、テニス続けてね」
また強く風が吹き、の香りと共に辺りが真っ白になった。
* * * *
「ゆ、め‥」
夢から覚めた俺は、ベッドの上にいた。
小鳥が外で囀ずる声と柔らかな日差しが、今が朝だとことを示している。
「、!」
花は枯れていた。
今日、綺麗に咲くはずだった花の花弁は落ちきっている。
「ありがとう。頑張って、足掻いてみるよ」
部屋にアザレアの香りが漂う。
風に揺れたカーテンの側に、一瞬だけ彼女が見えたのはきっと気のせいではなかっただろう。
君の分も精一杯生きるよ。だから、
もう少しだけ、見てて。
((アザレアの花言葉は))
((“貴方に愛される幸せ”))
皆様、初の企画にご参加頂きありがとうございました!
とても嬉しい限りです!
これからも皆さんとたくさんの庭球愛を深められればなあ、と思っております。
お互いサイト運営も頑張りましょう!
それでは申し訳ありませんが、こちらのページにて、感謝の気持ちを示させて頂きます。
ありがとうございます。
牡丹
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