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目の前に浮かんだのは、昔の私の姿。


青い56と書かれたTシャツを着た少年の頭をゆっくりと撫で、その頭に新聞紙で作られた兜を乗せると、少年は満面の笑みを浮かべ、そして、………。






…………い








………………おい













……………起きろっ













「………起きろって!」



「はぇ?」






そして、どうなった?


目をゴシゴシ擦りながら顔を上げると、しかめっつらした黒いもじゃもじゃが見えた。その後ろで金色が苦笑いを浮かべているのも見える。


オレンジTシャツを着た黒もじゃは、乱暴に私をソファーから蹴り落とすと、憤然と腰に手を当て凄んでみせた。




「痛い!」


「暢気に寝てるお前が悪い!」


「イジメ!ヨクナイ!カッコワルイ!」


「じゃかましいわっ!」



「おいおい、時間ないんだから喧嘩するなよ〜」



「サーボー」


「なまえも顔洗って、さっさと支度しろって」


「ふぁーい」


「なんでお前、お前!」


「エース、洗濯物取り込んどけ」


「……わかってる」





私を指差しワナワナと震えるエースに淡々と言い放ったサボ。エースは肩を落とし、とぼとぼとベランダへ向かった。私はその後ろ姿を見てこっそり笑いながら、ぐしゃぐしゃになったパーカーを軽く叩いて立ち上がった。



洗面所でバシャバシャと顔を洗い、手探りでタオルを探していると、顔面にバフッと何かを押し付けられた。



「エース…」


「お前、床がびしょびしょだろ」


「……ごめん」



貰ったばっかりのタオルで顔を拭き、そのまま床も拭こうとしたら青い顔をしたエースに腕を掴まれた。




「お前は顔拭いたタオルで床を拭くのか!?」



「あ、そっか」



「そっか、じゃねぇ!!」



「ごめんってばぁ」



「……ったく、お前が一人暮らししてるなんざ、信じられねぇ」



「大丈夫、家じゃやらないから」



「ならここでもやるなっ!!」





けらけらと笑う私を青筋立てて睨むエース。私は洗濯機の横にかけてある雑巾を取り、しゃがんで水浸しの床を拭きはじめた。








「………ちゃんと、やってんのか?」



「生きてるでしょ?」



「生きてるけどよ…」






ちらりと顔を上げると、エースは顔をバッと横に逸らした。だが、はっとした顔して、今度は反対側に顔を逸らす。

変だと思い、私も視線の先に顔を向けると、そこには3本の歯ブラシがささった歯ブラシ立てがあり、思わず笑ってしまった。


かつてそこにはピンクの歯ブラシがもう一本あったのだ。四本あった歯ブラシが三本になったのは、だいたい今から五年前。


大学進学にあたり家を離れてから、もう五年になるのだ。


私たちは、酒も飲めれば煙草も吸える。いっちょ前に選挙権なんかも持っているわけだが、目の前の男は今だにガキのように拗ねている。


汚れた雑巾を風呂場に持って行き、洗面器で洗い始めると、エースも同じようにしゃがみ込んだ。





「エースは何買ったの?」



「あ?俺は、あれだ」



「あれじゃわかんない」



「グ、グローブだよ」



「また王道を…」



「いいだろ!本人が欲しがってんだから!」



「はいはい」



「……そういうお前は?」



「ふふん、数学と英語の参考書!あの子もなんだかんだで受験生だからね!」



「………鬼」





ふふっと笑って、ぱんっと雑巾を広げた。











五年前、家を出ると決意したとき。


エースとサボは当たり前のように反対した。

「お前に一人暮らしができるわけない」「だめだ、危な過ぎる」「そこまでして本当に行きたい所なのか」


矢継ぎ早に降り懸かる言葉に下唇を噛んだ私は、それでも首を縦に振ることだけはできなかった。

元々野郎二人が反対してくるのは承知の上だったのだから、仕方がない。

だが、私だって頑固なこの二人と共に育ったんだ。頑固さなら負けない自信がある。


ただ、二人を睨む私にも一つだけ不安要素があった。



必死に怒る二人の後ろで、静かに立たずんだ少年は、予想なら一緒になって反対してくると思っていたのだが、予想外に静かに立っているだけだ。

私は彼に弱い。昔からそう。「甘やかすな」と言われても、べったべたに甘やかしていた。

彼も私に随分と懐いてくれていた。


だから、ダメだった。


彼に「行かないで」と言われてしまったら、私の意思はぐしゃぐしゃに崩れてしまいそうだった。




しばらくして、出る言葉がなくなったのか、沈黙が続いた。


静かに見つめるサボと、激昂するエースと、ただ佇んでいるあの子。


もう出て行くしかないか、と半ば諦めていたころに、やっと彼が口を開いた。











「行けよ」



「…え?」



「だから、行けよ」





予想だにしなかった言葉に、私たち三人は目を見開いたが、彼はさも当たり前かのようにサラッと言った。





「行きたいんなら行けよ」



「で、でも…」



「なまえは行きたいんだろ」



「う、うん」



「だったら行けって!エースとサボは俺がなんとかするからよ!」



ししし、と笑う彼は満面の笑みだった。

自分から出て行くと言っておいてあれだが、この子は私が嫌いになってしまったのだろうか、と理不尽にも思ってしまった。






ところが、


思わず俯いたその目に映ったのは、










強く握りすぎて、すっかり血の気が失せてしまった、彼の握り拳だった。













「誰よりもお前にべったりでよ、」


「誰よりも泣き虫で、」


「誰よりも優しかったなぁ」




少なくともあんたたちよりは、という言葉は飲み込んでおいた。





三人でテーブルに着き、手巻き寿司を作っていく。部屋には酢飯の匂いが立ち込めていて、先程からエースの腹は鳴り止まない。




「早く帰ってこねぇかな、あいつ」



「お前が朝、不自然に追い出したんだろうが」



「そうなの?」



「『ガキは日が暮れるまで外で遊んでろ!』ってさ」



「だったらエースも遊ばなきゃいけなくなるじゃん」



「だーれーがー!!」







部屋に飾られた折り紙のわっかは、先程不器用なエースと二人で作った。ベランダに飾られたこいのぼりは、上の階の人に文句を言われるほどでかい。机には、柏餅と粽が並び、手巻き寿司には鯛が巻いてある。サボが風呂に菖蒲を浮かべると、エースがついでといいながらオレンジやりんごを浮かべ始めたので、サボに怒られていた。








あの日、あの時、


笑ったあの子の顔には、滝のような涙が流れていた。


誰よりも泣き虫の甘えん坊は、自分の心を殺して、私の背中を押してくれたのだ。


いつまでも子供とばかりに思っていた私たちは、三歳という歳の差は馬鹿にできないということを思い知らされたのだった。


あの時あの子は、誰よりも大人だった。



血の気のない握り拳を優しく包み込んだ時、私の顔にも滝のような涙が溢れていた。










「早く帰って来ないかなぁ……」






呟いた瞬間。







ガチャッとドアノブを回す音。








「あ」
「おっ」
「主役が帰ってきたぞ」








扉を開けて、私の靴を見つけて、あの子は慌てて駆け込んでくるだろう。


リビングのドアをばんっと開き、二つのクラッカーにばーんと迎えられて、そして私は満面の笑みで叫ぶのだ。










「ハッピーバースデイ、ルフィ!!!」


















新聞紙の兜をかぶる君を刻んで









110505 ルフィ誕生日記念






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