HELLO! | ナノ







それは、とある船上での出来事だった。










始まりがあれば、終わりもある。ただそこにたどり着くまでの道のりが人それぞれであるというだけ。ううん、人だけじゃない。犬だっていっしょなんだ。


何が基準なんてわからないけれど、ただ一つわかってることがあるから。


















「もう、ダメなのか…?」



「………この子の場合、出来た場所自体が複雑で、」



「金ならいくらでも払うんだっ!!頼むよっ…!!!」


「…………申し訳ありません。我々には、もうどうすることも……。」


「っ……!!!」


「お前っ、それでも医者かっ!!」


「サッチ、やめろよい」


「だってよっ!……っ、エースも何か言ってやれっ!!」


「…………。」


「エースっ!!!」


「……………。」






エースは何も言わずに、診療所の上でぐったりと横になっているパピーを優しく抱き上げた。少し温かな手の平でゆっくりとパピーの頭を撫でてやると、パピーはうっすら瞼を開いた。




「親父のところに、帰ろうな」





もう見えていないはずの瞳が、エースの姿を探している。もう聞こえていないはずの耳が、エースの声を捕らえようとしている。何もわかっていないはずのパピーは、全てを理解したように「くんっ」と鳴いた。


エースはそれを目を細めながら優しく見つめると、再び手の平で頭を撫でてやりながら、出会った頃より少しだけ大きくなった身体を抱え直した。





「俺、ちょっと散歩してくるな」





診療所を出た俺たちは、船に戻ろうと港に足を向けたがエースだけは、パピーを抱えて反対方向へと足を向けた。







「…………。」


「…………。」






残された俺とサッチは、ただその淋しげな背中を見送ることしかできなかった。










それは、本当に最近の出来事だった。

白ひげの船に乗っているせいか、元気よくぴょんぴょんと跳ね回っている姿をよく見せたパピー。だが、最近になって急に転ぶことが多くなった。最初はみんな馬鹿にして笑っていたが、その頻度が増すにつれて段々とおかしいことに気がつき始めた。



そこから事態は急変した。



全く餌を食べなくなったパピー。歩くことは愚か、立ち上がることさえも難しいようで。


「くん、くん、」と鳴いては、必死に俺たちの姿を探している姿も、日に日に力を無くしていった。



これはどう考えてもおかしい、と急いで獣医のいる島を探し、この島に到着して先程獣医に診てもらった。







結果は、脳の奥深くに悪性腫瘍ができてしまっている、とのことだった。






人間の脳すら簡単には手術できないというのに、ましてや犬の脳みそではどうしようもない。しかもパピーは小型犬だ。

もう、手の施しようがなかった。









「元来、俺らよりは短い命だったんだよい」


「…………冷てぇな、マルコ。てめぇ、パピーが大事じゃねぇのかよ!?」


「………大事に決まってんだろい」






寒い夜には、必ず俺の布団の中へと潜り込んでくるパピー。体温でならば、エースやサッチの方が高いというのに、どうやら寝相が悪く、潰されてしまうようで。布団を持ち上げ、中に入るように促すと、「くんっ」と嬉しそうに鳴いて入ってくるパピーは、それはそれは可愛くて。微かな温もりを抱いて寝れば、その日一日の疲れなんざ、すぐに吹き飛んでいった。





「……大事だからこそ、残った時間を大切にしてやりてぇんだよい」


「………っ……。」





それに、俺よりもずっとエースの方が辛いはず。パピーはエースに1番懐いていた。エースも誰よりもパピーを可愛がっていた。


そんなエースが何も言わねぇんだ。


………俺たちがぐだぐだ言ってられっかよい。




「帰るぞ、サッチ」


「………あぁ」


「親父に報告しねぇとな」


「……………。」




サッチが黙って頷いたのを確認し、俺は再び歩き出した。



























「パピーが来てから何年経つんだろうなぁ…」


「キャンッ」




クリーム色のふっかふかの綺麗な毛並みを撫でてやると、気持ちよさそうに目を閉じる。きっともう、俺の手の暖かさなんてわからないだろうに。パピーがわかったように返事を返すから、俺は勘違いをしてしまう。



いつまでも一緒にいられるなんて、夢のまた夢でしかないんだ。





「お前がもし人間の女の子なら、きっと別嬪さんなんだろなぁ…」



「くん?」



「エース兄ちゃんとか、呼んでくれんのかな?」



「くー…」



「ルフィは兄ちゃんなんて呼んでくれなかったからよ、嬉しいなぁ…」



「くんっ」



「ははっ、わかってるよ」






お前は可愛い妹だぜ、本当に。










俺の目から、雫が一つ、ポトリと落ちた。



「ありゃ、おっかしいなぁ…」



一度流れてしまうと、関を切ったように流れ出した涙。クリーム色のパピーの毛並みを濃い色へと変色させていく。そんなことさせたくなくて、必死に止めようとするのに、止まってはくれない。





「………なんでっ」







抱いている腕に力が篭る。苦しいのか、パピーが俺の胸をくいっと押すのがわかったが、力を緩めることができない。








「く〜ん?」







そんな声で、鳴かないでくれよ。










「なんでっ、なんでパピーなんだよぉっ…!!」









そんなこと、お前に聞いたってわかんないよな。むしろ、お前が聞きたいくらいだろうに。俺は本当に馬鹿だ。馬鹿で情けなくて、パピーの命一つも救ってやることができない大馬鹿野郎だ。



こんなに小さな命なのに。




それでもこの小さな命は、数えきれないくらいの奴らの命を救ってきた偉大な命だ。



なあ、知ってっか、パピー?




お前がいてくれたおかげで、どれだけの仲間が救われたか。


お前が甲板でぴょんぴょん跳びはねてるのを見ると、くだらない悩みなんざどうでもよくなって自然に笑っちまうんだよ。


お前ってすごいよな。本当に魔法使いみたいだったぜ。


本当はお前は魔法使いの子犬だったんじゃねぇのか。そういやほら、出会ったときだって。あんな寒空の下、生きてたじゃねぇか。


思えばあんとき俺が親父にお使いを頼まれなきゃ、お前と出会うことすらなかったんだな。やっぱり親父はすげぇな。ごめんな、パピー。やっぱりお前は魔法使いの子犬なんかじゃなくて、親父の娘なんだよな。俺たちの妹なんだよな。

そうか、そうだよな。








「帰ろ。親父んとこ、帰ろうな。」



「くんっ」







見えない目で、動かすことも辛い腕で、俺の手の平を捜し当てたパピーは、慰めるように手の平をペロリと舐めた。

































親父の膝の上に乗せられたパピーは、猫のように小さく丸まっていた。その息は荒く、うっすらと開かれた目は焦点が定まっていなかった。いつもは温かなその身体は、だんだんと熱を失っていき、鼻の頭もすっかり渇いてしまっていた。







「今日が山か」




親父が低い声で呟いた言葉にエースが小さく頷いた。


周りには各隊の隊長たちを初め、ほとんどの船員たちが集まっていた。皆、一心にパピーを見つめ、「大丈夫か?」「頑張れよ」と声を掛けてやっているが、いつもの元気な返事はない。







「エース」


「………なんだ、親父」


「撫でてやれ、お前の手で」







親父に声を掛けられ、俯いていたエースはそっとパピーに手を伸ばした。



だが、想像以上に冷えてしまっている身体に、思わず手を引いてしまった。






「エース」


「無理だっ、親父!おれ、おれ……!」


「エース」


「触れねぇよ!だって、だってこんなパピー………」







俺、知らねぇよ……、とか細く呟くと、その場に膝をつき、再び俯いてしまった。



パピーの身体はいつだって暖かかった。ふわっふわの毛並みも、元気な鳴き声も、俺の頭の中に鮮明に残っているのに。











「エース、パピーが泣いてるよい」






マルコの声にハッとして頭をあげる。





親父の膝の上にいたパピーは、俺の方に顔を向けていた。


もう目が見えていないのだから俺がどこにいるのかわからないはずなのに。


もう声を出す力もないから、一生懸命に尻尾をピンと立て、撫でてくれと、泣いている。




俺は吸い込まれるように、パピーの身体に手を伸ばした。






「パピー……」








返事はない。


パピーは尻尾を一振りするとぱたりと降ろしてしまった。







「パピー…?」








どうしてパピーだったんだろうかと何度も考えた。


だけど、俺は馬鹿だから答えなんて見つからなくて。


きっとパピーは世界で一番優しい犬だから、他の犬の不幸を一身に受け止めたんだな、と思った。

だが、パピーの身体はそんな大きなものをしょい込めるほどでかくないから。


頑張ったんだろうな、こんなにボロボロになるまで。



なあ、パピー。



お前は、


………お前は、


















幸せだったか?


















「…………クン」




微かに鳴いたパピーの声に、身体を撫でていた俺の手の平は動きをピタリと止めた。


すんすんと鼻を鳴らしたかと思うとパピーは半分閉じかけていた瞼をしっかりと開いた。







そして、



















「…………ありがとう、パピー」





止まっていた俺の手の平を包むように乗せられた尻尾。

絡まったそこからは、暖かさだけが滲み出ていて。









パピーは満足そうに尻尾をユラユラと揺らすと、静かに瞼を閉じた。











それは、降り注ぐような星空の夜の出来事でした。



小さな命は、静かに空へと旅だって行きました。























「ごめんね、エース。さようなら。」










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