ぜんぶ、すき | ナノ















あなたのぜんぶが大好きだった。





















「ああっ、ここにいたんですか!」



「檜佐木くん、お疲れ様ねぇ。」



「お疲れ様じゃないっすよ!はやく行った方がいいっすよ!」






振り返った私を見つめる少年は、頬に見慣れた入れ墨を彫っていた。








「今更私にどこに行けって言うの?」



「そりゃっあなたは……」



「私はもう引退してんのよ」






そう、私は引退したのだ。


















あなたのいない世界が、すきじゃなくなってしまったから。












あれからもう、110年も経っているのかと思うと、月日は本当に光のようだと感じなくもない。



私が提出した移隊届は、受理されることはなかった。





私が現世から戻ったときには、もうあの人はいなかった。





何があったのか、何処にいってしまったのか。



大事な話をしよう、と言ったのに。




あの人が私に残してくれたものは、なにひとつなかったのだ。













ぜんぶ、すき。



あの人の、さこつも、つむじも、みみたぶも、あしくびも、ゆびさきも、まぶたも、くちびるも、ほっぺたも、えりあしも……、



ぜんぶが大好きだったはずなのに。





私は一つも思い出せない。












「檜佐木くん、忙しいなら早く行きなよ」



「けどっ…」



「私はいかない。絶対いかない。」



「…わかりましたよ。」








はああ、っとため息をつく姿は、だれかさんにソックリだった。









檜佐木くんの姿が消えた頃。




私は不意に、大好きだった人たちのことを思い出していた。








みんな確かに生きていた。




檜佐木くんや、七緒さんのように、彼らに憧れている人たちもいれば、卯ノ花隊長や京楽隊長のように彼らを思い返していた人たちもいた。





みんな確かに誰かの記憶の中で生きていた。











でも、あの人だけは、私の中のどこにもいなかったのだ。



















「たい、ちょっ……」





もう、どんだけ月日が経ったと思っているの?






「たい、ちょう…っ…」






私の移隊届はどこに行っちゃったの?






「…うっ……たい、ちょ…っ…」







何も思い出せないというのに。















「………すき…だ、よ」
















私は、馬鹿だから。




あなたがすきなのを、やめられなかったよ。



















「………なぁ、お嬢さん」



「…っ……は、はいっ」



「ちょいっと道聞きたかってんけど、………取り込み中やったか?」



「だ、大丈夫ですよ」






思えば道の真ん中で泣いていたのだ。我ながら恥ずかしい。



私は着物の裾で涙を拭い、声を掛けてきた男の人を見上げた。








「どちらまででしょうか?」



「…………。」



「………あの、どうかしました?」



「……なんや、怒っとるんか。」



「へ?」



「そら、何も言わへんかったんはさすがにあれやと思ったんやけどなぁ……」



「あ、あんのぉ…」




頬を掻き出した男の人は、何やら気まずい様子で私を見つめている。


誰かと勘違いでもしているのだろうか。どうせ、元カノか何かだろう。


私は焦って何やらぶつぶつと呟いく彼にそっと微笑んだ。








「ごめんなさい、誰かと勘違いしてるでしょう。」



「ああ?」



「あなたのような素敵な人、覚えておりません。」



「…なっ、」



「さ、早く、ご案内させてくださいな。」




男性はぽかんと口を開けている。



私は袖元で口を覆い、笑ってしまった。



















「……………ほんなら、五番隊隊舎まで頼むわ。」




その言葉に私の動きがピタリと止まった。









「五番隊隊舎、ですか?」



「そや」



「五番隊隊舎へは、死神じゃないと行けませんよ」



「せやから、あんさんに頼んどるんやないか」



「………どういう、意味で、」














「死神のあんたに頼んどるやないの」











私が死神ですって?



この人は、いったいいつの話をしているの?




私が死神だったって知ってるのは、一部の人間だけなのに。










「あなた、どなた?」



「……忘れてもうたんやな」



「忘れ、て…?」



「そら、堪忍なぁ…」



「っ…待っ…」





彼が私に腕を伸ばしたかと思うと、私の肩をぐいっと掴み、引き寄せられた。






「ちょっ…」



「死神、やめたんか」



「え?」



「頑張ること、やめたい言うたんはこういうことやったんか」



「は?」



「大事な話しよう言うたんは、このことやったんか」



「…え?」



「それとも……」









彼の顔が見えない。



彼のことがわからない。







どくん、どくんと波打つ心臓は、どちらのものなのか。
















「最後の告白も、してくれへんのか」









ねぇ、私はどう答えれば正解なの。




馬鹿だから、わかんないよ…。












「…っ…う、そ」



「……。」



「だって、たいちょは…、…」



「……。」



「現世にって…っ、檜佐木、くん、が……」



「……来たんや」



「…っ………」



「えらそうに、女みたいな喋り方しよって…」



「だっ、て……」



「俺んこと忘れよって…」



「だ、ったら、…もっと、はやく……」



「…………。」



「はやく、会いに、きてくださ……」















拭った涙が再び溢れてきたとき、男の人の顔がやっと見えた。




肩で切り揃えられた金色の髪は、昔とはまた違う雰囲気を醸し出していた。







「髪、切って……」



「……お前は切らへんかったんか」



「………だって、」



「あ?」




「だって、私まだっ…」




















最後の告白してないよ


















隊長が目を細めた。


涙がこぼれる。


心臓がドキドキする。





苦しいよ、たいちょ。




















「たいちょ、すき。だいすきだよ。」


















馬鹿だから。


やめられなかったよ。





この長い月日の間、私はずっとあなたが大好きだった。















「たいちょ、」



「…っ……」



「…泣かない、で」



「…お前こそ、」



「たい、っ…」



「堪忍な、っ…」








再び腕を引かれ、その胸へと抱き寄せられた。










そして、私のうなじに唇を寄せた隊長は、聞いたこともないような優しい声で囁いた。

























あいしとるよ、と囁いたあなたの唇に、私はそっとキスをした。













- END -












110616 SAKURA









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