脱色短編 | ナノ



夕暮れというのは、時に残酷だ。

昼間誰もを明るく照らし続けた太陽が、地平線の彼方にその身体を沈ませていく。

人間というものは、心のどこかで光を探し、求め、そして追う生き物だ。

光を失ってしまう恐怖は、無自覚の間に人間の中に住み着いている、一種の強迫観念である。

たとえ暗闇を好む者であっても、光と闇は表裏一体の関係であり、どんなに光を否定したところで闇という存在が有る限り、光の存在を消すことはできやしない。

ならばどうして夕暮れが残酷なのだろうか。

それは、両者にとって夕暮れとは、まさに中途半端で"不安"を象徴しているかのごとく、どっちつかずの存在だからだ。

人間、自らを中途半端だと感じた時、同じ中途半端な仲間を探してしまう、人間らしい弱々しい思考を携えているものだ。

仲間意識を持っている限り、人間は安心感の中に身を埋め、さしもそれが当たり前のような感覚に捕われてしまうのだから恐ろしい。

裏を返しても、自分は完璧だと自信満々で言い張れる自意識過剰な人は、いったいどのくらいいるだろうか。

勘違いだと一蹴するのはまだ早い。

決して勘違いなどではなく、彼らにとってそれは当たり前なことであり、他人の上に立ちたいという、これもまた、人間ならば必ずしも誰もが持ち合わせる本能に従った心理であるからだ。

しかし、いくら完璧だと自負しようとも、実際問題、そんな人間は存在しない。

ならば完璧な人間が、初めて挫折を経験した時にはどうするのだろうか。

答えは簡単だ。

彼らもまた、今まで弱者だと見下してきた人間たちと同じように、実体のない、中途半端でありながら安心感の得られる得体の知れないものへと手を伸ばしてしまうのだ。

だから、中途半端という存在が一番残酷なのである。

時に、卑下し、時に、安心感を生み、時に、無情にも突き落とす。

不安こそが恐ろしいのだ。



では、好んでその不安に手を伸ばしている私という存在は、いったいどちらに当て嵌まるのだろうか。



夕暮れになった。

何色とも呼べない、私にとってはこの世のどんな言葉でも表すことのできない輝きを持った不思議な色が、誰もいなくなった書庫室を彩っていた。

雲一つない夕暮れ空。

しかし、私の死覇装は、まるで夕立の中を駆け抜けたかのようにずぶ濡れで、床にはいくつもの小さな水溜まりを作っていた。

申し訳程度に絞ってみたが、とても絞り切ることはできず、今だに水滴を滴らせている。

何しろ、バケツ5杯の泥水をぶっかけられたのだ。

水道水ならまだしも、泥水のため、濡れた死覇装には砂や泥がこびりついていて、言わずも顔まで汚れてしまっていた。

仕方なく死覇装の袖で顔を拭ってみたところで、汚れたものを汚れたもので拭っても結果は同じ。

諦めて放置したまんま、いまだに乾く気配はなかった。

救いは水が冷たくなかったことで、夕暮れになりだんだんと冷え込む時間帯にずぶ濡れのまんまでいたら間違いなく風邪を引いてしまうだろう。

しかし、このままの状態でいるわけにもいかない。

早いとこ仕事を片付けて、自室に戻り、着替えてここの床を掃除しなければならない。

ちんたらしていたら、真夜中を過ぎてしまうだろう。

今日、何回目かわからないため息をつき、手にしていた資料を元の棚に戻した。





「えらい格好しとるんやなぁ」






今まで静寂に包まれた空間に、音もなく現れた存在。

思わず手にしていた資料を落としかけたが、しっかりと抱き直し、恐る恐る入口を見た。


目に入るのは金色。


夕暮れのあの不思議な色によく映えるような輝かしい、金色。


この人によく似合っている、金色。



私は思わず眉間に皺を寄せた。





「自分、五番隊ちゃうやろ?なんでここにおるん?」


喉がごくりと鳴る。

身体中がびしょ濡れにも関わらず、口の中はカラカラに渇いていた。

まさかまだ、人がいたとは思わなかった。

私が今持っているのは、持ち出すことが禁止された五番隊の極秘資料。

私なんかがわかりもしないようなものがつらつらと書かれているのだが、事実、手にしているのは私。

どんな言い訳をしたところで、圧倒的に不利な立場だ。

逃げ切れるのならば逃げたいところだが、相手は隊長格。

結果は目に見えている。

ならば、どうしようか。

どのような反応をすれば、彼は望み通りの反応をしてくれるだろうか。




「平子、隊長」


「何や」


「どうしてこちらに?」


「なんでもええやん」



平子隊長は濡れた床など構いもせずに一歩一歩私に近づいた。

私との間を一歩分空けて、隊長は立ち止まる。

見上げた顔は笑っているのに、決して笑ってはいなかった。

やはりこの人は恐ろしい。



「それ何か知っとる?」


「持ち出し禁止の秘密文書です」


「よぉ知っとるやないの」



口の端を上げてニヤリと笑った隊長は、固まる私の手から素早く資料を奪い取り、本棚へと寄り掛かった。


終わった。


このまま続いて欲しいとも思わなかったが、間違いなく私の死神生活は終わった。

この場で私は殺されるのだろうか。

それとも四十六室の裁判に掛けられて、処刑されてしまうのだろうか。

どっちにしろ、明るい未来なんてない。

待っているのは、闇だけか。

夕暮れの空間に居続けることはできないのだろうか。


様々な考えが頭の中をめぐっていた時、不意に頬に暖かな感触が拡がっていることに気がついた。

それが平子隊長の手の平だと気がつくまでに時間が掛かってしまい、気づいた瞬間、目に見えるように身体をビクリと震わせてしまった。

平子隊長はそんな私の反応など関係ないかのように、しばらく頬に手を当てていたが、ゆっくりと私の唇へと指を移動させた。

先程の嘘臭い笑みが嘘のように、その顔には優しい笑みが広がっていた。




「怯えることあらへん」


「…………」


「あんたがやっとらんことくらいわかっとんねん」




平子隊長は手にした資料を乱雑に棚の中に押し込むと、困ったような表情を浮かべた。




「女が身体を濡らすもんやないで」




手にしていた真っ白な手ぬぐいを私の頭の上に乗せると、そのままわしゃわしゃと拭いてくれた。



「た、隊長っ、汚れてしまいます」


「構へんねん」


「ですがっ…」


「ええって言いよるやろ」


「……っ…」



そこまで言われてしまっては、もう返しようがなく、私は黙ってされるがままになった。

平子隊長の手ぬぐいは、まるで平子隊長のようにお日様の匂いがしているようで、何ともいえない安心感に包まれた。

中途半端な私が、まさか安心感に包まれるようなことがあろうか。持論を展開したところで、私には解り得ない境地に達している。

果たしてこれは私なのだろうか。









「堪忍な」




元の静寂に戻ったところで平子隊長から発せられた言葉。

私には理解し得ない。

なぜ隊長が謝っているのだろうか。


不思議に思い顔を上げると、見たこともないような表情で私を見る平子隊長が映った。




「お前がうちの隊の奴に嫌がらせされとんのは知っててん」




あぁ、この人は何もかも知っていた上で私に話し掛けたのか。

優しい彼は私のされたことを知ってどう思ったのだろうか。






「平子隊長、私は」


「綺麗やと思っとったわ」


「は?」




紡ぎ出された言葉に、思わず口が開いてしまう。





「その銀色の髪、ずっと綺麗やと思っとったんや」




そう言って貴方は苦笑いを浮かべて私の頭を撫でるものだから。

私は何も言うことが出来なくなった。



私の髪は銀色なんかじゃない。

汚く濁ったどぶのような灰色。


中途半端で誰からも認められることができない私にピッタリな私の色。


この色が気持ち悪いと、嫌がらせをする同僚達の気持ちがわからなくもなかったから言い返すことができなかった。

むしろやはり私は中途半端な存在なんだと、より一掃思い知らされた。

抜け出すことのできない闇。


その中で見つけた光だけは、どうしても手放すことができなかった。





「これは灰色です」


「ちゃうやん、綺麗な銀色や」


「銀色じゃありません、これは灰色なんです」



貴方の金色と対になる銀色ではない。


私は汚く濁った灰色だ。




決して貴方の目に映っていい色ではない。





「俺が銀色いうたら銀色やねん」


「違います、これはっ」


「もう黙れや」




静かに言った貴方の指が、また私の頬に触れたかと思うと、頬を伝っていた何かを拭い取った。





「綺麗な綺麗な銀色」


「……っ…」


「俺の好きな色や」


「…っ………」



私の頬に伝っていたものがわかる前に、私は何か暖かいものに包まれていた。







「俺は金色やねん。銀色と相性バッチリやろ?」








中途半端な存在に光が注がれた時、今までが嘘のようにゆっくりと安定する。

恋い焦がれた光は、私の濁った今を美しく輝かせてくれた。

夕日が沈み、夕暮れは終わった。



けれども私には光だけが残っていた。








全部が知っている







100804






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