2013 | ナノ






「黒子の色が透明なら、わたしは真っ黒だね」


泣きそうな顔で彼女が吐き出すように呟いた言葉。訳がわからずに首を傾げた僕に、彼女は泣きそうな顔のまま笑う。



「もう疲れたよ。バスケを見たくなくてここに来たのに、わたしは何してるのかな。」

「バスケを、見たくない?」

「見たく、ない……思い出したくなかった……。」



彼女の口から吐き出される言葉には、一つ一つに彼女の苦しみがあった。笑っていたはずの顔は次第に歪み、泣き出しそうな瞳から一筋の涙が流れる。

部活の帰り道で公園に設置された無人のバスケットコート。僕と彼女だけで構成されたこの世界に、涙がぽつぽつと流れていく。バスケットボールをつく手を止めると、そのままボールは彼女の足元へ転がって行った。



「何か、あったんですか?」

「……ない、ないよ」

「だったら、」

「もう、何も持ってない」


顔を覆って泣き出した彼女の背中は痛々しい。思えば、彼女のこんな姿は初めて見た。

新しく誠凛高校に新設されたバスケ部で、マネージャーとしていつもにこにこと笑顔を振り向いていた彼女。学年は一つ上だけれど、屈託ないその性格から後輩からもよく慕われているし、何より部長や監督から絶対的な信頼を寄せられていて、誰もが完璧なマネージャーだと思っている。僕だって今の今までそう思っていた。



「……使ってください。」

「……。」

「綺麗なんで、大丈夫です。」

「…ありがと。」



涙をぽろっぽろ流しながら弱々しく僕が差し出したタオルを受け取る彼女。



「話せますか?」

「うん」

「話してください」

「うん」

「僕は空気でいますから」

「そうだね、黒子は透明だ」


ふふっ、と少しだけ笑みをもらす彼女。ぐずっと鼻をすすると僕のタオルで涙を拭う。ゆっくりと彼女が座っている横に座り、顔を伺った。




「わたし、バスケしてたの。」

「え?」

「中学のとき、女バスしてた。りこと順平ともそこで知り合った。」

「そうだったんですね。だから、バスケのことにも詳しかったんですね。」

「うん。」



私には、コートに立つ選手の気持ちが手に取るようにわかる。



そう呟いた彼女の瞳に光はなかった。




「でも本当は、誠凛きてマネージャーなんてやるつもりはなかった。」

「……。」

「そしたら、黒子には出会えなかったんだね。」

「そう、ですね。気づいてもらえなかったと思います。」

「ふふっ、そうだね。気づけてよかったあ。」



不意に彼女の右手が僕の左腕を掴む。そのままキュッと僕の左腕を引き寄せる彼女。必然と縮まる距離に緊張していたときに、耳に響いた彼女の言葉。




「私の足、壊れたの。」




ぽつり、と囁いた言葉には重みがあった。



「壊れ、た?」

「そう、壊れた。私が壊したの。」

「怪我したんですか?」

「違う。過度の負担で壊れたの。」

「そう、なんですか。」


俯いた彼女からは表情が見えない。それでも左腕を掴む力はだんだんと強くなっていく。



「最後の試合出れなかった。私は部長だったのに。」

「…。」

「そのせいで負けた。全部私のせいだった。」

「それは、」

「みんな『私は悪くない』っていった。りこも順平も監督もチームメイトも。……でも、その目はみんな私を責めてた。」

「……。」

「バスケはやめた。だから、バスケ部のない誠凛にきたのに。」


なのに……。



その先は言葉にならない。僕は左腕を掴む彼女の手をそっと掴み、僕の左手と繋いだ。彼女はあったかい、と呟き、少しだけ笑った。




「……あなたが、真っ黒ですか。」

「……うん。みんながバスケしてるの見てるとたまに腹が立ってくる。」

「怪我しろ、とか思うんですか?」

「そこまでは思わないよ。でも、ズルいって思ってる。」

「それくらいなら真っ黒じゃなくて中黒くらいですよ。」

「なにそれ」


ふふふ、と涙の跡が残る顔で笑った彼女。僕は繋がれたその手に力を入れた。

夕陽はまだ沈む様子はないし、ここが暗闇になるまでにはまだ時間があるだろう。彼女と話す時間がまだ残っているというのなら、少しだけ真っ黒について話したい。


君が安心できるのなら、僕はいくらでも……。



「……知ってますか?真っ黒な鴉の番は、一生一緒なんです。」

「つがい?」

「夫婦のことですよ。一生をずっと同じパートナーと過ごすんです。」

「……片っぽが死んじゃったらどうするの?」

「それでも、残された方は一生伴侶を思い続けて生きていくんです。」

「……素敵だね。」

「そうでしょう?」




彼女と繋がれた僕の左手はあったかい。この世界に僕と彼女の二人だけならば、僕はずっと彼女の左手を握りしめてずっと温めてあげるのに。そしたら、もう怖いものなんてないでしょう。




「僕が透明だっていうのなら、僕をあなたと同じ真っ黒に染めてください。」




きょとんとした顔で僕を見上げる彼女。僕より少しだけ位置の低いその目線に視線を合わせて見つめ合う。ああ、彼女はとても暖かい。



「そしたら僕は、真っ黒な鴉になってあなたの番になります。」



それなら真っ黒だって、悪くないでしょう?




意味を理解した彼女は、真っ赤な顔をしてわたわたとした後、しばらく俯いて、そしてゆっくりと顔を上げて、ふわりと笑った。




真っ黒な番の鴉は、
一生を共に生きていく

絶対に浮気なんてしないし、
気持ちが薄れていくことだってない

真っ黒な番の鴉は、
片方が旅立ったときには、
黙ってその生涯を全うし
そして、旅立つのだ

愛しい貴方のもとへ



「わたしが鴉?」

「そうです。」

「で、黒子も鴉になってくれるんだ。」

「あなたが望むのなら、僕は鴉にでも犬にでもなってさしあげますよ。」

「犬はもういらないでしょう?」


私の知ってる真っ黒と違う、と笑う彼女は一番綺麗だ。




記憶色彩

反比例する距離


コートに立つ僕とコートを見つめる君との距離


「で、それってプロポーズ?」
「さあ、どうでしょうね」



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