数年ぶりに地毛に近い色に戻った髪は、数回にわたる染色に相当なダメージを受けており、私はトリートメントとついでに縮毛もかけ直した。ついでに失恋したわけでもないけれど、肩までばっさりと切った。
そして、制服を着て、鏡の前に立つ。
ベルトを外した。ボタンを留めた。正規のネクタイに正規のハイソ。
鏡に映る私はまるで別人で、そんな姿を見るのが嬉しくもあり、なぜか怖くもあった。
そう、別人なのだ。いまの私は、彼と出会うずっと昔の容姿なんだ。彼はどう思うだろう。変じゃないかな。気持ち悪くないかな。
「嫌いに、ならないかな……」
ぽつりと呟いたところで、ハッとする。
「じ、時間っ!!」
携帯を引っつかみ時計を確認すると遅刻ぎりぎりだった。慌ててかばんに携帯を突っ込み部屋を飛び出そうとして、立ち止まる。
もう一度だけ、
「…………よし。」
鏡の前で小さな深呼吸。ざっと姿を確認し、私は一目散に飛び出した。
ところが、
「寝坊したから置いてきちゃったんだよねー」
「………。」
「ていうか、なまえすごくばっさりいったんだね。可愛いし、すごく似合ってるよ」
「………。」
「あー…、その、ごめん?」
「…わたし帰ろっかな」
「まだ一限も始まってませんよ、お嬢さん」
ぎりぎりHRに間に合った私は、きっちり真面目にHRを受け、もう一度深呼吸して隣のクラスに向かった。なのに、エースの席は空っぽだった。ちょうど廊下に出ようとしたサボくんを捕まえると、サボくんはきょとんとした顔を浮かべて次の瞬間目を点にして「なまえか!誰かと思った!」と言って笑った。
「黒い髪も似合ってんじゃん」
「それ以上言わないで、涙出そう」
「え!?」
訳がわからない、て顔するサボくんには悪いけど、私はまじで涙出てくる5秒前状態だ。自分のつまらない意地で誰も気づかないようなことかもしれないけど。
「なまえ?」
「サボくんありがとさようなら」
「え、ちょ、なまえ!?」
私はくるりと振り返って自分の教室にダッシュして、自分の机に着席して、そのまま机の上にふせった。
なんなのなんなの!私の朝の緊張はなんだったの!あんなに何回も鏡を見て、整えて、頑張ったのに!エースのばか!はげ!きらい!………いや、きらいじゃないけど、でも、来ないエースが悪い、でも、きらいはない、ないけど……!!
一人で悶々と机とにらめっこしているわたしはさぞ不気味だろう。ただでさえいきなり見なりが変わって不思議がっている同級生は、あからさまな視線を向けてくる。
でも、不思議なことに全然気にならない。怖くない。
私、強くなった、よね…?
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせていると、ふとエースの声がした気がして、何気なく窓の外を見た。
すると、そこには大きな欠伸をかましながら悠々と登校してくるエースの姿があった。
あと3分で授業が始まるというのに呆れた男だ。じーっと見ていると目が合った。だが、どうせ気づいていないと思い、私から目を反らした。
サボくんだってすぐ気づいていないんだから、鈍感なエースが気づくわけないじゃん。
机に肘をつき、あと2分で始業時間になる時計を見遣った。
ヴーヴー
「………。」
誰だよ、携帯鳴ってるよ。
ヴーヴー
「………。」
早くしないと切れちゃうよ。
誰かの携帯のバイブレーションがぼんやりと鳴っている。すると隣の席の女の子が、私の肩をつんつんとつっついてきた。
「……?」
「携帯鳴ってるの、みょうじさんじゃない?」
「え?」
おもむろに携帯を取り出すと、確かに私のが鳴っていた。そうだ、朝慌ててたから電源切ってなかった。
「あ、ありがと…」
「!…どういたしまして」
にっこり笑う女の子に、私もぎこちなく笑みを返した。
液晶に映る "エース" の文字。あと2分なのになにやってるんだろう、なんて思いながら電話に出た。
「もしもし」
『なんで無視すんだよ』
「えっ…」
慌ててもう一度窓から校庭を覗くと、携帯を耳にあて、不機嫌そうにこちらを見上げているエースがいた。
『おい、聞いてんのか』
「…わかったの?」
『ん?』
「私って、わかったの…?」
距離からして数十メートル。一個人を見分けるのにだって難しい距離なのに。窓越しに映る私が、こんなに変わった私が、わかったっていうの?
『……俺がなまえを見間違うわけないだろ』
「っ…」
『どんだけ見てきたと思ってんだばーか!』
「っ…、うるさいっ、エースのがばかじゃんっ」
『ははっ』
不機嫌な顔から一転。太陽のような笑顔を浮かべるエース。時計が始業開始1分前を告げる頃。
エースは通話を切ると、校庭のど真ん中で、大きな声で叫んだ。
「なまえっ、愛してる!!!」
恥ずかしいとか照れ臭いとか、もうそんなのどうでもよかったのかもしれない。
「わたしもーっ!!!」
叫び返したその声は、ちゃんとエースの耳に届いた。
1番にあなたに可愛いって言ってもらいたかった、なんて。
言葉なんか必要ない。エースはどんな私でもちゃんと受け止めてくれる。
怖い、って何だっけ。私はいったい何に怯えていたんだろう。どうやら変わったのは見なりだけじゃなかったみたい。単純なのか馬鹿なのか、なんだか世界がキラキラ輝き出した気がする。
ガープ先生に見つかって、追い掛けられはじめたエースを見つめる。いま浮かんだ笑顔は、きっと、絶対、本物。
始業のチャイムと同時に、私もゆっくりと一歩を踏み出した。
終わらない恋になれ
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