∴ 09

「…イ、シュ…」
「っは、やっと喋ったな、お前」

前髪がはらりと垂れている。せっかくきっちりと止まっていたボタンも、第3くらいまで空いている。

「……なんで、僕、」
「忘れ物だ」
「あ―――」

全部身に着けたと思ったけど、1つだけ忘れ物していた。
僕がこの世界に来るきっかけになった、宝石つきの眼鏡。
判断力が鈍っていたのもあるけれど、この世界では眼鏡なんて使わなかったから忘れていた。

「……」
「戻るぞ。花嫁が逃亡なんてとんだ笑い話だ」

もはや希望を無くした僕は、イシュに連れられるまま動くしかなかった。


白いウエディングドレスはぐちゃぐちゃでところどころ汚れていて、それを持ったオリエさんが泣きそうな顔で見つめてくるから。


結婚式は花嫁の体調不良ということで延期になった。
まずは城内だけの小規模な結婚式だったから、そんなにお咎めはなかった。
そうイシュは言っていたけれど、そんなことあるわけないと思う。
一国の王の結婚式をボイコットする花嫁なんて、許されないだろう。


部屋を真っ暗にしてたたずんでいたら、ドアが開いた。
イシュが立っているけれど、月が雲で隠れていて顔が良く見えない。
僕はちらっとイシュを見たけれど、また窓の外に顔を向けた。
そうして言葉を続ける。


「イシュ、僕は元の世界に帰りたいんだ。イシュだって、ボイコットするような花嫁、嫌だろう?それに眼鏡についている宝石が証だったら、また元の世界に戻ったとき、どこかに放り出しておく」

そうしてまた、それを元に誰か違う人を呼んでほしい。
僕以外の誰かを。


黙っていると、微動だにしなかったイシュがこっちに歩いてきたのが分かった。
だけど振り向かない。


「……お前は、俺のことを少しでも思わなかったのか」
「……」
「――――――そんなにも元の世界に戻りたいのか」

無言で、うなずいた。
長い長い溜息が、思ったよりも近い場所で聞こえた。
びっくりして後ろを振り向こうと思ったら、ベッドにすごい力で押し倒される。


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