∴ 10

あれからどれだけ時間がたったんだろう。
廊下の隅で僕が膝を抱えて泣いていると、階段の上から僕を呼ぶ声が聞こえた。僕のことをこんなにやさしく呼んでくれる人は、今、一人しか思い浮かばない。
心配させちゃいけない。すくっと立ち上がると、ごしごしと目元をこする。
ひょこっと上から僕の姿を見つけると、にこにこと駆け寄ってくるミツミさま。
でも僕はそれにうまく笑えない。明らかに不審な様子に、ミツミさまの顔色が変わった。

「リー………どうした、リオ」
「な、なんでもないで…」
「なんでもなくないだろ。何で隠すんだ」

ぐっと、俯いた顎を捉えられる。無理やり視線を合わせられるけど、僕は目が泳いでしまう。

「……リオ、泣いた?」
「っ」
「目、赤くなってる」

ここじゃなんだから、おいで?
ミツミさまは僕の手を引いて、お部屋に連れて行ってくれた。あったかくて大きな手だった。




「……そっか。お母さんが作ってくれたセーターをか……」

こくり、と小さくうなずく。あれからミツミさまに説明する前に、ほつれたセーターが見つかってしまった。それを見て、ミツミさまは僕が何かを言う前にあらかたわかっていたみたい。

「真っ白だな」
「……でも、汚れちゃった……」

カイル様に踏みつけられて、くっきりと足の跡がついてる。セシル様には思い切りひっかけられて…。
お母様が唯一残してくれた、真っ白のセーター。こんなにも汚くなっちゃった…。
またぽろぽろと涙があふれてくる。

「リーオ、大丈夫だって」
「…ずずっ、えぇ…っ?」
「糸がほつれたところは、俺がまた直してやる。汚れたところは綺麗に洗ってやる。……まあ、元には戻らないかもしれねえけど…」

だけど、もう泣くな。
困ったようにミツミさまが笑うから。
僕は急に目の前のこの優しい人に抱きしめてほしくなって、自分からぎゅううと抱きついた。それは僕からの初めてのハグだった。
ミツミさまはちょっと固まってたけど、ちょっと経ってからぎゅううと抱きしめ返してくれた。

「…ミツミさん、ありがとうございます…」
「リオ…さん付け……―――気にすんな!」

あれだけ頑なに拒んでいた呼び方も、すんなりと口にできた。



後日、ミツミさん特権で最上級の石鹸を貸してもらい、見違えるほど白いセーターは綺麗になった。そしてほつれてしまった部分は、ちょうど左胸に位置するからと、ミツミさんが赤い布をハートに切って、縫い付けてくれた。

「リオのハートは俺のものー、なんちって」
「えへへ、嬉しいです」
「えっ、そ、そうかっ!」

ミツミさんが器用に作ってくれた赤いハート。その思いやりに嬉しくてお礼を言うと、あたふたと慌てていたミツミさんがいた。どうしたのだろう。

白いセーター、もっと大切にしよう。母様だけじゃなくて、ミツミさまのやさしさも加わったから。
ぎゅっとにぎりしめてセーターに顔をうずめると、石鹸とほのかにミツミさまの匂いがした。
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