オレンジ


「痛っ、」

切れた唇にそれはじんわりとしみて、痛い。ぴりぴりする。

(痛い)

包丁を手から離して、ひとつだけつまんだそれに無視をして遠ざかる。もういーや。
何をしているの、相変わらずの無表情で聞かないでよ、味気ないなあ。それが気にくわなかったかどうかは分からないけどやっぱり無表情でどうでもいいでしょう、やっぱり君はどこか欠けてるよ。まくし立てたそんな言葉に目もくれず黙々と作業に徹する。うん、面白くないな
資料をさくさくと見つける秘書を横目で見ながらソファーに埋まるように腰掛けて横たわる。日本人は横を向いて体を丸めたがるというのはさがだから、俺はそれに従う。本能的な性、無自覚の性に従うのは思うより心地が良かった

手を伸ばして秘書に見えるよう大きく振って名前を呼ぶ。俺は波江と上司と部下のような関係ではあるけど、彼女ははっきりと言ってくる。だからこそ気楽でもあるのかな、無駄にイライラすることもないし何より本当に、気楽なんだよ。「ねぇ波江さん、リップ買ってきてくんない?」ちょっと、そんな訝しげな目で見ないでよ俺が変みたいじゃない。そっちの趣味が、ってああもう!違うよ!薬用でいいんだから。

「荒れてるの?」
「そう、乾燥して」
「あぁ、だから、」

それはあそこに放置しているのね。資料を持って見ながら歩く彼女は分かりきってはいるけど無表情で、どうでもいいと言わんばかりにまた作業を進める。大当たり、大正解だよ!そう言っても「ちっとも嬉しくないわ」、はぁ、面白くないなあ。

「それと、そこ。洗っといて」
「私は家政婦じゃないわ」

指差した先には俺が切ってそのままのそれがあって、液体がシンク伝いにぼたぼた落ちている。独特の爽やかな香りを散らしながら、ただそれは、そこにぼたぼたと涎を垂らすようにしてだらしなく居る。

(痛いな、ほんと)
小さな小さな傷がこんなに痛みを増すだなんて、なかなかない事なんじゃない。
唇、舐めたら余計乾燥するわよ。そんな忠告を受けたところで従うでもなく俺はそう、そう言うだけ。残りのそれの始末をどうしようかと考えて特に執着心も無いからだるい体を起こして袖を少し上げて、指先でつまんでゴミ箱行き。爪の中に入り込んで沁みて黄色くするそれは厄介でしかない。嫌いになっちゃおうか、見たくない程度に

「薬用でいいのね」
ああうん、買いに行ってくれるんだ?ついでよ、そう言い放つ彼女の言葉の本質はよく分からないままに部屋を出ようとして、振り向いた俺をみて立ち止まった。そうね、その前に、


「オレンジ、切ってあげましょうか」

「遠慮しとくよ」


閉じこめられた香りは俺の鼻に届きはしなかったけど残った香りは届いて、不快感のような、爽快感のような気持ちを俺の心に残しておいて、でもそんなことどうでもよくて、やっぱり君はどこか欠けてる。あなた程では、そう笑うところも含めて、俺はどこか君に、よく分からないある気持ちを持つ。





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