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あの夜の浜辺での一件から、私は天上院さんのみならずモモエやジュンコ、遊城十代一味を徹底的に避けた。モモエやジュンコは時折何か言いたげだったので、きっと本当に何も知らなかったんだろうけれど、とにかく私は学園でのあらゆる人間関係が嫌になってしまい、それらをシャットアウトしてしまった。

高等部に入学してから、亮さんや吹雪さんとも会ってはいない。噂では吹雪さんは行方不明で、亮さんは天上院さんと共に行方を捜しているのだという。そのような環境の変化が、天上院さんの心に暗い影を落としたに違いない。そしてそれとは別の話として、彼女は私を憎んでいるのだろうから、矛先が向かうのも無理はない。

何度も何度も、天上院さんとの関係を反芻しては後悔した。軽々しい気持ちで彼女の心の奥深くに触れてしまった事を。私からしてみれば若い過ちで終わるような事も、誰より成熟していた彼女にとっては大切な選択だったに違いなかった。

しかし、過ぎたことは仕方がない。誰にだってこのような疎外感を感じる日があるのだから、文字通り適当にやり過ごすべきである。だけれども、学園のどこへ行っても、彼の…遊城十代の姿は嫌でも目に留まってしまう程に際立った存在だった。
それまで気にも留めなかったはずの彼という人間が、彼の眼の鳶色の澄んだそれを知ったときから、私はどうしても眼の端に彼を認めてしまっていた。

ある日の実習で、私はレッドの男子とマッチングした。レベルが同程度だった為か長期戦へと突入してしまい、既に自分のデュエルを終えた生徒達が暇潰しの野次馬のように集まってきた。

もちろん天上院さんの姿があり、その隣には当然のように遊城十代が、頬杖をついてつまらなそうにこちらを見ていた。

「ちょっと、もう時間無いんだから、諦めて負けてよ。男でしょ」

「何を言ってるんだ、君こそブルー女子のくせにレッドの俺とレベルが同じじゃないか。よし、ドロー!」

お互いの手札は詰み、デッキ枚数も残りわずか。恐らくお互いに、手札にもデッキにも召喚困難な上級モンスターしか残っていないのだろう。壁として機能させている伏せカードを疑ぐり合いながら、ジリ貧の勝負となっていた。

担当教諭が、そこまで!と叫ぶと、授業終了のチャイムが鳴り響き、私たちの勝負は結局引き分けとなった。が、相手であるレッドの男子生徒はそれを良しとはしなかった。

「おい、君、こんなんで俺は納得しないぞ」

レッドの男子は再戦を持ちかけて来た。面倒ごとはごめんだったので無視をして立ち去ろうとしたが、この男はなかなかしつこく、全く引き下がらない。私の腕を掴んで離さない男に根負けした私は彼の要求を承諾し、再戦の為、夕食後にレッド寮にて落ち合うこととなった。

・・・

陽が落ちかけた時間のレッド寮というものは随分気味が悪かった。手入れのされていない木々の間にかなり古びた木造のアパートがひっそりと建っており、錆びた階段には老いた猫が欠伸をしながら横たわっている。裏手は柵もない崖となっており、足を滑らせただけでひとたまりもないはずだ。

手入れの行き届いた女子寮は清潔で洗練された雰囲気を持つが、それに比べるとあまりにもお粗末なレッド寮の姿は衝撃的だった。

寮を前にして、手持ち無沙汰に突っ立っていると、約束の時間から少し遅れて、対戦相手だったレッドの生徒が部屋から出てきた。

「あ、本当に来たんだ」

彼は何かを咀嚼しながら私の目の前に現れた。人と待ち合わせておきながらこの時間まで、どうも未だに食事中のようだ。先程まで抱いていた同情心は興醒めした。

「え…ちょっと。なんなの?」
「なにが…?」
「まだなの?」
「いや、まだ食べてるし…」

そんなことだから落ちこぼれのレッドなんだよと悪態もつきたかったが、その力すらでないほどに呆れた私は、とりあえず中入る?と言う彼の一言で、特になにも考えずにレッド寮の食堂へと身を滑り込ませた。

そこは食堂とは名ばかりの、テーブルと長椅子が雑然と放り込まれただけの台所で、ブルー寮や女子寮と比べると狭く薄汚れていた。その簡素な作りの長椅子にレッドの男子生徒達がひしめき合うように座り、口に物を含みながら乱雑な言葉で話し込んでいる。狭い食堂に血気盛んな若い男達の騒ぎ声はかなり煩く響き、アカデミアに入学する前に就学していた公立の小学校を想起させられた。

彼はちょっと待ってて、とだけ言い残して自分の食事を再開してしまい、無我夢中という感じだったので私は困った。対戦相手である彼の向かいの席には、欠けた椀で味噌汁を啜っている遊城十代がいたからである。

対戦相手である彼の…そういえば名前も知らないのだが…背後の壁にもたれ懸かり、目の前の遊城十代を直視せぬよう自分のブーツのつま先の綻びなどを見つめながら、どうにかやり過ごそうとした。

しかし愚かな私は、ふと顔を上げた瞬間、彼を、遊城十代をこの目に認めてしまった。遊城十代もまた、私のことを見ていた。

「あ…お前、明日香の」
「…明日香の、何?」

反射的に威勢を張ってしまい、しまった、と過ちに気づくが、そんな私に対し遊城十代は唇の端に米粒を残しながら、ニヤリと笑いのけた。

「言ってやんねぇ」

遊城十代は私から目を逸らし、再び自分の食事を口に運ぶ作業を開始した。彼は食事のマナーに対する教養が無いのか、薄い唇から覗く腔内の、咀嚼された米やおかずが私の目を奪った。それから私の存在をまるで無かったかのように無視しだした彼は、隣にいる仲の良さそうな友人と、口の中の米粒を机に飛ばしながら、汚らしくも夢中で喋っていた。

私はその時紛れもなく、彼にエロスを感じた。彼の牙で噛み砕かれ唾液に溶けこんだそれが、とんでもなくいやらしいものに見え、脳裏に焼き付いた。
この感情は、吹雪さんや亮さん、或いは天上院さんの時に衝動的に感じた類のものとはまた格別の、途方も無く衝撃的な性的欲求だった。

「遊城、この女と知り合いだったのか?」

私と遊城十代の不穏な様子に気づいた彼は、目を丸くしながら尋ねた。

「すげー仲良しだよ。恵比寿、お前、これから名無しとデュエルするんだ?」

「そうだけど。もしかしてこいつもお前の女だった?」

「は?勘弁しろよ、こんなブス。ていうか、こいつもってなんだよ」

わはははは、とその場にいた男子生徒が一斉に噴き出した。何が面白いのか全くわからないし、とても自然にブスと言われた為すぐに反応を示すこともできなかった。意味がわからずに固まっていると、遊城十代は再び私を一瞥した。

「ごめん、傷ついた?もしかして俺と夜のデュエルしたかった?」

彼が言うと、またもやどかっと笑いが起き、その場は一層盛りあがりをみせた。これが世間一般的な同年代の男子生徒のノリなのだとしたら、私が今まで見てきた男性という生物とはまた異なるものであると思い知らされる。そう考えると、なんだか私も笑えてくるのだ。彼らには…遊城十代には、悪意が無いのだとしたら、それはなんて心地の良い敵意なのだろう。人と人との関わりを無闇に拗らせるのが得意だった私にとって、彼らの明朗な姿は、新しく、素晴らしいものに思えた。このように、何にも恐れずに振舞えていたとしたら、どれほど気持ちが良いのだろうか。

質素な食事を豪快に済ませた彼らは私を部屋へと招きいれ、予定通りデュエルを行なった。遊城十代も観戦者のうちのひとりとしてその場におり、野次を交えながら愉快そうにしていた。結果は私の負けだったが、悔しいというよりはむしろ、得たものの方が大きい。
この日、最初に遊城十代を知った時とは、また違う印象を受けた。私に対する敵意のようなものも、思うより深刻ではなかった。もし本当に私と天上院さんの件について彼が事細かに知っていたのだとしても、今日のように軽やかに接してくれた彼に救われたのは確かだ。

「恵比寿くん、今日はありがとう」
「楽しかったよ、普通に。君、すごいイヤな女子ってイメージだったからさ、いつも今日みたいにしてたらいいのに」
「いや、普通にしてるけどね」

恵比寿くんが私に対して、取っ付きにくく陰険そうな、女の中の女というようなイメージを抱いていたのだとしたら、恐らくそれは正解だ。そして今日、その印象が変わったのだとしたら、紛れもなく遊城十代のおかげだろう。彼の存在する場では、彼が全ての権利を握っている。彼が笑えば皆笑い、彼が怒れば皆怒るのだ。

日付も変わりかけた頃には観客もぽつぽつと自室へ帰って行き、私もそろそろと言いかけたところで、恵比寿くんも「では、そろそろ帰りますかね」と腰を上げた。私はてっきりここが恵比寿くんの部屋だと思い込んでいたのだが、どうやら遊城十代の部屋だったらしい。

「どうする?今度ドローパン奢ってくれるなら、寮まで送ってやってもいいけど」

恵比寿くんの気遣いに対して、遊城十代は「俺が送るから大丈夫」と言って彼を帰してしまった。
建て付けの悪い戸が不快な音を立てながらゆっくりと閉まると、静まり返った部屋に遊城十代と私がふたりきりとなった。



つづく


171017
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