自己の内部に組み込もうとする取り組みだ。それが最初の過ちだったのだ。

疎ましく感じていた事もある。でもそれ以上に愛しくて、大好きなのだけれど、乱雑な扱いをしてしまう。これ、好きだろう?と差し出してくれたパンを、嫌いだよと言って突っぱねた時も、十代は、そうだったっけ?と恍けて笑った。だから、そんな調子で十代は、私の何でもを許してくれる人なんだと認識してしまった。なんて都合のいい人なんだろう。もっと我儘を言ってもいいんだね。十代を自分の近くに置き離れないように縛りながらも、私は迷惑なんだと、くっついてくるのはお前なんだと言いたげに、振舞った。そんな私を知ってか知らずか、十代はずっと私の隣にいてくれるようになった。翔くんや明日香さん、準くんも時々一緒にいてくれて、心地よかった。でもその繋がりは、飽くまで十代との繋がりの延長線上にあるものだったので、十代ほど親密にはなれなかった。でもそれでも十代がいればみんながいて、笑顔が生まれて、そこは暖かい陽だまりになる。私はそれで満足だった。陽だまりの特等席を誰かに譲る気なんてさらさらなかった。だからそれが当たり前であることのようにみんなの記憶に植え付けて、そう振る舞うことが必要だった。



「ヨハンって奴面白いよ。今度お前も一緒に飯を食おう。」

あの言葉を聞いてからだ。あの言葉を聞いてから、私の中で溜まっていながらも波一つない平穏を保っていた水源が、いきなり大きく揺れて溢れ始めてしまったのだ。私の十代に求めているものが、とうとう本性を現した決定的な瞬間だった。十代はおいしそうにたまごパンを貪りながら、楽しいお話を聞かせてくれていただけなのに、私は勝手に傷付いた。なに一つ勝ち目がないのを直感的に理解していた。

「誰それ。知らない。」

もちろん知っていた。彼と仲睦まじく談笑する十代を知っていた。すごく嫌な感じがしたのだ。彼は十代と同じ雰囲気を持っていて、まるで十代の兄弟みたいなにおいがした。私にとってそれは、とても嫌なにおいだった。

「え?留学生だよ。お前紹介の時いなかったっけ。」

(てめーの隣に座ってたよ。)

「知らないしどうでもいい。新しい友達できて良かったね。」

十代は、おう!と言って微笑んだ。私の眼をまっすぐ見て、眉を上げた。その眩しい笑顔がたまらなく憎くて、気づいた時には持っていたカフェラテを十代にぶちまけた後だった。凍りついた顔が眉根を寄せた。それ以上の十代の表情の変化や発せられる言葉を脳で認識するのが怖くて何も言わずにその場を後にした。十代は、なんか言ってたけど、忘れてしまった。それきり十代と話すことはなくなった。



(あああああ、眠れない夜を数えてやっと会えたはずなのにどうして他の人間の話をするのですか。ああああ、どうして私だけでは足りないのですか。ああああ、なぜわかってくれなかったのですか。ああああアアアア、あなたと私は、あなたと私の物ではなかったのですか。



.

.

.



「結局、聞いていいかわかんなかったんだけど…。」

卒業パーティーの片隅で一人さみしくオレンジジュースを飲んでいた私に話かけてくれたのは翔くんだった。あれから十代界隈の人たちと関わらなくなっていたけれど、彼とだけは唯一交流していた。しかし私と十代の仲を悟ってか、自然と十代に関わる話には気を使ってくれているようで、十代の現状などほとんど学園の噂程度でしか知らなかった。

意地をはっているのかと言われると少し違う気もする。ここまでくると、意地もクソもない。残るのは僅かな諦念と、あの頃十代が私のものだった、過去の栄光だけだ。

何せもう、私達は卒業してしまうのだから、十代に関わる物を見たり聞いたりするのももう、本当にこれっきりなのだ。十代の思い出の断片が散らばった学園を去れば、群れの中の孤独感から解放されるはずなのだ。


「なんでアニキと話さなくなったんすか?」

翔くんは言いづらそうに呟いたのだが、私はまさか十代の話をされるなんて思ってもいなかったので、黙ってしまった。どう返せば適切なのか自分でもわからない。

「聞いて、呆れると思うよ。」

「あ…言いたくないなら、いいんすけどね。」

翔くんはこの三年間で誰よりも成長したように思う。周りの人達はどんどん逞しい大人になっていって、私だけが取り残されていた。

「あそこの青い人。」

私は目線だけで語った。それ以上を語るつもりはなかったが、翔くんはふいに微笑した。

「…どうしたの?」

「なんか、想像が当たったんで、安心したんす。…その気持ちなら、僕にも分かるから…。」

私は返す言葉が見つからずに、オレンジジュースを飲んだ。それと反して翔くんは続けた。

「でもね…この数ヶ月で、本当にいろんなことがあって、アニキは変わったんだ。そして僕も変わった。前に当たり前だったことがそうじゃなくなったけど、それでも今が心地いいんす。」

「どういうこと?」

「アニキは、みんなに平等に優しいんだ。でも、裏を返せば、誰も特別じゃないってことなんすよ。」

パーティー会場の大きな窓から見える外は既に日が落ちて暗く、木々は小風に揺られている。会場内の隣のテーブルでは明日香さんや準くん達が、記念写真をとったり、色紙を書いたりしていた。

「でもたまに、アニキは、名無しさんの様子を聞いてきたっすよ。でも、名無しさんが僕にアニキの話を聞く事は一度もなかったから、仲を取り持つことができなかったんだけど…それを、謝りたいなって少し思ってた。」

十代が私を気にしていたなんて、信じ難かった。近くを通っても視線が絡むことはなかったし、道端で鉢合わせそうになった時にはお互い、引き返したりもした。あんなくだらない事に腹を立ててしまったのだから、十代が反発するのも至極当然のことだと認識していたからだ。


その話をして翔くんは、気が楽になったよと言った。明日香さん達の輪の中へ私を誘ったが、断った。これ以上十代の話をされてしまったら、私の静かな後悔はまた溢れてしまう気がしたのだ。


夜風に当たりながら、ぬるくなったオレンジジュースを飲んだ。海が望めるこの島とも今日で最後だ。十代との思い出はこの島の中の閉塞にしかない。島を出れば、十代の痕跡を残して私も先を進めるはずだ。みんながそうしたように、私もそうならなければいけない。

小さな蟹が、足元の砂浜を横断していく。十代と、蟹を沢山集めて焼いて食べたことを思い出した。バカみたいな、つまらなかった記憶なのに、思い出は何故こうも甘く苦しいのだろうか。

顔を上げた。藍の星空のしたに黒い波が横たわっている。海は空より暗く見える。視界の端で、灯台の明かりが時々波を照らした。そこに人影があったのに気づかなかった。すぐ横の桟橋に、人が立っていてこちらを向いていた。暗くてよく見えないけど、すぐに十代だとわかった。十代はいつもと違う私服に荷物を背負って、私を見ていた。これから、どこかへ行くのだ。しばらく見つめあった。眼が慣れてくると、表情まで見えてきた。十代は真顔で、私を見ていた。私も多分真顔で十代を見ている。二人を遮る波が砂浜を覆ったり、引いたりして、あたりは暗い波音と木々のざわめきと、あとは遠くで微かに聞こえる賑やかな宴の声がする。私はもっていたオレンジジュースの紙コップを、十代に向かって放り投げた。ポチャ、という情けない音を立てて、浜辺の波に飲み込まれていくのが、涙で歪んでいる視界の中に見えた。十代は何か、言った。口を動かしたのでわかった。しかし私には、何も聞こえなかった。



さよならは波に溶けながら




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