十代くんが私に何をもたらしてくれたのかということに対して思考を巡らせても本当に何も思いつかないんです。 十代くんは私に何一つくれなかったんです。言葉ひとつ、視線ひとつさえ、最後までくれることはなかったんです。 故に私が十代くんにもたらせられたもの、それも何ひとつとして存在しないのです。 おかしいですよね、ひとかけらも余すことなく燃やした命を捧げていたはずなのに、残ったのは気が狂った私の残骸だけでした。 z i z u m 十代くんは落ちこぼれの生徒でした。だったんです。今や世界を駆け巡るデュエリストとなっているけれど、本当に最初は周囲からどうしようもないって思われてる生徒だったんです。 しかしそんな彼はこのデュエルアカデミアで様々な活躍と伝説を残し、次第に学園の人気の的になり、話の中心に立つ人物になっていきました。 みんなちやほやするんです。私はそのみんなが大層憎かったです。 十代くんの魅力にいち早く気付いていたのはこの私でした。入学当初一目見たときから、あ、この人は全てを救う神様なんだって、わかったのです。そんな彼をずっと陰で見守ってきたのは私です。傍観者といえばそうなってしまいますが、もし彼が歴史に名を残すことになるのなら彼の過去の歴史的事実を一番正当に評価できるのはこの私なのです。 いつか十代くんに声をかけようと思っていた私はその使命を自覚した時、この先彼と接触をすることを諦めました。 接触してしまえば、彼を見物できる高さから落下してしまう気がして怖かったのです。 なんてね、本当は気づいてほしかったのかもしれませんね。今となってはわからないことです。 ・・ 十代くんと接近した出来事を思い返すとたったひとつの記憶しかありません。間違いないか日記を辿ってみても、やはり、近くでまじまじと顔を見て息遣いを感じて、彼の生命を感じ取った出来事はあの一度きりでした。 2年生になった夏の日のことでした。学校から公式に海開きが許可されたのでみんなで海に行ったのです。十代くんとはもちろん別のグループでしたが、私はずっと彼を見ていました。その整った美しい小麦色の四肢をむき出しにしてはしゃぐ十代くんの神々しさを誰が気づいていたというのでしょうか。私は木陰で友人と語らうふりをしながら、その太陽の光をめいいっぱい浴びた後ろ姿をまるで絵画でも鑑賞するかのようにじっと見つめていました。 その時、十代くんの投げたビーチボールが軌道を外れて私のすぐ横へ転がってきたのです。私は、あの時ほど緊張した時は人生の中でも思いつきません。 十代くんは駆け寄ってきました。軽やかな、妖精のステップのような足取りで、水を滴らせながら繊細に光る髪の毛からは涼しい海の香りがしました。 彼の生命を感じられたのはたったその一瞬だけなのです。十代くんは体育座りをする私の横に転がるビーチボールを屈んで拾うと、目もくれずに立ち去っていきました。 というわけで、声をかけたらなんて返そうか、どうすれば自然に距離をとれる会話になるかと常日頃考え腐っていた私のそれはとうとう役に立つ時などきませんでした。馬鹿ですよね。かけられることのない声に対して、どう断ろうかと考えていたなんて。浅ましかったと思います。それくらい私は毎日、十代くんを見て十代くんを考えていました。 ・・ 他に印象に残っている出来事がもう一つあります。明日香さんのせいです。明日香さんは私の友人の友人なのでそこまで仲が良かったわけではなかったのですが、ある日明日香さんとお話する機会がありました。3年の暮れの、卒業間近のことでした。 明日香さんはとても聡明な人でした。外見も言うことなしですが、人格者で、デュエルも強かったのです。そんな私が一つだけ勝てることがありました。それは「デュエルが強い明日香さんよりもデュエルが強かった」ことです。 しかし私はその自分の才能を3年間隠し通し続けました。元々目立つことは得意ではなかったし、何より十代くんにそれを知られるのが本当に本当に嫌だったのです。 卒業を控えたあの日、私は食堂で本を読んでいました。くだらない恋愛物です。失明した彼女が風俗店で働くことになり、男はその従業員となる話だったと思います。明日香さんは突然私の目の前の席に座ると、何を話すでもなく紅茶をすすりはじめました。何か声をかけた方がいいのかと考えているととてもじゃないけれど本の内容は頭に入ってこなかったので、私は困り果てました。 しかし彼女は紅茶を飲み終えると、私に「ねえ」と声をかけてきました。 「ねえ、あなた。前にした技術のテストでのデュエルを覚えている?」 明日香さんの陶器のようになめらかで細い指がティーカップを退け、両手を組む姿勢で私を見据えました。私はその話に心当たりがありました。授業で明日香さんとデュエルをしたのはたった一度、あの時だけです。 あの時、十代くんが途中から見に来ていなければ、私はもっと正当に自然な負け方をすることができたはずです。 「あの時、わざと負けたわよね。」 冷や汗をかきました。わざと負けた、というには語弊がある気がします。例え私が明日香さんよりほんの少しレベルの高いデュエルができたとはいえ、あの時の明日香さんは引きも構成も完璧で、勝つにはそれなりに難しい戦いでした。しかしそれに太刀打ちして負けるというシナリオでは、あまりにも十代くんの記憶に残ってしまうのではないのかと危惧したのです。十代くんが見学に来るまではそれなりのデュエルをしていました。決してリードせず、しかし平凡に負けるという、それが私のスタイルでしたから。だから私は明日香さんのサイドに立ってつまらなそうにしている十代くんの姿を目にしたとき、その緊張もあり、中盤からはまるで初心者のようなひどいデュエルをすることになってしまったのです。 後になって、逆に印象付けられてしまうのではなかろうかと後悔しましたが、デュエルが終わると十代くんは興味なさげにそそくさと自分のクラスへ戻って行ってしまいました。私は安心した反面、なんだか言いようのない微かな不満がこみ上げてきたものです。 「あの時は、明日香さんのプライドを、とかの話ではないんです。」 「つまり?」 「私は、あの時、あんまりにもお腹が痛くて、はちきれそうで、早くデュエルを終わりたかったんです。それに、引きがあんまりにも悪かったし、新しく構築したデッキだったから、回し方もわかっていなかったんです。」 明日香さんは、ふうん・・・といささか不満げな顔をしていました。明日香さんの私を見る目はもっと、何か言いたげで、それが大変恐ろしかったです。 「十代・・・。」 「え・・・?」 「・・・いや、何でもないわ。」 明日香さんはその言葉だけを残し、私の前を去って行きました。私は本を伏せたまま、しばらく固まりました。明日香さんに気付かれている、そういう気がしてならなかったのです。結局卒業後も音沙汰がなかったので、今では大した被害妄想だと思えますが、本当に恐ろしかったし、何も言わない明日香さんを素敵な人だと思いました。 ・・ そんなことより今私は十代くんの実家の目の前にいるわけですが、そのことについてどう思いますか?気持ち悪いですよね、頭がおかしいと思われるかもしれないですが私はいたって平静です。ここは聖地なのですから。神の生まれた地を巡礼するのは信徒としてごく当然のことと思いませんか? 夕暮れでした。私はそのお宅の前に立つと、人が住んでいる気配がないんだなと、ただそれだけを思いました。それもそのはず、十代くんのお家の内情はよく知っています。それに十代くんは、今イタリアの方にいると雑誌に載ってありました。 あまり長居しても近所に怪しまれるので、そこに立ったのはほんの数分でした。踵を返すと十代くんが立っていました。私は息を止めました。持っていたバッグが音を立てて土くれの上に落下しました。目を見開き瞬きをすることさえ許されませんでした。十代くんが私の目の前で私の目を見ていました。だから私は瞬きができませんでした。十代くんが目の前に立っているから。股間がじわりと濡れるのがわかりました。ぬめりと日にちから生理だとわかりました。 「ストーカーだ。」 「え?」 「え?じゃねえよ。今までずっと俺のこと見ていただろ。」 「え?」 「バレないように必死でさ、見てて面白かったぜ。」 「・・・え?」 「知らないとでも思ったのか?馬鹿だなお前。」 十代くんは言い捨てると固まる私の横を通り過ぎ自宅の扉の鍵を開きました。 ギギギ、と重くて古い鉄の音がしました。私はゆっくりと振り返り、十代くんの姿を追いかけます。十代くんは扉を押さえて私をじっと見下ろしていました。私は自分が今までしてきた、積み重ねてきたことが音を立てて崩れていくのがわかりました。 「お前さ、よって行けよ。俺子孫が欲しいんだ。だからお前に俺の子孫を残させてやるよ。」 ぬるりぬるりと招いている十代くんの手に、私はどうすることもできずにその場に立ちすくむことしかできなかった。 おわり 2014.3.1 |