(2/2)すっかり暗くなった夜道を歩くには灯台の明かりだけを頼りにしなければならない。ロマンチックに手を引かれるわけでもなく。大体彼にロマンチシズムを求める方が間違ってる。それに私は求められる立場でもない。私は黙って十代の後に続いた。
下弦の三日月は笑っている。冷たい夜風にのって潮の香りが運ばれてくる。夜の外気は澄んでいて好きだ。島の閉塞感すら無かったことにしてくれる。

連れてこられたのはレッド寮の食堂だった。時間も時間で無人である。私は出された白湯を黙って啜った。「部屋ではルームメイトが寝てるから」という十代の何気ない気遣いに私は改めて彼の平凡と非凡の混在を確かめる。白湯に続き、部屋から戻った十代はチョコレートを寄越してくれた。

白熱灯が二人以外誰もいない食堂を薄暗く照らし、それは闇の中で光る朧月のようだった。どこかで猫の鳴く声が聞こえる。まるで私を慰めるかのように、部屋の沈黙に深く響いた。私はいよいよ訳が分からなくて泣きたくなる。私は嘗て彼の信者だった。今はそうだと言えない。彼の暖かさは皆に平等に降り注ぐ。それがこの歪みきった世界の調和を担っているのだ。そして私もその例外ではない。分かり切ってた事だった。
十代は最近明日香と噂になってる。裏の林で落ち合っている。あの女もそう言っていた。

悔しいと、思う。

「もう、いい。ありがとね。」
「おやすみー。また明日。」
「チョコ、結局十代が全部食べたね。」
「だって俺チョコ好きだもん、」
テーブルにこしかけた十代は茶色い舌をべっとだして、私の頬をざらりと舐めた。惑わされてはいけない。にっと笑ったかと思えば無表情になる白い顔。この夜の月はあまりにも照りすぎていた。

どうしたって好きなのだ。彼も私も、その相手が。




単純に、忘れれば良いのか。出会った時から彼と私とは番いだという気がしてならなかった。それは昔からの因縁のような、暗く陰湿なもののように思う。例えば彼の攻撃は私の保守にぴたりとあてはまる。まるで最初から二人が出会う事が決まっていたみたいに。そう思ってた。私は何がしたかったの。彼に殴られ蹴られ番いたかったの。恐らく違うのだ。私はいつしか彼のサディズムのほうではなく、彼という男の子事態に惹かれてしまっていた。それは単純に見えて、実はもつれた糸の如く難解な事だ。私は彼専用の被虐者としての優待券を破り捨てようとしているのだ。人を中身と殻で分けるとしたら私にとって、彼の加虐、即ちサディズムは殻で、私が本当に惹かれたのは彼の内にある清らかな湖だ。まだまだ浅く、完成のされていない湖。
他の子が十代に好意を抱くのとほとんど同じ角度で私は彼を愛してた。その時点で私は番いからその他大勢の人間に成り下がってしまったのだ。こんな私を誰が愚かだと言ってくれるのだろう。

私は彼の求めるものがよくわかっていた。私は彼をずっとそばで感じてきたから。




明くる日、太陽を隠す雲は光ってばかりいる、くもり空の下。次第に天気は崩れ空は今にも雨が降ってきそうな程にどんよりとしていた。
確か今は体育の時間。レッドと合同だ。十代は体育が好きで入学以来一度も遅刻や欠席をした例が無かった。私は自然にそんな時間を選んだのかもしれない。

ぼんやりとした頭で何にも考えずに寮の廊下を歩いていた私は端から見れば精神異常者にも見えただろう。毎日よく眠れないし、吐き気もひどい。崇拝すべきものを見失った私は、すっかり憔悴しきっていた。

そんな私がふらりふらりと倒れ込むようにして立ち寄ったのは明日香の部屋だった。最近先生側と揉め事を起こしたとかで明日香はレッド寮に住まわっているという噂を耳にしていた。

私と明日香は仲が良かった。殆ど私の一方通行だと思っていたけれど。彼女は出来た人間で、誰からも好かれる羨望の的というべき人物だった。そんな人が私に親しくしてくれたという事が未だに不思議でならない。でも最近では、誰の目にも留まらない私だからこそ、その役目を果たせたのかも知れない、と思うのだ。明日香は厚情を持ち合わせた人間では無かったが、決して薄情でも無かった。ただ、数々の事に疲れ、沢山の人に失望しているように見えた。
そして彼女の恋に関しても、私は一番よく知っていた。彼女がプロになった丸藤先輩を忘れられない事や、多忙の彼からの連絡を待ち続けている事も。
私に気を使っていたのか、十代との事については聞いてなかったので全てとは言い難いかも知れないけれど、彼女のその深い悲しみは、鬱蒼とした森の中心にある底無し沼のように感じられた。これほど完璧な人だからこそ得られる特別な沼だと思う。

あの十代も、そんな彼女の言動や表情のひとつひとつに一喜一憂してるのかも知れない。愚か者の、私のように。


合い鍵で入った部屋は暫く使われていなかったためか多少埃かぶっているように見えた。鍵を閉めた私は照明も付けずに何となく鏡台に腰を下ろした。素敵なドレッサーである。明日香の持つ化粧品はどれも品があり、薄付きでセンスの良いものばかりだった。几帳面に並んだ口紅の中から一番きつい色を選び抜き(恐らく丸藤先輩からの贈り物だったと思うが。)擦り減りの殆どないそれを注意深くくり出し、ゆっくり、時を遅らせたかのようにしてじっくりと、唇の上に重ねた。鏡に映る自分を見て、十代に抱かれていたあの女の化粧臭い顔を思い出してしまい少し吐き気がした。しかしそれに構う頭も今はもう既に無い。引かれた赤は私にそぐわなかった。


締め切ったカーテンの影が部屋を演出した。午後の憂鬱な温度が私の脳内を静かにかき混ぜ、微睡みを生む。脳内でルードヴィヒが流れる。暗い昼下がり。


鏡台に映る自分の背後には、やはり、十代が音も無しに佇んでいた。
暗い部屋に二人の気配は今にも消え入りそうだった。私は鏡越しに十代を見つめた。十代は目を細くして私を見下ろした。彼の手がゆっくりと伸び、私の持っていた口紅を取り上げる。無駄にくり出されたそれをその細い指先が憎らしそうにぐにゃりと潰し、無惨にもへし折ってしまった。
その残骸を床に投げ捨て、もう片方の指で私の唇を乱暴に拭う。そこに未だ言葉は無い。

晴れ間が来たのだろうか。カーテンの隙間から太陽光が漏れ出した。でもそれはほんの束の間で、厚い雲は再び太陽を隠し、その光を自分の物にしたのだった。

しかしその一瞬の日差しは確かに部屋を照らし、そして彼の柔らかく恨めしい口付けによって確実に巧妙に、二度と戻れない一時の、秘めやかなる不思議の世界のそれであった。


ごめんな。俺はお前を求めてるのに、どうしたって明日香が好きなんだよ。
お前が相手だと、普通じゃ勃たないし、お前を傷付け、歪ませることでしか、お前に性的な魅力を見いだせない最低なやつなんだ。
俺は決めたんだ。どうか、分かってくれよ。




へし折られた紅は薔薇の様だ。

下呂が、出そう。



午 後 の

ル ー ド ヴ ィ ヒ


( 終 )




090910
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