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無駄に人を斬っている自覚はある。
短気な自分の周囲に流れる血は多く、武田を物騒にしている1人であるという自覚もある。
強大で賢君な父の後ろ、広い影の中に立つ我が兄弟達。偉大なる武田信玄。それを超える子供はもう居ない。彼が栄華の頂点であり、これ以降、武田はただ坂を下るのみである。ここが如何に、自分の知る歴史とは逸脱した並行世界であろうとも、時の流れの大筋は変わらずそこに横たわっているだろう。
長男は父の隠居が待てず、謀叛を起こして廃嫡される。次男は盲で出家する。3男は幼くして命を落とし、結果4男勝頼が家を継ぐ。しかし彼は織田氏との戦で敗退を喫し、嫡男信勝を連れて自害、甲斐武田はこれにて滅亡するのである。
並行世界が果たしてどこまで史実を再現するのだろう。自分という人間が在る時点で既に歪んだこの史実、一体どこまで食い込んでいくのか。自分は5番目、本来ならばここは盛信の番であった。割り込んだ我が身のおかげで盛信は6番目。1つ、ずれた。
長兄の事件はまだ起こっていない。だというのに盛信が産まれてしまっている。4番目は諏訪氏を継いでおり、この名前様の持つ記憶は信勝の史実に酷似している。時系列はもうぐちゃぐちゃだ。
我が父武田信玄公も諸説あるうちの、体格の大きい 典型的な容貌で、また驚くべき事に同時代に真田の次男坊、何故だか知らないが幸村を名乗る青年と、後世の創作であると言われる猿飛佐助も存在している。概念化された戦国時代、大河ドラマを見て得た知識すら役に立たない。
二次元じみた、巫山戯たこの平行世界、されど、戦国。
跡目争いなんてごまんとあるし、不審な動きをする武田の家臣たちの情報もよく聞いた。
刀掛けに掛けられた二振の刀を見る。己が身に合わせて誂えた日本刀。これだけが、名前様の形ある武器であった。
よくもまあこんな時代を、人は生き抜いてきたものだ。

「……全く、恐れ入る」

名前様、と襖の向こうから声が掛かる。眉がぴくりと動いたのは仕様がない。聞き覚えのある声だった。低く、太く、掠れたようでいてすっと空間を通って行く声をしている。幼名の頃から身辺警護に使われている大柄な武士。自分の飼っている犬の1匹。
入れ、と声を出してみれば、思ったよりも不機嫌な声音だった。それに自分でも驚いている。短気な武田に似合いではないか。自嘲を口の端に乗せる。
すっと開かれる襖、精悍な顔立ちの武士は、図体に似合わない繊細で美しい所作を見せた。正座のままに此方へ向き直り、その頭を下げる。

「お聞き下さい名前様。毒を盛った下手人は我々の力不足故、未だ判明しておりませぬ。しかし、その裏にいる者が厄介で、」
「兄上のことか。……何を驚く事がある」
「知って、おられたのですか」

この屋敷に現在住まう武田信玄の息子は3人だ。嫡男の義信と自分、弟である。
弟の五郎はまだ幼く、跡目争いの土俵には立てていない。義信もこれを脅威とは微塵も思っていないだろうから、ここで争いが起こることはまずない。
だが自分は違う。既に元服を迎えており、戦の経験もある。短気で扱い辛い男だと自負しているが、それなりに頭は回るし、そこそこの人望もある、と思っている。それに何より、兄弟で唯一の婆娑羅持ちなのだった。
婆娑羅。この並行世界において、強大な力の象徴だ。自然を我が物として操る異能と、それを扱うために付随するかのような頑丈な肉体。一騎当千と読んで字の如く、彼ら1人だけで戦況が傾くこの戦国では、この力はあまりにも重要であった。
現在する武田信玄の息子達。その中で婆娑羅という異能が発現したのは自分だけ。義信は戦慄したに違いなかった。婆娑羅は力の象徴だ。それは権力と同列で扱われるものでもある。如何に嫡男と言ったところで、武田信玄の実の息子、かつ婆娑羅という異能を持つ弟という存在は、己が地位を揺るがす脅威でしかない。例えその弟が跡目に興味などなく、嫡男のために力を使おうと思っていたところで、義信も武田家臣も、名前を一武将としては扱わないのだ。

「兄上は詰めが甘いからな」

指先に少し気を持っていけば、難なく青い炎が灯る。指が蝋燭のように見えて、溶けていく様を夢想する。
どの火よりも高温の青い炎。これが己が婆娑羅。争いを生む異能であった。



闇に溶けていく音を聞いていた。
異音だと理解していなければ、普通は気にも留めない程の微かな音だ。
それは静かに距離を詰める。空気の揺れと、藺草の擦れ、床板の軋み、衣摺れ、呼吸。生き物の気配。
生々しい気配に緊張がのった。すう、と鋭く短い音と共に、僅かに空気の流れが変わる。
狙うは左胸よりやや中央寄り、今もなお鼓動を続ける心臓だ。光の届かない、濃い闇の色をした空を切り裂き、鋼は厚い布の塊に突き刺さった。
あまりの軽い手応えに、闇の塊が大きく動いた。闇の中から白い腕が現れて塊を捕らえる。

「忍びは」

凛と確かな声が響き、塊を床へと転がして押し付ける。
確かな動きで布の隙間をぬって手は這い、生命維持に重要な首の上、いつも熱を帯びる喉元にしっかりと添えられた。

「死んではならない」

もう片方の手も首に当て、体重を乗せる。

「情報は主人に持ち帰らねばならん。単独行動も避けるべきだろう。1人が死んでももう1人が帰れば良いのだから。故に、罷り間違っても独断であっても、1人で行動すべきではない」

片腕を喉から離して暴れるそれの腕を押さえ、脚を脚で床に縫う。空いた片腕を振り回しているものの、それも段々と力を失っていった。奴の目がぐるりと裏返る様が僅かに見て取れる。ぱ、と手を離すが奴はもう動かなかった。息が乱れているわけでもないが、深呼吸をひとつして、忍びの衣服から紙を抜き取る。

「二兎を追うのもやめた方が良いだろうな。欲を出すから、こういう事になる」

手の中の紙が突如燃えはじめた。それは見る見ると紙を黒く染め、ぼろぼろと形を崩していく。全てを燃やし尽くした赤い火は、煤を舞い散らしながら闇に溶け、1人を絞め殺した男は死体を蹴り転がして布団をめくった。畳の上に小刀が転がるが、それを一瞥したのみで拾う事なく、穴の空いた着物を引っ張り出した。着物を死体の上に広げて被せ、ふっと微笑む。

「次は兄上でなく、もっと良い主人に仕官するんだな」

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