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目の前に連れられてきた女中を見る。
知らない顔だ。厨で働く女だということだった。
悪意があまりにも似合わない素朴な顔だが、女は見た目によらないというのはどの時代でも同じらしい。
暴れぬようにと縛られた上、黒尽くめの男に押さえ付けられ、見るからに怯えていて可哀想に感じられる。
それが本心なのか演技なのか、人間の恐ろしさを知る自分は、うまく判断できない。

「……離してやれ。目は離すな」

結局は罪悪感に負けてしまった。真相に寄っては更に酷いことを行うというというのに、 心とは面倒なものだ。
出された指示が不服だったのか、不満気な忍びの表情にこちらの気分も降下する。

「報告を聞こう」

分かりきったことだった。
この女が自分に毒を盛ったのだ。
女は最初こそ静かに聞いていたが、己が身が恐ろしい場所に立たされているとわかると、目尻に涙を光らせ、最終的にはワッと泣きながら弁明を始める。
自分はそんなことをしていない。何も知らない、助けて下さい、まだ支えねばならない家族がいる。
どうにかして罪を逃れようと、情に訴えるべくひたすらに口を開く。よく回る口だ。
女はそう、引き出しが男よりも多く、弁がたつ。それは素晴らしいことだが、今は少々煩わしい。

「黙れ」

ぴたりと女が喋るのをやめた。
こちらを伺う目は涙に濡れ、顔はもうめちゃくちゃだ。中々に人間らしくて愛らしい。良心がぐらぐらと揺れる。

「言い分はわかった」
「! では」
「言い分は、わかった」

希望の色が目の奥で煌めいたのに気付いて、訂正の意味を込めて同じ言葉を口にする。女の頬にまた涙が伝う。彼女の涙が畳の色を変えていた。
ああ、すまない。

「誰の差し金だ」

女の目が開かれる。すっと瞳から光が消えた気がした。女もわかったのだろう。自分の主張は最初から通らないということが。
震え、しゃくり上げながら、彼女は言葉を紡ぐ。自分は毒がどのようなものかもわからない、と。
なるほど。
女の後ろに控えていた忍びに視線を向ければ、奴はすいと手を出し床を指で二回叩いた。女の斜め前に新しい忍びが現れ、女に何かの粉末を見せる。アッと女から声が上がった。そんな。

「知っているな」
「わ、若様、これは、これは……!」

先輩の女中から渡されたものに酷似しているという。
曰く、最近の若様は特にお疲れだとお聞きしている。金平糖を砕いたものだから、今日の汁に入れて疲れを少しでも癒して頂こう。
彼女はそれを鵜呑みにし、それが毒だと疑うことなく汁に溶かした。毒と砂糖の混ぜものか。どうりでで少し甘い味だと……。
女は知らなかったと泣き、自分はもう良いと手で応える。

「悪かったな、恐ろしかっただろう」

彼女の近くへ歩み寄り、膝を曲げて謝る。ああ、君にはとても酷いことを。

「心配しなくて良い、もう終わりだ」



自分が婆娑羅もので良かったと思う点がある。人よりも少し、力が強いことだ。
彼女は何も感じなかっただろうか。
最後に見た、潤み、輝いた目が脳裏にこびりついている。
目の前にできた赤い染みは、ついでに焼いたら痛いだろうと、何もしなかった結果だ。
ふと、自分の赤い手を見る。碗を持つ手だ。この時代には珍しい右手。

「毒味はしたんだったな……」

ではなぜ鬼食いには症状が現れなかった?
よくあるミステリ小説やドラマを思い出す。なんだ、簡単な事だ。この時代はあまりにも直接的で、記憶はあまりにも平和な時代を生きていた。気付かなかった。
あまりに間抜け、踊らされた事に漸く気付いた時には後の祭りとは。これでは自分の立場がない。上に立つ者として、重要な場の一つであったろうに。なんとも頭の悪い結果を生んでしまった。ぐるぐると、胸中に黒い熱が渦を巻き始める。
作業をする忍びを睨んだ。

「謀ったな」

返答はない。
仮説とはいえ、真相に近い推理を弾き出したのだ。奴らの目的がわからない自分ではない。だが、これではただの魔女狩りだ。
しかし、この行為が俺の命を狙う者達へのメッセージとなるのだろうし、今までの行動からも正解に近いというのは理解している。
疑わしきは罰せ、だ。
この時代に科学捜査なんてものは存在しない。
そんなものがあったら、きっと多くの犯罪者が捕まり、多くの冤罪が明るみに出てしまうだろう。いや、そもそも戦国時代と称されるこの時に、科学捜査も無いな。

「……巽」
「ここに」

目の前に跪くのは女を押さえつけていた忍び。
ぱん、と乾いた音が響く。手の甲で頬を叩くのは初めてだが、存外良い音が鳴る。これでは罰にならない。よく聞くだろう、良い音が鳴るのは痛くない証だと。ううむ、室内で罰を与えるのは失敗だったか。
畳の上の、やつの手を見る。そこ目掛けて刀の柄を振り下ろした。指先に当たるように調整した甲斐もあってか、忍びの顔が歪む。流石に声は口腔までに押し留めたようだ。

「俺が連れて来いと言ったのは毒を盛った奴だ。違うか」
「……っ違い、ません」
「たかが偽装の命一つだろうが、命を違えた事実は変わらんぞ」

刀に体重を掛け、更に捻転の動作を加えて指に痛みを与え続ける。
指の先は神経が多く通っている。故に敏感で、小さな凹凸も触って確かめられる。
つまり、痛みには弱いということだ。

「時間はあっただろうが」

忍びは答えない。

「……俺を踏み躙りやがって」

後ろの作業も終わったらしい。自分以外は全て元通りというわけだ。いや、新しい畳の色や香りは元通りではないか。
刀から忍びの手を解放する。

「下がれ、一日は俺に近付くな」

手で追い払う動作をすれば、目の前の忍びは痛みが増したような顔を見せる。表情が豊かなのは嫌いではない。分かりやすくて良いからだ。
……これが演技だったらと考えると、なんとも言えないが。
辺りが静かになり、いつもはあるはずの気配もない。閑静で心地が良い。

「冤罪か」

彼女はきっと、純粋に、この体を想ってくれたに違いなかったのだ。それを。

「クソッ」

床を叩く。
真新しい藺草の香りが虚しさを増大させている気がした。

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