とらごろも | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -




意識が浮上する。目が覚めた。辺りを見回すが、やはり清潔な白の監房ではない。がくりと気分が落ちた。夢だったら良いなと、思っていたのだ。
体を起こして息を吐く。少し喉がひり付くが問題はなさそうだ。
一体此処は何処か。
わかっているが、その事実は受け入れ難いものだった。
甲斐国の躑躅ヶ崎館。
それが今、自分のいる場所である。
頭を掻いた。
ああ、くそ。
自分はただ、昼休みに飯屋で定食を食っていただけだ。それが、どういうわけかこの城の主、あの有名な戦国武将、武田信玄の息子に取って代わってしまっている。
いや、取って代わるというのは少し違うか。
何せこの体は、その息子、武田の若君のものに他ならない。ただの細いサラリーマンの身体つきでないことくらい分かっているつもりだ。
刀を振るう、掌の硬い皮膚。重い武器を重い甲冑を着て振り回すための筋肉。聞き慣れないようで聞き慣れた声は、サラリーマン時代のものより幾分低い。身長は少し高くなっているだろうか。世界が広がって見える。その分死角も大きくなるが。
少し肌蹴た寝間着から見える体には、細かな傷が多く付いていて、苦労をしているのがよくわかる。

ずきりと頭が痛む。まだ、慣れない。
2人分の記憶が混在しているのだ。脳が処理をしきれていないのだろう。
はあ、と息を吐く。元の時代には戻れないかもしれない。あの後、自分は死んだ可能性が高いのだ。

「結局、どうなったんだか……」

どちらの記憶も食事中に呼吸困難に陥って、途切れている。若君が倒れた原因は、今までの記憶からなんとなく察することができるのだけれども、元の時代ではそれもわからない。
定食に毒が盛られたわけでもあるまい。ごく普通のとんかつ定食だったのだ。
ただ、記憶を遡ってみれば、理由はわからないにせよ、その後の予想は比較的簡単だ。
呼吸困難の以後、身体に力は入りきっていなかった。となれば筋肉が正常に動いていなかったのだろうし、頭を強く打ったらしく血が流れていた。
場所も場所だ。あの飯屋は小さい。所謂きたな美味い店、というやつで。狭い路地の中にある、隠れ屋的な飯屋なのだ。呼んだとしても、救急車は当然入れない。
車の免許を取った時、応急処置の仕方などを教わった。あの時、救急車の到着時間が遅ければ遅いほど助かる確率は低くなると言っていたっけ。あの店にはAEDなんて置いてなかったはずだ。
それらを加味して考えると、生きていることが絶望的、と8割方生きてはいないだろう。
自分で分析していて悲しくなってくる。
武士たるこの男も同じように倒れたが、床は硬いコンクリートではない。不安に駆られて頭を触るが、切れた様子も感じられなかった。
この時代で毒をしっかりと身体に取り込み、生き永らえたばかりか、こうやって立ち上がることもできる、この身体はなんと丈夫なことか。化け物か。
事実、化け物なのだろう。
婆娑羅者、というやつなのだ。何もないところから火を出せる。他にも、氷を出したり電気を出したりする人間もいたはずだ。父、武田信玄は、確か隕石を引き寄せていた。
そう、化け物なのだ。




「……それで?」

目の前に跪く忍びの報告を聞きながら、自分は横柄に続きを促す。
濃色の羽織を肩に掛け、肘掛に肘を付き足を崩す。
若君が見せる、信頼の証や警戒を解いている、といった意思表示のようなものだ。
それの捉え方は人に寄りけりだが、大抵は悪い心象を与えている。
不器用な人だと思う。だが、彼が今まで築き上げ培ってきた物を、簡単に壊すわけにはいかない。

「はい。どうやら汁に神経毒が盛られていたようです。幸い口にした量が少なく、名前様のお身体にも毒は残っておりません」
「それは聞いた」

自分が毒にやられ、床に伏してから8日ほどが経っている。目を覚ますまで1週間眠りこけていたらしい。
不甲斐ないと思う気持ちと、それに驚く気持ちが胸中を巡る。
若様とサラリーマンの両方の記憶が、気持ちを一つに纏める事を難しくしている。
一方は厳しく、一方は甘く。
今まで生きてきた環境、生きていくために必要なスキル、内包される性格。それらが全く異なっているのだ。選択肢が無数にあり、若君はこれと一つを選んだとしても、現代人は別の一つを選ぶのである。
身の内にある二つの人間の記憶は、一つの人格として統合された元にあれど、分離した人格のように、捉え方はそれぞれだ。
まるで、耳元で囁く天使と悪魔のイメージに似ている。
若君の培ってきたものを壊すわけにはいかないとは言ったが、だからと言って現代の自分を蔑ろにすることもまた、してはならない。
身体は若君のものであるが、中身は2人分なのだ。比重は若君にあろうとも、偏り過ぎるのはきっと、違う。

「俺が伏して8日は経っているのだろう。誰が、何故、如何やって、を報告出来るはずだが?」

それとも。俺の犬達はタダ飯喰らいの集まりだったとでもいうのか?

バシリ、太腿を叩く。目の前の忍びがハッとした表情をしをこちらに寄越した。いいえ。はっきりと否定の言葉を紡ぐ。

「我々名前様の忍は、無能などではございません」
「戯けが。良いだろう、猶予をやる。半刻だ。奴を俺の前に連れて来い」

行け。
周囲にあった気配が全て消え、眼前の忍びは深く頭を下げた後、ふっと魔法の如く姿を眩ませた。
1週間もあったのだ。何もしていないわけであるまい。だというのにあの要領の悪さ。何かに躓いているのか、この自分に隠したいことがあるのか。前者ならまだ良いが、後者だったのなら問題だ。忠誠心、服従の揺らぎは若様には最も許せない事なのだ。……まあ、それは追々でいいか。
半刻。現代に換算すれば約1時間。
名前様にしては、随分と優しい采配ではないか。
ふ、と口端を緩める。

prev next

[しおり/戻る]