あれのいくつかの噂は聞いたことがある。 そのひとつは前聖騎士の下で、大事に育てられてきたというものだ。 しかしシュラとは面識が無いようで、どうやらその噂はガセに近い。だがもし噂が本当だとしたならば、それは大事な箱入りだったということなのだろう。 「苗字」 「……なんすか」 眉を顰めてこちらを睨む。これはいつもそうだった。 そして、これが日本語とラテン語しか操れないのには骨が折れる。どうやら多国語の読み聞きは出来るようだが、如何せん喋ることが出来なければ会話というものは成り立たない。 バチカン市国と呼ばれるこの地は、確かに公用語はラテン語ではあるが、場所はイタリアの中にあるために常用されるのはイタリア語である。故にここが勤務地であるならば、覚えなければならない言語であるのだ。しかし奴はそれを覚えようとしない。 だからこうして、オレが日本語を使ってやるしかない。 筆談ならばとこれは言っていたが、それではオレがあまりにも面倒だ。 「日本に行くそうじゃないか。残念だよ。よく働く良い部下だったんだが」 「……エンジェルくんから離れられるのを考えると、今から向こうに行く日が待ち遠しいすよ」 全く、減らず口をよく叩く口だ。これさえなければ、本当に素晴らしい部下であるというのに。 ……いや、これがあっても使えるのに間違いはないから、彼は素晴らしく優秀であるのだ。引き止めたいと思うほどに。 「なあ苗字、日本に行くのを止めてここに残らないか」 「……なんすか、気持ち悪い。そういう殊勝な態度は是非女の子の前でやってください、気持ち悪い」 「二回も言うことはないだろう」 「気持ち悪いから気持ち悪いって言ってんすよ気持ち悪いなあエンジェルくんすげえ気持ち悪い」 「お前、オレは傷付かないとでも思っているのか?」 しっしっと手を振られ、ああ、このやりとりも頻繁に出来なくなるのだなあと少しばかり寂しく思った。 ← |