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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -

蝶屋敷の縁側に座って、ぱたぱたと足を揺らす。あの任務を終えて帰還してから、多分ふた月くらいはずっと蝶屋敷にいる。段々とここが私の家なのでは、と思うようになってきた。どうやらすごく、私は操りやすい人間のようだった。ぷんすこと私を怒る蟲柱様を思い出すと自然と顔が緩む。
私ははじめ、ここが蝶屋敷だとは思わなかった。いつもはあのベッドがたくさん置いてあるところで目を覚ますのに、その時はお座敷で目を覚ましたからだ。どうやら特別な措置として、お座敷に隔離されているようだった。
たぶん、ここが鬼殺隊でなければ、私は座敷牢にいれられていたに違いない。あんまり自覚もないけれど、血鬼術にかかっていた私の世話はとても大変だったのだろうと思う。し、ふた月もここにいるって事は、あまり改善されていないんだろうなあ、とも。
きっと私の正気は赤い泉に溶け出して、ひいちゃんの胴体と一緒に斬られて、胎のなかの鬼と共に崩れていったんじゃないだろうか。そういえば私のお腹にいたあの子は一体いつからそこにいたのだろう。私はひいちゃんみたいにきれいな体じゃなかったけれど、あの時お腹に子を宿していたはずはなかった。服の上からお腹を撫でる。あのとき。実はあんまり痛みを感じていなかった。そもそも覚えが悪いのだ。なんでわたし、あんなところにいたんだっけなあ。

「……なまえ」
「あ、水柱様、今日は見ます」
「……義勇でいい」
「おはようございます!」

今日も会話が成り立たない。こういうことはよくある。私は成り立っていないなあと思うのだけど、同時に別のところでちゃんとした会話をしているのだと思っている。自覚はあるけれど、全くない。
水柱様は結構頻繁に様子を見にきてくれる。多分私の腹を突いた責任を感じていて、罪悪感があるのだ。そんなのはもういいのに。鬼を殺すのにはそうするしかなかった。じゃなきゃ私の胸を破って鬼は産まれてきたに違いないから。あの鬼はエイリアンか何かだったのかもしれない。純日本産だとは思っているけれど、万が一、ということもある。もし本当に鬼のルーツが地球外生命だったらどうしよう。日輪刀の原材料は、クリプトナイトみたいなものかもしれない。でもどちらかと言えば柱のみなさんの方がスーパーマンだと思う。じゃあ鬼は何だろう。わからなくなってきた。何の話なんだっけ。スーパーマンの水柱様の話だ。違う。水柱様はスーパーマンじゃない。普通の水柱様のこと。あんまり表情を変えない方、だそうだけれど、私といる時はいつもぐうっと眉間に皺が寄っているのだ。可哀想に。胃痛がするなら来なくてもいいのにな。
それから、蟲柱様はここに水柱様が来ているのを知っているのに、さも知りませんでした、という顔で部屋に入ってくる。そしてお小言を二、三ぶつけて遊んでいる。仲が良いなあと思う。
水柱様も素直で正直で真っ直ぐだから、それをうまくかわせないし、いなすこともできないので、またうっと苦しそうな顔をするのだ。面白いな、と思う。
表情が変わらないってみんな言うけれど、意外とわかりやすいし、よく表情を変えているのだ。たぶん。私の幻覚じゃないなら、そう。

「元気ならいい」
「はい、鬼はいますか。いましたか?」
「……ああ」
「ぼうやー、よいこだねんねしなあ」

隣に座る水柱様の頭を抱えて撫でる。体はいつも勝手に動く。こればかりはどうしようもない。心と体がいつまで経っても繋がらない。元に戻らない。難しい。心が比較的安定してきたのは鬼が消えて三週間くらい。けれどふた月たっても一向に体はそのままなのだ。勝手に動くし、勝手に喋る。時々ちゃんと心と体が繋がるときがあって、繋がると繋がるから、多分もうすぐ私がちゃんと私に戻れるような気がしている。手遅れだ。まだ間に合うと思うけれど。だけど本当に、今の私には私をどうしようもできない。あの母子のかけた血鬼術は、後遺症が激しかった。私が一番長く血に浸かっていたからだろうか。誰よりも長く血鬼術にかかっていたから。そうでなければあの赤い泉──そう言うほど綺麗なものじゃないのだけど、赤い泉という言葉が私の中で定着していて、他の言葉がうまく当てはまらない、あの無数の死体が重なり、融解していた森の中の穴──から私の体に変な細菌とかが入っていて、脳や細胞を壊していたりするのかもしれない。そうなると厄介だなと思う。記憶がすでに虫喰いだから、これ以上は、困ってしまう。赤い世界は赤いままなのに。ほんと困っちゃうな。
だってまだ水柱様を私は撫でているし、いつのまにか膝枕になっていて、最終的に子守唄を歌っている。この体を意思で、頭でうまく操れない。認識の阻害だ。何に邪魔をされているのかわかんないけど。本能でもない。そうなのかな。そう、この子は胎の子。あまり指通りの良くない、子の髪を梳きながら頭を撫でる。愛しい我が子。私はゆりかごで、母になる予定だった。鬼の母に。そうだと思うとちょっと胸が痛む。鬼の母になっても良かったとすら思える。鬼殺隊士の面汚しだ。でも、思うくらいなら、変えられない過去の事なのだから許して欲しいと思う。だってもう、私は自分の子を抱けないから。

腹に鬼を抱え、その鬼を殺すために蟲柱様の日輪刀を受け入れたあの日。鬼の消滅を確認した水柱様が、蟲柱様と朦朧としている私を抱えて、大急ぎで藤の──もっと長ったらしい言い方だったけどわすれてしまったので、私は藤の家と呼んでいるのだけれども──家に戻った。それはもう、光の速さで。もちろん比喩表現だ。でもそれくらい速かったって他の隊士は言っていたから、光の速さで戻ったのです。鬼が消えてから全く記憶がないもので。ちゃんと目を開けていたと思うのに。
それで、鬼に首を絞められて気絶していた蟲柱様が目を覚まして、水柱様から事の顛末を聞いて、大慌てで私の処置をしたのだそうで。
私の体を拭い、お医者様を呼び、応急処置を施し、私の腹を縫い、回った毒を抜き、体を丁寧に拭いて、水柱様をこき下ろし。蟲柱様には頭が上がらない思いだ。今度何か菓子折りを持っていかないと。外に出られないけど。外に出られた時にこの気持ちをまだ覚えていればいいなと思う。覚えてなかったらきっと私はお礼じゃなくて、普通にお土産を持って帰りそうだから。
ともかく、そうして呼ばれたお医者様は、処置を終えてから、私に言った。子を成すための臓器が傷ついてしまっていて、もうわたしには子は望めないだろうって。
私は、まあ、そうだろうなと思った。だって、腹のなかには、鬼がいたのだし。どうやって入ったのか知らないけど。
血鬼術で意識も朦朧としていた事もあったし、痛みもあんまり感じなかったから、うっかり膣から入られててもわかんなかったかもしれない。やだなそれも。
でもそれくらい、私はあの鬼との相性が悪かった。あの鬼の血鬼術。多分、麻酔に似たものなのだ。蟲柱様は催眠のようなものと言っていたっけ。
血鬼術にかけるのには少し条件があるのだけど、それさえできればアドバンテージが向こうに移る。ほぼ向こうが勝ったも同然の状態になるのだ。
条件は二つ。鬼に名前を呼ばれる事と、呼ばれたのを聞く事だ。
私の班は、班長とひいちゃん以外には苗字が無い。本当はあるのかもだろうけど、私たちはそれを名前と認識できていない。届けられてもない子もいる。私はたぶんそれだ。つまり戸籍がない。この時代の無戸籍者というわけ。赤くない世界の私の時にも、無戸籍児なんていうのが問題になってたのだから、この赤い世界でのの無戸籍児の量なんて推して知るべし。赤くない世界の方が文明は進んでいたもの。それくらいは私にだってわかるぞ。わかる。それにフルネームなんて名乗る機会もほとんどない農民だったりするなら、苗字なんて知らずに育っていても不思議じゃない。そして鬼に殺されて、知らないまま育ちましたなんてザラだし。兄弟も多ければ、長男次男以降届けてなくたってわかりもしない。娘はどうか知らないけど。結婚しなきゃだし。私ももしかしたら、本当は探せばあるかもだけど。元の名前も、苗字も知らないから探しようがない。どうやって探すのかもわからない。
で、結局は私が私であると認識する名前はなまえ≠オかなくて、班員の誰かになまえ、と呼ばれてしまえば、私の名前は鬼にわかってしまうのだ。だからかかった。
ひいちゃんと班長はフルネームで呼ばれていなかったから、鬼を狩れるとしたら二人だけなのだけど、班長は不意打ちを食らって即死だし、ひいちゃんも私を庇って死んでしまったので、本当に万事休すだった。班の誰かが鎹烏を産屋敷に飛ばしたから来たと水柱様は言っていたっけ。一体誰がいつ飛ばしたんだろう。謎だなあ。
何はともあれ、鬼が斃されたのだから良し。
良くないのは今の状況であって、そう、水柱様である。うっかり寝てしまってはいけない。でも私の体は意に反して水柱様を寝かしつけようとする。だめだってば。

「ぼうやぁ、よいこだねんねしな。いーまもむかしもかわりなく……」

あ、日本昔ばなし。この時代に無い。シューベルトもブラームスも、多分無いのになんで歌うんだ体の方の私。小山の野うさぎがブームなのに。ブームなのかな。良く歌われているのを聞くけど。なあぜにおみみがなごござる。うさぎだからね。
ところで日本の子守唄ってなんだか物悲しい音楽ばかりの気もするのだけど、あれはなんでだろう。よく眠れる音なのかな。眠れるけど。人の体温と心臓の音で安心するので。多分きっと歌ってもらえたら眠れるんだろうな。よくわからない。普通にしている時に聴くと私は泣きたくなるけどな。本当に? わからない。そうかな。気分の問題かもしれない。泣いたことはない。多分眠い時にきいたら寝るかも。でも、やっぱり普通にしている時とか、何もない時に聴くと夕方の誰もいない部屋に一人で居るような寂しい気分になる。シューベルトやブラームスの子守唄の音の方は気持ちが穏やかになる。あれだ。詩はともかく。
水柱様が完全に寝る体勢になってしまった。お仕事お疲れ様です。そうじゃないんだ。起きて……まさか、この水柱様私の幻覚なのだろうか。ひいちゃんを抱いてた時も私は胴だけのひいちゃんを抱いてたんだけど、泉から引き上げられて、ひいちゃんを取り上げられるまでは、私の中でひいちゃんは五体満足で、眠っていただけだった。その時はもうどこに居るかもわからなくなった班員も、私のきらきらした赤い世界には疲れて眠っているように見えていたし、そこには班長だっていた。淡く輝く赤い澄んだ泉、冷たくない水、きらきら輝く空間。あれはみんな鬼が血鬼術を通して見せていた幻覚だった。
まだ血鬼術の後遺症から抜け出せていない私が、水柱様や蟲柱様の幻覚を見ていないとも言い切れないし、現に時々班員やひいちゃんや班長が、庭で手招きをする事も、世界がきらきらすることもあるので。

「水柱様」

私の体と心は乖離している。けれど、最初の頃よりは元に戻ってきてもいたし、時々ちゃんと制御できるようになってきた。

「おかえりなさい、お怪我がなくてなりよりです」

ばっと、勢いよく水柱様が体を起こして、バランスを崩して縁側から落ちた。どさ、と、ごん、という音がほぼ同時に聞こえる。痛い。大丈夫かな。多分頭を打ったんだと思う。でも鬼殺隊士は身体が丈夫なのが取り柄だから、これくらいなら大丈夫じゃないといけない。大丈夫じゃなくてもいいのかな。自分だったらもんどりうって泣き喚くかもしれないから、やっぱり大丈夫じゃない方がいい。そうだ。丈夫じゃない方がいいんだ。丈夫な方がいいに決まっている。ばかだな。頭に石を入れよう。お腹に石を詰めないといけないんだっけ。あたま。あたま。そう、そうだった、水柱様が頭を打ったんだった。

「なまえ、今」
「あ、班長」

水柱様の後ろで班長が大きく手を振っている。班長の隣にいるのは姉様だ。不意打ちで殺されたのに班長はまだ姉様が好きなんですか。いや、私の頭がだめなのか。姉様の腕には赤ん坊が抱かれていて、あれはもしかしなくても私の腹にいたやつなのだろうか。なんて夫婦だ。幻覚の中で幸せな家族を演出しなくてもいいだろうに。私の子どもを返してくれ。その腕の中のではなくて。幻覚だ。でも班長は月が綺麗だって言ったし、姉様も死んでもいいって言ったから。死んではだめだ。死んでは。そうしたら班長の頭が無くなって、なまえ。わたし。わたしの名前を呼んだので、はい、と答えてしまったから。わたしはその時からゆりかごで。あ、白い月が見える。
水柱様ががっくりと肩を落としている。多分私が正気に戻ったと思った。私はもう正気だよ。言動がだめなだけで。本当に。本当かな。私、今でもちょっと思考がふらついてしまうことがある。自覚はある。私ももう少し制御できるようになったらいいのだけど、まだいつどうやったら操縦権が私に戻ってくるのかわからないのだ。人をロボットみたいに言う。私は正気だぞ。でもお座敷から出してもらえないってことは血鬼術はまだ解けてないってことだ。元凶の鬼はもういないのに。後遺症だから仕方がない。麻酔も大量に使えば毒なのだ。薬だから。
何処かの誰かが、お前は狂ってるという。そんなことない。自覚はない。
がっかりしている水柱様の頭を撫でる。よしよし、水柱様はいいこですね。
水柱様は実直で頑固なひとだ。口下手で言葉が少ない人だけれど、こうやって律儀に私の様子を見にきてくれる。
多分、水柱様の中では狂ってしまった可哀想な娘や妹みたいなポジションなのだと思う。本人から聞いたことはない。この人がお兄ちゃんだったらめんどくさそうだ。面白そうでもある。
水柱様は、私が子を産めない体になったと知った蟲柱様に、なんで私の日輪刀で刺したのかとか、考えなしとか、いつも言葉が少ないとか、だから嫌われるのだとか色々としこたま怒られたあと、何を思ったのか切腹しようとしたり、それを止められて考えを改めたのか、責任を取って私を娶るとか言い出したりしていた。娶らなくていいよ。子供が産めないのだし。流石に娶るだのなんだのは、その後ちゃんと水柱様から謝罪の言葉を頂いたのはおぼろげに覚えている。
でもあの時の体の制御権は私にはなかったし、私の心もまだしっかりとくっついていなかったので、それはもうめちゃくちゃだった、と他の隊士からきいた。
私のところにはよくわからないけどたまに隊士もお見舞いに来る。鬼殺隊はとち狂った私にも優しい。良いところだ。
その隊士によれば、私はニコニコと笑って、水柱様を他所から預かった赤ん坊の様に扱ったらしいのだ。多分、姉様の子として。私の腹に居た鬼。記憶は赤い靄で定かではないけれど、あの時の水柱様はきっと宇宙を背負っているような顔だったに違いない。未知の領域だ。赤ちゃんプレイの強制は良くない。水柱様の性癖に影響がないといいけど。いや、私に母性も乳もないので大丈夫だと思います。多分幼い子のおままごとみたいなものだったはずだ。つまり水柱様は大きなお人形さんだったわけで。はい、水柱様、いいこですね。お乳はあげられないので、重湯でいいですね、ごめんなさい、姉様が早く帰って来ると良いのだけど。姉様といえば……。は、いけない。これはあの時の私。にシンクロしそうになった私。水柱様がずっと撫でられている。私の体は撫でる手を止めた。ほっとする。かあ、とカラスの鳴き声。私のカラスは居ないから多分水柱様のだ。指令じゃ、と鳴く。じゃ。かわいい。じゃー。

「じゃ」
「指令ジャ」
「しれいじゃ」

よたよた、地面を歩いて来る鎹烏は少し羽根が萎びているように見える。ご長寿さんなのかもしれない。
ぴょんと縁側から降りてその子の元へ。じゃ、と私は鳴いて烏を掬った。縁側に戻って座って、膝に烏を乗せる。撫でる。艶がない。もそっとしている。ぎゆー。烏が鳴く。小さな命だ。ふるふるとしている。あれ、喋らなくなっちゃった。指令じゃなかったのじゃ?

「……指令は?」
「……ハテ?」

このあとやってきた蟲柱様が、ちゃんとした指令を下達してくれたので、水柱様は鬼退治に出かけて行きました。
そういえば私はいつ鬼退治に戻れるのだろう。少し気狂いでも鬼くらいなら倒せそうだけど。どうなんでしょう。ね、ね、蟲柱様。


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