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「#幼馴染」のBL小説を読む
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私の名前はなまえ。漢字で書くとどうだったか、ちゃんと漢字はあるのだけど思い出せない。普通の感じではなかったような。気がするような。でも多分普通じゃなかった。違うんだ、て思ったのを覚えているから。あと、なんだか、人の名前につけるような漢字でもなかった。と、思う。だめだ、そんな気がするってだけしかわからない。
最近結構そんなことがある。物忘れが多くなった。物忘れって可愛い感じじゃないけど。だってほとんどなにも思い出せないから。違うな。思い出せないってわけじゃない。うまく説明できない。記憶の八割くらいがぼんやりしていて、なんだかどれもうろ覚え。って感じ。ぼんやりしてる。ちょっとでこぼこが浅めの磨りガラスからのぞいている、みたいな。
たぶん、あの赤い泉で目を覚ました時からだと思う。あそこからの記憶も曖昧だけど、あそこからの記憶の方が鮮明だった。そこから前の記憶が磨りガラスなら、こっちは濡れたスモークガラスってところかな。
それから、世界は常にちょっと赤みを帯びていて、きらきらちらちらと輝いている。多分目か頭がおかしいのだと思う。普通の人の視界じゃない。記憶が曖昧でいつからこうなのか思い出せない。
でも赤い泉に浸かった後からだったと思う。世界がきらきら輝きだしたのは。
世界が赤いのはほとんど最初からだった。親が私に笑いかけてくれている記憶、断片だけど、これはまだ赤くない。それ以外は赤い。そんな気がするってだけなんだけど。だって世界は赤いから。どうして世界が赤い事を自分で理解して認識しているのか、それも不思議な気持ちだった。これが普通なら、私はきっと世界が赤い事はわからなかった。むしろ、親との記憶が白いって言ってたかも。誰にも言ったことはないと思う。あるかもしれない。だって記憶が曖昧だから。他人との会話なんていちいち覚えてられないから良いんだけど。いや、良くはないか。頭がおかしいと、お外に出してもらえなくなる。私にはもう血の繋がった人はいないから、その人たちから何かされる事はないのだけど。

そう、私の世界は赤かった=B
だから、こうも言える。
赤くない私の世界もあった=B

赤くない世界の私。私だけどなまえじゃなかった。その時の記憶もぼやけていてあんまり思い出せない。私の記憶はほとんどない。溶けてしまって、多分元にも戻らない。仕方ない。けど、頭にこびりついている知識は残っている。記憶だけ無いのも気持ちが悪い。だって知っているのに、どうやって知ったかわからないから。
私は本を読むのも苦手だし、教えてもらうのも苦手だし、ひととお喋りするのも苦手なのだ。私の中に留め置いて、料理して、相手に渡すのが本当に苦手なのだ。一人で歌を歌ってる時がいちばんなにも考えなくて済むからいいと思う。
なんの話だっけ。そう、赤くない世界。私はその時は今みたいにゆっくり動いていてはいけなかった。でもその世界の私はその世界に産まれたから、赤い私みたいにぼんやりしていなかったし、記憶も綺麗に持っていた。はず。
私はチェック柄のスカートをはいて、白いシャツを着て、胸にリボンを揺らして、毎日同じ学舎に通って。
先生、先生。少し厳しくて、優しい歳上の人。憧れの大人。私も先生になりたい。でも私全然勉強できなかったんだった。そんな話を良くしていた。家に帰ったら近所の子が家の中にいる。ママの教え子。生意気だからあんまり好きじゃなかったかも。ママに言われて味噌汁を作る。そうするとパパから電話が来る。まだご飯の時間じゃなかったかな、こっちは夜だよ。先にねむるよ、おやすみわたしのかわいい子。
ママと二人でご飯を食べて、友達と一緒に夢中になっているアイドルが主演のドラマを見て、友達とちょっとだけお喋りして、眠る。そんな毎日だった。そのアイドルも友達も、ママもパパも、生意気な子どもも、顔や名前や服装は思い出せないけど。そこに居る、居た。それは覚えている。
赤くなったのはその赤くない世界の終わりの時だ。なんだったかな。パパの迎えに行く時だったかな。学校を終えて、今日は早く帰るんだって部活に行かずに、友達とも別れて、信号のない横断歩道を渡って。いつもは通らない方の道を使って、だって空港に行くから、空港行きのバスが停まるバス停を使わないと。
その道は背の高いビルの横を通るのだけど、工事中でもなかったし、暴走する車もなかった。人通りは多くないけど、少なくもない。普通の道だった。のに。
私の頭の上に、何かが落ちてきたのがいけなかった。すごい確率だと思うよ。頭の上に、ひとが、おちてくるのは。
私より多分、ずっと大きな人だったと思う。ちゃんと見てないけど。
今まで聞いたことのない音がして、多分通行していた人達の叫び声が聞こえて、私の体は重たくて、呻き声が私の上から聞こえて、世界は赤く染まっていって、それからゆっくりと暗くなった。
ぷつん、テレビの電源を切ったみたいに、世界の電源が切られたみたいに私以外の何もかもがわからなくなって。

気付いたら、赤い泉の中だった。

でもそうじゃない。私はもっと前から赤くない世界と一緒にいたから。

私はなまえ。鬼殺隊に所属している。階級は丙。上から数えた方が早い。これはすごいことだとみんな言う。だからすごい事なんだと思う。
私の世界が赤くなったのは、やっぱり親が居なくなってしまったからだと思うけれど、よくわからない。最初はきっと綺麗だった。だけど色が赤しかなくて、多分白とか黒とかもあったし、いろんな色もたくさんあったと思うけど、赤いフィルムを通した世界のようだったんじゃないかなとおもう。だって世界は赤いから。
私はお兄さんに育てられて、でもそのお兄さんもだめだった。その人は私を赤い世界の中にずっと閉じ込めた。赤いだけじゃなくて、その人は明るいところにも出してくれなかった。監禁されてたわけじゃない。うまいことばがわからない。つまり、世界は赤くて暗かったってことを言いたかったんだけど。わかるかな。
そんな世界にもっと赤いものが飛び込んできた。お兄さんを訪ねてきた赤い女の人。それはそれは美しい女の人だった。その日が満月だったら彼女はかぐや姫だし、その日が冬なら彼女は鶴で、吹雪いていたなら彼女は雪女だった。それくらい美しい人だった。いつもは煩くて汚くて酷いお兄さんも、その人の前では大人しくなって。お兄さんは女の人と部屋に入ったっきり、部屋から出てこなかった。かつてないほど静かになった家で、夜明け前に女の人が玄関の戸を開けたのをみた。
お見送りをしようとして、だって寝かしつけてくれたんだから、ありがとうって言ったのはちゃんと覚えてる。
彼女はにっこり笑って、赤い爪の手で撫でてくれたあとに、赤い唇でおでこにキスをしてくれた。美しい赤い女の人だった。
これだけは、女の人の赤色だけはずうっと綺麗に覚えている。

別に私は赤が特別好きなんじゃない。ただ世界が赤くなっただけ。だって赤は命の色だ。
陽に手を透かせば赤く、肉を斬れば赤く、滴り流れる赤が多くなればなるほど、人は失われていくのである。

だから、お兄さんが入っていた、赤い世界になった箱の蓋を閉じた。
与えられたものはほとんどなかったし、探してみたけど良いものもなかったから、結局、何も持たずに、大きな赤い世界に飛び出したんだ。

私の世界は赤かった。
最初は赤くない世界だったけど、赤も時々褪せていくけど、でも、気付けばまた真っ赤に染まる。
その日も世界は赤かった。
ごうごう、感じた事のない赤の中に私は座った。
ごうごうと大きな音を立てる赤の中で、私は別の音を聞いた。みし、とか、ぴし、とか、ぱち、とか。
その時は、いつもはやらないけど、少しだけ世界を嗅いでみた。いろんな音がしたから。赤い世界を、もっと感じてみようと思って。でも、その匂いは知ってたから、ちょっと残念だった。ごうごうと音を立てる赤がどんな赤なのかもすぐにわかった。なんで赤い色をしているのかも。これは、命を薪にしているから赤いのだ。

それは、赤で。
赤だから。

私が鬼殺隊を知った時も世界は赤く。
育手の元にいた時も世界は赤い。
だけど、赤いだけの世界にも漸く別の色が現れた。
もちろん、最初から色はあった。だから多分、現れたんじゃなくて、正確にはそれが認識できるようになっただけなんだと思う。
青、黄、白、黒。
世界は赤いままだったけれど、少しだけ、まだらの模様ができるようになった。
紺、青緑、薄紫、淡黄、東雲。
息をする月日が重なっていくごとに、世界を彩る色は増えていった。
でも、色が少しわかりやすくなったというだけで、世界はいつまでも赤かったし、赤は常にそこにあった。

赤くない世界が重なったのはいつだっただろう。
刀を持たなかった日々に、重なっていなかったことだけはわかる。
だけど赤い泉に抱かれた時から、それよりも前の記憶がどこかへ、どろどろに溶け出てしまったような感覚があった。ただ忘れているというのではなく、外に出てしまったのだ。自分の中に、残っているような感覚などというものは、当然、わからなかったし、そんなものは感じない。
ただ、どこで聞いたか、何も答えたくないのに喋ってしまいそうになったら、歌を歌えばよいのだと、そういうことは覚えていたから、あとは歌ってくれと言われたから、私は歌うことにしたような。

ねむれ、ねむれ、ははのむねに。
ねむれ、ねむれ、ははのてに。

太陽は失われた。親友は失われた。班長も、育手も、親も。
世界はずっと赤かった。
だけど、私の日輪刀だけは赤くなかった。
赤い世界で、あれだけは赤くなかった。

私の親友の話もしようと思う。
彼女は姫宮さゆりといいました。
炎の呼吸を使う、少し烈しくて重たくて、でもとっても可愛い女の子。
あの子の親は健在で、鬼殺隊に似合わずにずっと幸運で幸福な人生だった。だって、私のと比べたら本当に何もない。お見合いがよく破談になってしまって、お見合いなんかじゃくて、いっそお互い知らないで結婚した方が絶対早いわって、お洒落なカフェーに連れていかれて、話をずうっと聞かされていた。彼女とだけは、お喋りが苦手な私でも楽しかった。
それから、彼女に鬼を斬る個人的な理由はなにもなかった。あるのは信念。
悪事を働いたならば、罰が与えられねばならない。鬼はこの世に懸命に生きる、無辜の民を貪り食らう。だというのに鬼はこの世の理で罰せられぬ。ならば今、その頸を落とし、これ以上の罪を重ねられぬようにせねばならない。疾く閻魔ら地獄の裁判官の、裁きを受けてくるが良い。
だ、そうだ。
父親も隊士なのだと言う。母親も隊士だったそうだ。両親がそうだったから。きっとそれも理由の一つなんだろうなと思う。稼業みたいなものだったんだろうな。

赤い泉に漬け込まれるとき、そのひとは言った。お前は汚いけどこっちは綺麗。だけどお前は大人しくていい。
だからまず、彼女は首を斬られてしまった。その人も刀を使ったから。泉の中には、刀も水草のように生えていた。
ぽんと。さっきまでその人と言い争っていた親友の頭が無くなった。彼女が。ぼちゃん、後ろから音がした。泉に石が投げ込まれた音。本当は違うのを知っているけれど。
私の隣にいて。生きていたのに。彼女が唯一、この場で動けた鬼殺しだったのに。女だったせいで。私の隣にいたせいで。私と友達だったばっかりに。彼女はその美しい魂を散らしてしまった。
じゃっと赤い水が少し私にかかった。身体が倒れていくのを、咄嗟に抱きとめた。抱きとめる事は許された。湧き出す赤い水が、びしゃびしゃと地面を濡らしていく。心臓の鼓動に合わせて。段々とその量は少なくなって、それでも彼女は日輪刀を手放さなかった。
それがきっと気に食わなかったんだと思う。
彼女の片腕も、斬られた。
私は何もできなかった。なにも。彼女のように言い返すことも。許されていなかった。抱きとめる事しか。だって私たちは聞いてしまった。知られていなかったのは班長とひいちゃんだけだったけど、班長は一番最初に死んでしまっていたから、本当に、最後の希望だったのに。動けない隊士たちは呆然と私達を見るだけ。
その人は私を傷つけないように、丁寧に彼女のもう一本の腕と、脚を斬った。まるで魚を捌いていく板前かのように、丁寧で、慣れた手つきで、さも当たり前だと言わんばかりの顔で。隊服を丁寧に脱がして、彼女の綺麗な腹を撫で、丁寧に胸から腹にかけて、肉を割った。そこから、内臓を切り出して、要らない手足と同様に、あの赤い泉に放り投げていく。私は見ていた。目の前で。すぐ近くで。カウンターの向こう側で、調理をする板前と、客の距離よりずっと近くで。
でも、なにもできないのだ。することを許されていないから。
そうして空っぽになった彼女の腹。完全な空ではないけれど。残った臓器は二つあった。一つは心臓で、もう一つは子宮。
その人が、彼女の腹に大きな塊を入れる。何をするんだ、私の親友に。これ以上何をさせるの。叫んで、奴の頸をはねてやりたかった。でも、体は動かせない。動かない。動けない。動かしてはいけない。ただ、泣く事だけは許してくれた。私の両目から、ぱたぱたと涙が溢れ出る。
彼女の腹を閉じて、服を着せ直しながらそれは言った。

「子守唄を」

だから私はあの赤い世界の真ん中にいて。
綺麗な泉。赤い泉に。綺麗なんてものじゃないけど。地獄だった。動けない仲間たちは、声を上げることを許されたから、仲間たちは叫んで、私に、自分たちが殺されていくのを教えてくれていた。断末魔が聞こえる。哀願が聞こえる。痛みに悶える声がする。絶望の笑い声がして、遺した者へ何かを伝えようとして、みんな、そうして静かになった。
後ろを向くのを許された時、彼らがいたはずの場所には、赤しか残っていなかった。
何日か過ぎて、毎日それは私とお喋りしに来ていて。私のためにそれは食事も運んできた。ゆりかごは大事にしなくっちゃ。その人は言った。お前はいい子ね。どうでもよかった。本当にどうでもいい。なんでこんなに、綺麗に思い出せるんだろう。だけどそれもすぐにわかった。だって泉の中にいる間はそれしか記憶することがなかったから。
泉に入って、煌めき出した赤い世界は、三日くらいでついに世界を変えてしまった。
私の赤い世界が、あの赤いセロファン紙が、姉様の手で破かれた。代わりに、姉様は私に、美しい世界の絵をはめ込んでいったわけだけれども。現実逃避は私のためでもあったし、きっとまだ肚の中に居るもののためでもあるのだと思う。
親友の腹には化け物が潜んでいる。その化け物の殻を食むために、親友の腹には虫が詰まっている。
ああ、可哀相に。親友は虫が嫌いだった。

カア、とカラスが鳴く。鎹烏ではない。私の子は食われてしまった。あれは私のではないし、鎹烏でもない。迎えだ。迎えに来るって言っていた。取り戻しに来る。抵抗はできない。許されていない。だって私は聞いてしまっているから。だって私は。
そっと布団を這い出して、裸足のままで外に出た。誰にも遭遇しなかった。だってそう伝えたのだ。蟲柱様に、今夜だと伝えた。
藤の家に、鬼殺隊が居ないのは仕方がないことなのだ。
走って、目的の場所に来る。
喋るな、なんて言われてない。動くなとも言われなかったからここまで来れた。でも、迎えがきた。戻っておいで、って。来いと言われたから、行く。だから私はあの場所に戻るのだ。
何が許されて、何が許されていないのか。私はそれを説明できない。喋るなとは言われていないから喋った。だけどうまく喋られなかったのもわかっている。もっときちんと伝えられたらよかったのに。でもそれはだめなのだ。許されていないから。
藤棚をくぐった。

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