×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -

「むしばしら、さまは、いいかおり、が、します、ねー」

まだ少し腥い少女は、清廉な湯に抱かれ、女性隊士に髪を洗われながらそう言った。
泡立てた石鹸は、少女の髪の上を滑るだけでじんわりと赤く変色する。血と脂と腐肉に浸された少女の皮膚はふやけ、洗っても洗ってもぬるついた。強く擦ってその汚れを削ぎ落としたい気持ちが先立つが、そんなことをすれば彼女の皮膚は忽ちに剥がれてしまうだろう。少し強く洗っただけでも、彼女自身から血が流れるのは、先程知ったばかりだった。
あの森から帰還した時、藤の花の家紋を掲げていた家の主人は、その異臭に泡を吹いて倒れてしまった。一番酷い臭いだったのは勿論少女であったが、あの場にいた全員がすっかりその悪臭を纏ってしまっていた。先についていた隊士と隠達も臭ってはいたが、まだひとかたまりの人数が少なかったから耐えられたのであろう。
なんとか汚れても大丈夫と言われた庭の一角で、少女の頭からぬるくなった湯をかけ、隣の水柱もまた同じように湯にかかりながら、ついた血を洗い流そうとした。
けれど、いくら流しても湯は赤く染まり、止むを得ず服を脱がし下着を脱がして、半刻以上、ようやく半透明の水が見られるようになったのである。
隣にいたはずの水柱は、流石にその時は居なかったが、打ち水の音はふたつ、庭に響いていた。
それから更に四半刻、透明な湯が八割になったところで風呂場を借り、現在まで、自分達もついでにしながら、少女をひたすらに洗っている。
少女。七人の中の、女性隊士二人のうちの、どちらか。今回召集された隊士らの中に少女を知るものはおらず、名はまだわかっていない。幾度か本人に尋ねはしたが、話が噛み合わないのである。
あの凄惨な場を見、唯一生き残った女子である。心が壊れたのかも知れぬ、と言うものもあったが、それにしては少女はしっかりとしているようにも見えていた。今は、あの現実を受け入れられていないだけかも知れないからと、蟲柱の胡蝶しのぶは少女の仮の経過観察を申し出た。本格的な決定の全ては、鬼を退治て、産屋敷邸に戻ってからだ。

「あか、あか、あかいいずみ、きれい、でした? きれいでした。みんな、みてたね、えへへ、おこしたんです、きらきら、あねさまが、ね、おねむだったの、ねんねん、ころり、ねんねん……ああ、えらい、えらい、ねえ」
「姉様……?」
「ふじ、ふじのあねさま、おはようございます、あ、あかるくて、あかい、あか、あねさま、ひいちゃん、ね、おきて、おきてくだいよ、きれいですよ、ほら、ほら、むしばしらさま、きょうも、おうつくし、い、あれ……むし、ばしらさま、おはよう、ござい、ます」

ぱちん、としゃぼん玉が割れる音がした。少女の瞳に、胡蝶がしっかりと捉えられている。今まではふらふらと宙を飛んでいたのに、だ。

「……はい、おはようございます。お名前を聞いてもよろしいですか」

湯船から出て、手ぬぐいで前を隠しながら、胡蝶が少女を見つめ返す。隊士が少女を支えながら、体の向きを胡蝶の方へと向けてやる。

「おなまえ、あ、おなまえですね、わたし、わたしは、なまえ、なまえです」
「なまえ。そうですか。……では、なまえ。あの場所で一体何があったか、覚えていますか?」
「あのばしょ? あ、あー、あかいいずみ、きれいでした? はい、綺麗でした。きっとあれを見に行ったんです、みんなで。でもきっとそこまでの道のりが大変だったんです。みんな疲れて寝ちゃったから、わたし、一人で見てました、独り占めなんて勿体無いですよね、そうしたら寒くなってしまって、あれ、元からあたたかったかな。藤の良い香りがしてましたよね、お花畑で、あったかな、そんなの? そう、姉様が案内してくださって、案内なんてなかったな、班長、班長がですよ、お月様が綺麗だなって言ったんです。つきがきれいですね、なんて、可愛いでしょう、姉様がね、そうですね、死んでも良いかも知れないって、だめですよ、ねえ。死んじゃだめですよ、めおとになるのだからだめですよ。だめだったら。ね、そうしたら姉様がわたしの胎に還りなさいって、胎に、かえ、あ、ああ、班長の、くび、鬼、そう、鬼です、鬼がいます! わたしたち、鬼を追いました。ここの鬼じゃありません、藤の中の。ここの、小鬼でした。いいえ、蟲柱様、頸は子にあります。ここのこどもだったんです。わたしたちは別の鬼を斃しました。別ですよ。小鬼だったんですから。藤の外側でした。だからここの鬼じゃないんです。外に居ました。わたしたちは中に入りました。嘘じゃありません。なかに。追って入ったんです。鬼が中に入れるわけないのに。でもそれは入って行きました。追いましたか? 蟲柱様、女性ですよ。七人で斃したのはこども、藤の、あか……あかとんぼ、ああ、姉様は嫁に行くんでした。だってお月様があんなにもまんまるで、とても美しかったから。でもわかりません、屋根まで飛ぶんです。違う、違う違う、うた、歌わなきゃ、歌わなくていい、歌わなくても、あかとんぼなんです……ああ、ああ、ゆうやけですよ、ブレネリ……ゆうやけでした。あれは赤です。赤い泉。……藤に囲まれている、花畑中に家があります。泉のほとりにある……花畑はご覧になりましたか? 潜れるんです、姉様は、潜れます。だから班長は死にました、生きてます。死にました! 姉様です。嘘、嘘、班長は男性でしたね。そうでしたか? 胎に還って……母胎、母胎回帰なんですよ、胎児なんです。蟲柱様、今夜です。水柱様は教えてしまいました。見たはずです。ややを見ますか? 見ましたね、ややは見ていますか? 見られていました。断言致します。鬼でした。藤の中に家があります。母になると。言いました。おつきさまは人を狂わせますよ、今日の夜です、お月さまはまんまるですから、臨月です。姉ではありません。母ではありません。見るのはややです。あれは廃棄されました。私たちは必要がないものでした。姉様が必要だったのは班長じゃない。ひいちゃんでした。ひいちゃんのお腹の中です。抜いたんです。赤を、赤、赤い泉、ああ、赤ちゃん……私でした。ゆりかごの代わりです。生きていなければならない。ゆりかごでしたので。姉様が来ますよ、潜れるので……早く戻って、鬼でしたね。蟲柱様、蟲柱様の後ろです。鬼なんです。聞いてくださいね、とみおかぎゆう、と、言いました。姉様は呼びました! ひいちゃんのお腹と、お月様の姉様です! 泉の近くにあります、藤の中に家があるんです、歌って、子守唄ですよ! 子守唄を。子守唄を歌うんです。独唱してください、静かに、ゆっくり、優しく……見るのはややですが、鬼は母です。お願いします、みんな眠ります。誰も生きていない。眠るんです。いいえ、寝かせてくれません、違う、違います。吸ってはいけません、ああ、いいえ。吸わなくてもいいの間違いです。吸っても問題ありません。蟲柱様、知られてはなりません。歌ってください。赤を見ないで。母を見てはいけないのです。姉様は鬼ですが、鬼でありません。心臓なので、頸を斬りました。だめでした。こどもです。我々の任務は遂行されました。わかりましたか? ちゃんと言いました。蟲柱様、見てはいけません。蟲柱様、聞いてはいけません。赤い泉、赤い泉、夕焼け小焼け、日が暮れてしまいますね……。ゆりかごと、お父さんですよ。必要なものは取りに来ると思います。お母さんになるので。わたし達は呼んでいました。聞いてしまいました。手招きは応えなければなりませんので。七人、六人です。振れませんでした。ゆりかごですよ……どうぞ、おやすみなさってくだい、わたし。ああ、泣いていますね。聞こえません。聞いてしまったので。ねむれ、ねむれ、いとしいわがこ……」

少女、なまえは満足したのかこれ以上喋ることはなく、震える女性隊士の手で洗われながら、ふわふわと子守唄を歌っていた。
会話などではなかった。狂ったように吐き出されたのは呪詛のように重たく、しかし、内容はどうやらすべて鬼に関することのようだった。まとまらない頭の中をそのまま口にするように、雑然と並べられた言葉たち。しかしきちんと彼女の中で整理されているようだ。と、なればこうなってしまったのは血鬼術か何かだろうか。いったい何が彼女をこうさせている。
鬼を斃せばこれも治まるのだろうと、胡蝶は確信を持った。彼女からの情報は有用だ。
みずばしらさま、となまえは子守唄の中に音を入れ込む。
ねむれ、ねむれ、ははのむねに。
ねむれ、ねむれ、みずばしらさま。
知らぬ子守唄だと、夕暮れを格子越しに見ながら、胡蝶は思った。
そろそろ風呂場を出て、得た情報を他のものにも共有せねばなるまい。

夜が来る。

prev next
back