×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

妹が、と炭治郎は答える。なるほど。頷いた。鬼に成ったとかいう妹が入った箱なのだ。

「匣の中の娘ってわけか、好いねえ」

思い起こされるのは入れられた記憶の一つ、その中で作ることに執心した女だった。
そういう類ものを扱った小説であるとか、漫画であるとか、人形であるとか、そういったものばかり追っていたように思う。
嗚呼、そうか。この世界なら作れるかもしれぬわけだ。と、それが這い出して言った。

「その箱の娘に手足はあるかい」

ぎょ、としたのはそこにいる子供たち全てだろうか、ニコニコと表情を変えぬ蟲柱も少しばかり表情が歪んだように見える。
炭治郎は質問の意図がわからなかったか、困惑の表情を浮かべてこちらを見た。

「いや何、この箱に入れるには人間は大き過ぎる。全部入りきらんだろう。入ったとして、胸から頭がせいぜいじゃないか、手も足も尻も、切り落とさねば入れられん。それ、竈門の鎖骨から臍の辺りまでしかなかろう」

そういうと、蟲柱は漸く納得がいった様に目を開き、この人はですねえ、と伏せる子供にまるで夜咄を聞かせるような声音で解答を述べた。
妹さんがどうやって入っているのか気になるのですよ、と。
回りくどい質問の仕方をしていないで、そう単刀直入に聞きなさいとお小言まで付いているのだから、口煩い母のような女だと思う。顔は綺麗だが、本当に中身がよろしくない。こういうのが、何も言わないでそこに在るのなら、手を叩いて喜んだものを。

「ああ、なるほど。禰豆子は箱に入る時、体を小さくするんです。箱に入れるほどの幼い姿ですから、五体満足のままで居られます」
「鬼の特性か。はあ、異形の鬼になる過程の一つというわけだ。そうか、五体満足か」

それはあまり、うまくはないなあ。
というのが正直な感想であった。
作りたかった女は、五体満足ではだめなのだ。
破損したルネサンス期の彫刻が絶賛されているのは、ひとえに破損しているからであって、それは、破損した先を己の中の最高の美で、補完できるからに他ならない。頽廃の美、というやつにも繋がっている。
まあ誰も、それに賛同する者はいなかったが。
何せみんな、失われた物や、失われた事に対して酷く嘆くのだ。それが新しく、その人物に神秘的な美しさを与えるとは夢にも思わないで、後ろをひたすら見続ける。
死した者への慟哭は更に酷い。記憶の中に生き続ける、愛されたその者たちは次第に美化されていく。その美しさたるや、本物を超え、記憶を捻じ曲げる力をすら持つ。時が経ち薄れゆく中で尚美しくあらんとする。これを記憶の中の天使と自分は呼称しているが、誰にもやはり同意は得られない。深く愛した者の美化された記憶の足元に、生きている人間は全く及ばないのだと、早く皆気付くべきだろうに。
それを考えれば、この鬼殺隊も、一種後ろ向きの組織と言えなくもないか。失われた命を嘆き、対象を憎む事で生きる糧としなければ、地に立って居られぬのだから。なんともいじらしく、可哀想な者達なのだろう。
匣の中の娘は、臓腑から何から全てを抜かれて、肺と心臓だけだった。機械から外され、それでも束の間生きていた。恋人の元に送り届けられた娘は、液体に付けられてただ死に行くだけだったが、それでもまだ生きていた。四肢をもがれて詰め込まれていた彼女たちは、かくも素晴らしく、美しかったことだろう。どちらも美を追求して成った結果ではないけれども。
今ではまだできぬ偉業だろうが、この世界には、ほら、刻んでも生きているものが在る。
再生されれば厄介だが、どうだろう、陽の光に当てれば再生しないと何処かで聞いたような気もする。そうで在るなら、それほど都合の良いものもない。
ただ上手く自分がやれるかわからない。医学知識も工学の知識も無いわけではないが、それらの知識はきっと力を貸してはくれぬのだろう。
まあ、何万回とやっていれば、偶然の産物としてそういうのができるかもしれなかった。あとの問題といえば、やはり造形の事だろう。そう美しい鬼女が無数にいるはずがない。
蟲柱、この女ほどの愛らしさがあれば良いが、これはだめだろう。鬼に成ればきっと、なんとかして自死してしまう。そういう女だ。
そも、まず鬼にするためにはどうすれば良いというのか。
鬼は首魁の者にしか作れぬと聞くし、もう一つはそこらの鬼の血を大量に取り込めば、鬼に成るらしいというのも聞いたことがあるが、鬼の血を多く被っている柱達が鬼化したという話も聞いたことがないから、どれほどの量が必要かもわからない。
この、鬼の血を取り込むというのは、鬼の中の無惨の血が作用するということだろうか。なるほど、無惨でなくても鬼を作ることは理論上可能なのか。全てそっくり入れ替えれば良いのだろうか。それもそれで厄介だ。まず素材の娘が鬼に成る前に死んでしまう。
ならばやはり鬼の首魁の血か。どこから摂れば良い。鬼の首魁がそう簡単に協力するとも思えぬし、奴と出会うことが簡単ではない。鬼殺隊の多くが長年追っているのに、この竈門炭治郎しか出会っていないというのが証拠でもある。
やはりまるまる入れ替えるだけしかないのか。
だが、もう一つ問題がある。血液型というものもあるのだ。鬼がぽんぽんと産まれていないのを考えるに、何か適性というものも存在するのではあるまいか。ただの輸血で良いのなら、あれだな。首魁はO型だとか、RH+とかなのだろう。ABO型でわけるのであれば、数撃てば当たるだろうし、日本人の九割以上はRH式の抗原の陽性陰性云々、であればRH+である。
だが、首魁から直接摂取するわけではない。その血が入った他人の、それも鬼の血だ。鬼と素材の型の確認は難航するのではなかろうか。凝固溶血だとか、この時代での血液型の確認方法など限られているし、万一合ってもそれが素材に受け入れられるとも限らないのだ。
さて、一体どうするか。ああ、だめだ。撤回しろ。うまくないと、口に出してなくてよかった。関心したように、取り繕って、笑顔をのせる。こういうのは得意じゃないんだ。何も考えずにいたい。本当に。浅慮だった。口を許すべきじゃなかった。置いておくべきじゃなかった。
使えると、思っていたのに。





「ごめん、浅慮だった」





その声に重なって、何かが潰れる音がした。
一体何の音かと思って見回してみたけど、誰もそれに気付いた様子はない。そこでやっと、これが誰かの中から聞こえるものなのだとわかった。誰からするのだろう、やめてくれ、聞きたくない。はやく、はやく、やめさせなきゃ。音が大きい。いやだ。この音はいやだ。
だって、鬼が、人を喰うのと同じ音が、する。
誰だ。誰だ。誰がこんな、音。
炭治郎じゃない。伊之助も違う。アオイちゃんも違うし、なほちゃん、すみちゃん、きよちゃんも違う。
胡蝶さんも、時々強い怒りの音はするけどこんな、気持ち悪い音はしない。ベッドで寝ている他の隊士も違った。
はっとする。目の前の人だ。この、俺たちを助けてくれた、とても強い、ひと。その人から、この音がするんだ。近すぎた。先入観もあった。この人は違うと、多分、そう思いたかった。
だって俺たちを、あの数多の鬼の中から助け出してくれたひとなのだ。あの時は強く凛とした音を響かせて、大丈夫だと笑ってくれて。
最後は安心しすぎて気絶していて、よく知らないけれど、あの人が鬼を追い詰めて、炭治郎が鬼の首を斬ったらしくて。
だから、だから。こんな、酷い音を。
やめてくれ、もう、やめてくれ。いやな音がする。その人の中から沢山の音が聞こえる。ざわざわと、まとまりなく、まるで沢山の虫が一つの穴の中で蠢いているような。
楽器の練習で各々が好き勝手に演奏している以上の不協和音。
気持ちが悪い。なんでこんな音がする。一人の人が出せる音は、もちろん沢山あるけれど、それでも纏まって聞こえるものだ。心臓の鼓動、血液の脈動、筋肉の動き、髪の擦れ、衣摺れ、全て一人の人を表す音となって俺に届くのだ。普通は。
だから炭治郎は、泣きたくなるくらいの優しい音だとわかるのに。
この、ひとは。
ぶちん、と。何かがちぎれて、その人から聞こえる音の一つが、消える。
あれだけ騒がしかった気持ちの悪い音が、ゆっくりと小さくなって、一つの音に纏まりだす。あの時聞いた、強く、芯のある音に。いや、違う。あの時は、よく聞いていなかったからそう聞こえたんだ。これは、あの、無数の不協和音が、大きな音に乗って、纏まっているように、聞こえるだけだ。
だめだ、気持ち悪い。この音はだめだ。
このひとは、このひとのおとは。

「き、もち、わるい」

両手で口を抑える。吐き気が登ってくる。ベッドの上で吐くのはだめだ、耐えろ、耐えろ我妻善逸、せめて、何か、袋、を。
周りが騒然とする。俺が吐き気を催したからだ。心配してくれている。けど、何も言えない。謝意を示そうとすれば、きっと吐く。さっと、顔の手前に桶が出された。ちらと目線を上げると、慌てた様子のアオイちゃんが居た。桶を持ってきてくれたんだ。ごめん、目の前で吐くけど嫌わないで。結構当たり強いけど。嫌われてない。絶対嫌われてないから。両手を離す。口を開ける。
あれ、うそ、出ない、うそだ、気持ち悪いのに、吐き気が、なんで、やだ、気持ち悪い、音がする、いやだ、いやだ、助けて、誰でもいい。たすけて。

「ちょっとごめんね」

背をさすられる。吐けない? 優しく尋ねられる。小さく頷くと、がしりと顎を掴まれた。口の中に、何かが侵入する。苦いような、酸っぱいような、少ししょっぱい味がした。喉の奥をグッと押される。舌が入れられたものの形を捉える前に、胸の奥から熱が上がってくる。口の中のものがずるりと外へ出た一瞬後で、俺は胃の中のものをぶちまけた。
何度も嘔吐きながら、ようやく全てのものを吐き出し終えると、すぐに桶と布が入れ替えられる。鼻の方にも吐いたものが逆流していて気持ちが悪い。臭い。少し余裕が出てきた。鼻のいい炭治郎に申し訳なさが募る。
うっかり涙も出ていたし、今すぐ顔を洗いたい。

「誰も貰いゲロするなよ」
「やめてください、誰かが反応するじゃないですか」
「俺がしそう」
「出て行ってください」
「大丈夫、胃は空だから安心して! いやしかし手慣れてんね」
「……処理の仕方は。でも手慣れているのは貴方の方じゃないんですか」
「処理はできないな。いや? できるかもしれん。できそう、多分できるな。あ、やんないからね」
「残念、手伝ってもらおうかと思いましたのに。……違いますよ! もう。よくも躊躇なく口の中に手を突っ込めますね」
「何言ってんの。吐きたいのに吐けないって辛いんだぜ。それに、助けてと言われたからには、助けなきゃ」

話し声が、耳を素通りしていく。




prev next
back