×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

雨が降っている。
髪や頬を頻りに叩いていく水滴が、身体の熱を奪っていく。
揺れるぼやけた世界で、命が流れ出ていくのをただ感じていた。
不覚だった。あれは確かに油断だった。
雨。雨が降っていたんだ。町の外れの、少しぬかるんだ土の上。そこで足を滑らせた。転んではいない。ほんの少し体勢を崩した。たったそれだけの事だ。けれどそれが、致命的な失敗になる。鬼と対峙するとは、そういう事だ。
迫る鬼の手。これで終わりか、何も得る事も出来ずに? 無名の鬼なんかに? この、俺が? 雑魚なんかに殺されてたまるか。腹立たしい。
一度目はその攻撃を躱した。二度目の追撃は肩を掠め、三度目は腿の肉を抉る。地を這わされ、視界が屈辱と怒りで赤く染まる。
こんな雑魚相手に!

「俺の呼吸! 参ノ型! 散々に死ねッ!」

その時だ。その時現れたのが、今俺を背負って走っている同期の隊士だ。
まさしく飛び掛かるようにして、突如現れたそいつは、鬼の横っ面を殴り飛ばし、地に伏した鬼の両足を曲げ、足と背の上に跨った。
革の腰袋から金属の棒を取り出して鬼の片腕を固定し、返しがしっかりと機能しているのを確認してから鞘から大鉈を引き抜くと、そのまま鬼に向かって振り下ろした。だん、だんっ、単調に響くその音は、鬼の悲鳴さえなければ、薪割りや下拵えの音のように聞こえた事だろう。
鬼の方は助けてくれ、もうやめてくれ、と喚きながらなんとか逃げ出そうともがくが、手足が固定されていては動こうにも動けない。そればかりか、徐々に動きが鈍っていく。
あの男の武器には、藤の毒が塗り込まれているからだ。
指先から始め、肩口まで漸く切り落とした男は、鬼の血にまみれた鉈を脇に置き、新たな武器を取り出した。縁に細かな歯のつけられた刃物。ノコギリだ。それが鬼の首にあてられる。そうして男は容赦なく、刃物を真横に滑らせた。ぎち、ぶち、と皮膚を破る音が響き、鬼が絶叫する。猩々緋鉱石で作られた、奴だけが剥く牙が、死をすぐそこまで連れて来ている事を悟ったからだ。しかし、ゴリゴリと削ぎ、削られていくのは紛う事なくその鬼の命であり、頸を切る手が止まる事は無い。
やがて断末魔は掻き消え、来るはずの無かった死に怯えの色を含んだ目が、往生際悪く活路を見出さんとぎょろぎょろと動き、やがてぐるんと目玉が回って白目を剥いた。首が完全に切り離されたようだった。鬼の体が、頭がぼろぼろと崩れ、宙に消えていくのを見る。
鬼を苛んだ武器が男の腰に収まり、漸く男がこちらを向いた。はっと目を見開くと、慌てて駆け寄ってくる。

「うわ、悪い、ごめん! 殺すのに集中しすぎた! 大丈夫か、なあ、まだ生きてるよな!?」

勝手に殺すなカス。来んのが遅ェんだよボケ。罵るも上手く口が回らない。途切れ途切れの罵倒に何を思ったかそいつは、酷く苦しそうに笑って、水を含んだ自分の服、その比較的綺麗な場所を持っていた裁ち鋏で切り、俺の傷周りにあてて巻きつけていく。いやに手慣れた応急処置だった。
怪我をしていない方の腕をぐいと引かれ、背中に負われる形になる。

「揺れるぞ獪岳、死んでくれるなよ」

黙ってろ。言われなくとも。こんな所で死ぬ気はない。
自分より大きな身体は随分と安定していて、この男の肉体が酷く妬ましく感じる。
自分にこれほどの上背があったら、これほどの体躯があれば、脚の筋骨量が多ければ。
悔しくて堪らない。妬ましい。羨ましい。人を軽々と背負い、普段と変わらず走れるこの男が。畜生。





ぼんやりと、天井の木目を数える。今できる事はそれだけだ。
藤の花の家紋を掲げた屋敷で療養を初めてもう何日か経った。医者を呼んで診て貰えば、そいつはぎゃあと飛び上がって叫び、逃げるようにして屋敷を出て行った。代わりに来たのは初老の男で、そいつは逃げ帰った野郎の父であり、教師であると言う。息子の失態を謝罪しながら、ばっくりと開いた傷を丁寧に縫って、大量の薬を置いて行った。あの医者もまた、藤の花の家紋を掲げていた。

「ずっと寝たきりだと筋肉落ちそうだよなあ……良かったな、肩と腿、どっちも内側じゃなくて」

甲斐甲斐しく世話を焼いているのはあの同期の男で、丁寧に包帯を解いては薬を塗り、また新しい包帯を巻く。肩は爪が掠っただけで、特に腕を動かすのには問題ないが、世話を焼きたいと言うのだから、やらせている。何もしなくてもやってくれるというのは、楽だし、なによりも気分が良い。

「内側?」
「内側。脇と内太腿、付け根。皮膚が薄いし、動脈が近いところを通ってる。鬼と違って、人間は弱点がいっぱいあるんだぜ。頭、喉、鳩尾はわかりやすい急所だけど、刃物をこう、横にすると肋をすり抜けて肺や心臓を破れる。知ってて損はないだろ」
「鬼に使えねえんじゃ意味ねえだろ」
「でも鬼だって絶対モツ抜かれたら驚くし、骨を折るんじゃなくて外されたら結構動き鈍りそうだと思うけど。今度やってみようかな」

話題がとんだ物騒なものではあるが、鬼殺隊の隊士同士と思えば許容範囲である。それに、こいつのこの知識は生きる上で役に立つだろうとも思う。万が一、野盗なんかに襲われた時のためにも、だ。

「抜糸できたら、俺が良い筋トレ教えてあげよう。師匠直伝だから、きっと獪岳も気にいると思うよ」

そういえばこいつは呼吸が使えない代わりに、育手から古武術を叩き込まれたんだったか。
本来なら、隊士に成れないはずの男。だのに当たり前にそこに立つ、特例のような男。妬ましい。最終選別に生き残ったのだから、と笑顔を見せた。
こいつという存在も、時折酷く妬ましかった。
俺よりも上背も体格も良い。呼吸を使えなくても鬼を倒せる。きっと多くを与えられてきたのだ。様々なものに恵まれた男。くそ。これは俺にも与えてくれる側の男だ。だというのに、それもこれも、憎らしく思うことがある。煩わしいと。俺だけではない。こいつは、こいつも、俺だけを特別視はしてくれない。
違う、そういう事を、ああ、苛々する。

「……なに、怒ってんの? 俺が遅かったから? ごめんって、なあ、拗ねんなよぉ」
「っせえ」
「なんでそんなにご機嫌斜めなの? 俺バカだから理由言ってくんないとわかんないっていつも言ってんじゃん? 俺たちおいって言って欲しいもんがわかるくらい長年連れ添った熟年夫婦じゃないんだよ? つうかあは無理なんだって……そもそもなんでつうかあてツウカアて言うんだろうな? 獪岳ゥ、その甘え俺に通じないからな! 嘘だよ構ってる時点でめちゃくちゃ効いてるんだけどもね、わかんないったらわかんないんだからね。これマジだから。お前〜お前お前お前〜! 他人の心は他人にはわからないの! 友達のこともわかんないの! 言葉にして! 俺になにしてほしいの! ほら、言ってごらん! もっと熱くなれよ。熱い血燃やしてけよ。人間熱くなった時が、本当の自分に出会えるんだ!
だからこそ! もっと! 熱くなれよお! な! だから俺にその身の内をぶちまけてみな! 全部受け止めてやっから! 大丈夫だ! そういう自信が俺にはある! ていうかこういう話そういえば何回したっけ、結構してない? お前毎回煩えって怒るよね、わかるよ俺もなんか苛々してる時俺みたいなのが纏わり付いてきたら苛々すると思う。でも俺はやれるよ、かなりやる。なぜなら俺はお前の親友だから!」

本当に腹が立つから、こういう時のこいつは嫌いなんだ。

「煩えカス。黙れボケ。てめえみてえなのは親友なんかじゃねえ。お前の言葉は軽いんだよ、信用なんねえ。どうせ誰にでも言ってんだろ」
「酷えなあ」

罵られてもからからと笑う。信用しろよと、お前だけだと。本当に、嫌いだ。俺の醜い部分がより鮮明になる気がするから。

「いつだって俺は本気だぜ」

からりとそいつは笑っている。いつだって、明るく、笑っている。

ああ、ああ、本当に。
俺は、こいつが。



prev next
back