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- ナノ -

少女は走っていた。
後ろから奴が追ってくる気配がする。奴のぞおっとする悍ましい声が聞こえる。熱くなまぐさい吐息が顔にかかるのが思い出され、走る速度は更に上がっていく。
息を吸う喉が痛かったが、足を止めたらきっと捕まる。引っ掻かれた腕も痛かったが、傷を見てもし酷いものだったら、きっと怖くて足が止まってしまう。ずっと走っているから頭も痛い。それでも止まってはいけないと思った。
奴が追いかけてくる音は、ずうっと同じ場所から聞こえるけれど、止まることだけはしてはいけないと思っていた。
少女は走る。己を逃がしてくれた父や、守ってくれた母がどうなったかを考える暇もない。ただ、生きるために走る。

女性が立っている。
闇に溶ける色をした詰襟に、滅の字が染め抜きされた、詰襟と同色の羽織を着た女性だ。
袴も闇色で、そこから覗く足袋だけが白く浮いている。
腰から下げられているのは刀だろうか。羽織の裾を押し上げている鞘が、月明かりでもよく見えた。
助けてください。
大振りの花が散る着物を着た少女が、羽織の女性に縋り付いた。息を切らし、血だらけで泣き腫らした顔で、その女性に訴えかける。
助けて。
女性は少女を視界に入れると、ふっと微笑み、しゃがみ込んだ。
少女と目線を合わせ、走って乱れた髪を整えるように頭を撫でる。

「ここまでよく頑張って走った。後は任せな。……これが終わったら、ちゃんと医者に連れてくから」

少女の後ろから、ひどく醜い人間がどたどたと走ってやってきた。ぼこりと出た下腹部に、ぼろ布を纏ったような服。浅黒い皮膚と、油にまみれいるのか、はたまた水分が少ないのか、ごわごわした髪が伸び放題にされているが、登頂はつるりとしていて髪はない。
額からは、尖った出来物のようなものが二つ、天を向いて生えている。
卑しい目は少女を舐め上げ、少女が隠れる女性の姿も舐め回した。うっそりと細められる目からは、侮りや嘲りの色が滲む。
少しばかり長い舌には遠目から見てもわかる程のしろい舌苔が見え、黄色い歯がにちゃりと音を立てながら糸を引いた。舌がひび割れている唇を舐める。牙があった。
突き出した腹のせいで着物をうまく着れないのか、剥き出しの胸は肋が浮き、じっとりと何かで濡れている。手足は肉が付いているとは思えないほどに細く、骨の形がわかるほどだ。
それはまさしく、餓鬼であった。
餓鬼は女二人を見ながら、引き攣った笑い声をあげる。柔らかい肉が増えた、と嗤うのだ。
羽織の女性は少女を下がらせ、刀に手を添える。
少女が女性に声をかけた。心配そうに。別に見知った関係ではない。今は羽織の女性が盾になっているため、餓鬼がこちらを襲ってこないが、彼女が死んでしまえばまた同じようなことになるだろう。
否。少女は分かっていた。餓鬼が遊びで自分を追いかけていたことを。いつでも、すぐにでも少女を捕まえられたことを。
少女が幸運だったのは、餓鬼がその気紛れで少女との追いかけっこに興じたことと、逃げた先に羽織の女性がいたことだ。
女性は少女を振り返って、ニッと笑った。
月が出ている夜にあって、太陽のような笑顔だった。

「鬼退治なんて」

女性が一歩踏み込み、鬼の懐に潜る。しかし、刀はいつまでも抜かない。ちん、と小さな金属音が響く。
餓鬼の頭がずるりと横にずれた。

「朝飯前だぜ、お嬢さん!」




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