刀剣 | ナノ
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▼ 03

ぱち、と目が覚めた。あたりを見回す。樹海の中だ。太い木を背にして、座ったまま眠り込んでしまったようだ。なんだ、と思う。死んだと思ったのに。死ねたと思ったのに。ようやく死ねると思ったのに。ああ、と。ため息を吐いた。夢の中でも自殺しようとするなんて末期だ。死ぬ前に寝落ちするなんて、私はなんて馬鹿なのだろう。買ったロープも、可愛いバッグも近くにない。落としたのだ。たぶん、落としたのがショックだったのだ。だって、自殺をしにここに来たのに、その手段を失ってしまったのだから。ああ、会社に戻らないと。死ねなかったのだから、会社に。許してもらえるだろうか。休みなんてないから、二日くらい、無断欠勤しても休暇扱いにしてもらえたりするだろうか。ああ嫌だ。なんで会社の心配なんてしているのだろう。先輩たちを殺したあんな会社、もう行かなくていいんじゃないだろうか。ダメだ、行かなきゃ。両親が心配してしまう。上司や後輩に迷惑がかかっている。戻らなきゃ。戻らないと。ああ、なんで死ねなかったのだろう。夢が現実になったら良いのに。ああ、しんどい。死にたかったなあ。どうやって帰ろう。大家さんにごめんなさいを言わなきゃいけない。あんな手紙書いてしまってごめんなさいと、ああ、ヤダなあ。誰とも話したくない。しんどい。帰らないと。会社に行かないと。
がさりとどこかから音がする。私が立てた音ではなかった。誰か、私と同じ目的の人がいるのだろうか。だったらきっと会わないほうがいい。面倒な事になるだろうから。私は、会社に、戻るのだ。やだな、帰りたくないな。だめだ、帰らないと。戻らないと。死にたい。しんどい。でも、戻らなきゃ、いけない。
木の根が足に引っかかる。目の前にある枝を掴もうとして、空振りした。どうして。涙はもう出ていないから、視界はクリアなはずだった。膝に手をかけて立ち上がれば、泥にまみれのスーツが目に入る。解れや破れも目に付いた。ああ、スーツがぼろぼろだ。戻ったら買い換えなきゃいけない。なんて面倒くさい。スーツを買いに外に出て、まず店の人と話さなければならないと考えるだけでも辛かった。そもそももレディースのスーツはメンズに比べ、何故だか高い気がするのも買い換えるのが辛い要因だ。新聞に挟まったチラシでも、男性の方が安かった記憶がある。スカートとズボンが組み込まれるからなのだろうか。それならどっちか片方だけでいいよと思う。女性がスーツを買うことが少ないからなのだろうか。金額に関しては推測するしかない。考えるだけでしんどくなった。また、何かに躓いて転ぶ。泥まみれの革手袋のおかげで、まだ、掌は傷だらけになっていない。そういえば、私、手袋なんてしてたっけ。ロープを結ぶ時のために手袋を買っていたかもしれない。全然覚えてないけれど、手袋をしているのだから買ったのだろう。記憶も定かではないなんて。はは、と乾いた笑い声が漏れる。無くしたロープが恋しかった。今、手元にあればすぐにでも首を吊ったのに。会社に戻らなきゃいけないなんて。あんな会社に。でも、戻らなければ。明日の出社は、私服でも許してもらえるだろうか。風邪をひいていたあの先輩も、四日目からは半纏を着ていたのだし、スーツをダメにしてしまって、といえば許される気もする。ああ、そうだ、スーツ。私が持っているスーツはこれだけじゃないんだった。あっちも随分くたびれているけれど、当分はあれだけでいけるだろう。もうワンセットのスーツの存在を忘れてしまうだなんて。私はなんて馬鹿なのだろう。足が辛くなってきた。近くに伸びる蔦を避けようとして、空振りする。ええ、なんで。そういえば、右側が見え辛い。さっきも垂れる枯れ枝に攻撃された。視力が落ちてるのかもしれない。記憶にはないけど、もしかしたら右目に怪我を負ったのかもしれない。病院に行かなきゃならないだなんて。なんて面倒なのだろう。保険は最低限しか入っていないけれど、こういうのは請求しなきゃいけないのだろうか。やることが多くてげんなりする。やっぱり、今、死んだ方が良いのではないだろうか。ああでも、仕事が、嫌だな。なんで会社に帰ろうとしているんだろう。そんなことを考えている自分が一等嫌になる。でも、生き残ってしまったのだから、戻らないと。ああ、もう、歩くだけでしんどい。まだ息をしているなんて、辛すぎる。
がさり、がさりと音がする。やっぱり誰かがいるようだ。こっちにこないほうがいいとおもいます。だってあなたは死にたいんでしょう。私も死にたいのだけど、やっぱりやめて戻ります。戻らなきゃいけないから。でも、多分また来ると思いますが。あなたはどうぞ、お先に。
ひゅうん、と何かの音がした。虫だろうか。獣の鳴き声がする。仕方ないな。

「もう、なんですか?」

ぱちぱちと、瞬きをする。
すぐ近くまで来ていたそれは、人じゃなかった。もう随分とテレビを見ていなかったし、漫画も読んでいなかったけど、学生の頃に見ていた漫画に出てくる、鬼、みたいに見える。
その鬼の手には棍棒じゃなくて、きらきら光る刃物が握られている。刀、なのだろうか。なんてファンタジーな存在なのだろう。ぎらぎら輝く目は、暗い樹海でもわかるくらいだったから、きっとその目自体が光っていた。
こういう存在を知っている。
人間では太刀打ちのできない相手、というやつだ。避けられない死、の表現。ああ、なるほど。私は霊感なんて無かったから、きっと死んでもわからない存在なのだと思っていたけれど。そうか。これが、死神。死神なのだ。
彼は私に死を与えにきてくれた。
私を迎えに来てくれたのだ!
ああ、ああ、神様、神様!感謝します!
ロープを無くしたのはきっと、彼に会うためだったのだ。
死神の周りを魚のようなものが泳いでいる。きっとあれは、死神の天使みたいなものだろう。口に刃物をくわえている。なかなかグロテスクな見た目だけど、彼らが私を迎えに来たのだとわかる今なら、なんだか可愛らしくさえ見えてくる。私はもちろん抵抗なんてしない。
木の根が邪魔になる場所から退いて、枯葉の敷き詰められた場所に正座する。

「あの、できれば、一撃で、スパッとしてくれたら、嬉しいです」

やっぱり注文するのはよろしくないかな、と思ったけれど、どこかで見た拷問みたいに、痛くされるのは嫌だった。だって、死ねるのなら早く死にたい。痛い思いをして切られたのに、死ねないのはもっと嫌だから。
死神が頷いたように見えて、私は笑った。腕を振り上げるのを見た。目を閉じる。
ああ、これで漸く。
ひゅん、さっき聞いた音が聞こえる。あ、これ、刀を振った時の音だったのか。さっきはきっと、背中からばさっといこうと思ったんだろう。ちょっと外れてしまったようだったけど。死神にも失敗はあるのだ。でもそれは私がどうこう言える問題じゃない。私はもっと失敗ばかりだったのだから。

「──!」

あ、そうだ。
私のパソコンのパスワード、デスクに書き残すの、忘れてた。

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