刀剣 | ナノ
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▼ 02 

遠くで鳥の囀りが聞こえる。水の中に漂っているような意識が、段々と覚醒していく。頬を撫でる風は少しひんやりとしていて気持ちが良い。重たい瞼を持ち上げた瞬間、飛び込んでくるのは深くも鮮やかな緑色。人の手の入っていない背の高い草の隙間からは沢山の大きな木の幹が見える。
くあっと大きなあくびを一つ。
濃い土の匂いが鼻腔をくすぐり、緩慢な脳の働きに鞭を入れていく。
あれ、と漸く気付く。俺、キャンプしに来てたんだっけ?
辺りを見回すが、テントもキャンプ場らしき開けた場所も、案内看板も見当たらない。そもそも、この草の成長度で、獣道らしきものも見付けられないのだ。そんなものが近くにあるとも思えなかった。
もしかして遭難中だったりして。
ポケットにあるはずの携帯電話を探すが、手に当たったのは武道用の防具だけだ。眠る前の自分は一体何をしていたんだ。
とりあえずと腕の中にあった棒を支えに立ち上がる。自分よりだいぶ背の高い、真っ直ぐに加工されている棒の先端は、木漏れ日を受けてきらきらと輝き、何か金属が付いていることがわかる。だが、あまりにも高い場所にあり、それを見極める前に首が痛くなってやめた。手放すには少し不安で、持っていくことにしたのだが、その判断はどうやら誤りだったようだ。
とにかくこの棒、邪魔なのだ。
まず、とにかく重い。なんだこの重さ。持ち上げられないから、とにかく引きずる。その上でかい。普通に歩いているはずなのに、木の枝に引っ掛かって前に進めなくなったり、そのせいで転んでしまったり。低木の間を突っ切ろうとすると服が破れたりもしたが、それよりも棒が枝に絡まり引き抜けない。力任せにぐいぐいと引っ張れば、枝は折れるが背中を地面に打ち付けることになる。そうすれば棒に押しつぶされそうになるし、倒れたのを立たせるのも一苦労だ。だけど何故だか、置いていこうという気が起きない。しかたないなとため息をつく。
着ている服は動きやすいものだったけれど、その反面、隙間から虫が侵入して血を吸われる。どころか体を這い回る。痒くて掻きむしるが、届かずに木の幹に擦り付け、肌を傷付けていく始末だ。
体も心もぼろぼろである。
獣道が一向に見付からないのも一役買っていた。誰かから借りたのだろう服も、棒も見るに堪えない。弁償しなきゃいけないんだろうか。高くないと良いんだけどなあ。
ひたすらに歩き続けて気付いたことがある。闇雲に歩いていたけれど、歩き回っていたら救助隊の人に見付けてもらえないんじゃないか、と。上を見上げる。木々が生い茂っていて、隙間から辛うじて空が見えるだけだった。だめだ。せめて開けた場所じゃないと上から見えない。これじゃあ助けてもらえない。
目を覚ました時より薄暗くなっている。空はオレンジに濃い青が混じり始めていた。

足が痛い。凄い疲れた。

森からは全く出られていない。後ろを振り向いても、視線を戻しても同じような景色が広がるだけ。
ぶるりと身震いをする。日が落ちかけているのだ。肌寒いとかそういう問題じゃなくなってきた。すごい、さむい。
日が落ちるのは早い。木に阻まれて日の光が射しにくい森の中は昼でも薄暗いけれど、日が落ちると辺りが全く見えなくなる。もちろん気温も下がるし、本来なら拠点に戻るか作るかをしておかなければならなかったわけだけど、キャンプしに来て遭難なんて経験、一度もしてこなかったのだ。全く考えつかなかった。腹が鳴る。ああちくしょう。後悔は先に立っちゃくれないのだ。





おはよう諸君、よく眠れただろうか。漸く周りが見えてくるまで長かった。そしてめちゃくちゃ寒かった。ぐっと伸びをする。眠れるかと思ったけど、寒すぎてそれどころではなかったし、腹もぐうぐう鳴っていた。今はもう腹の虫は治まっていて、少し安心する。感覚が麻痺しているというのはわかっているけれど、空腹感に耐えながら歩き続けるというのは苦痛でしかない。ただ、昨日から何も口にしていないのもあり、発汗しているのもありで喉が異様に渇いていた。
寒さに耐えながらの休息で疲れが取れたかと言われればいいえ、だ。ベッドでぬくぬくと暖かくぐっすりなんて出来ていないしな。ていうか、これが徹夜か。
本当に俺、救出されんの?大丈夫かな……不安になってきた。もしかしてまだ誰にも通報されてなかったりして。昨日目が覚める前、自分が何をしていたのか全く覚えていないので、どのくらいの時間遭難しているのかわからない。このままいくと野垂れ死んでしまう。
とりあえず、拠点だ。何か拠点になる場所を探さないと。目印になる場所が見つかれば、救助の時わかりやすいかもしれない。そう思いながらひたすら前方へ向かって時々躓き転びながら歩いていると、微かに何かの音を耳が拾う。今までにない音に、この状況が変わるのではないかと淡い期待を抱いて進行方向を変える。疲れていた足を叱咤しつつ進めば、徐々に大きくはっきりと聞こえてくる音。それが滝の流水音であると頭で理解した時には全てを忘れて走り出していた。棒が木に引っ掛かって頭を打ち、その上木の根に足を引っ掛けてすっ転んだ。……いたい。
棒を杖にして縋り付きながら、よろよろと河原へ辿り着く。更にひんやりとした空気に鳥肌が立つが、目の前のきらきらと輝く液体の宝石……は言い過ぎだけど、それくらいまでに待ち望んだ変化にはあまりにも些細なことだった。河原の石に足を取られながら、川縁にしゃがみこみ、覗き込む。透明度が高く、川底が見える。湧き水なのだろうか。滝の音はずっと聞こえているが、周囲にはない。大きい滝なんだろうか。あとで川をさかのぼってみよう。
とりあえずさっき転けた時に抉った膝を洗ってしまおう。
本来なら川の水で洗うのはいけないんだろうけど、今はそうも言ってられない。棒を倒すようにして置いて、水をすくう。ばしゃばしゃと手から水がこぼれる。
……ンン!?

待った待った待った待ってねえ待って、今まで極限状態だったから気付かなかったけれど、この手ちょっと俺の手にしては小さくないか?いつも見ていたはずの手の大きさじゃない。気がする。指もだいぶ短い。気がする。見下ろす体も意識して見ればなんだか身長が縮んでいる気がするし、履いてる靴もなんだか小さい気がする。ハッとして靴を脱いだ。靴を裏返して目を凝らす。普通、靴の裏にはサイズが記載されているはずなのだが……探せど探せど見付からない。記載されているタイプのメーカー品ではないらしい。がっかりした。河原の石が地味に靴擦れだらけの足を攻撃してくる。そうだ冷やそう。目先の痛みを和らげるため、靴と靴下を脱ぎ捨て川へ足をつける。いってえ。
冷たい水が足に刺さる。凄い痛い。やばい。
あとうっかり忘れていたからズボンの裾もびしゃびしゃだ。今更感じるけどとりあえず、と破れた膝の上までズボンを捲り上げると、太ももがぎゅっと締め付けられる。
手を綺麗に洗い、膝に水をかける。どこもかしこも傷だらけだなあ。胸元が痒くなって引っ掻く。一息ついたからか、どうやら虫刺されがぶり返してきたようだ。なんだってんだ。
がさりと背後で音がした。救助隊か、野生動物か。期待を込めて振り向けば、見たことのない、人の形をした何かが立っていた。救助隊じゃないことだけは、よく見なくてもわかる。そしてもちろん、野生動物なんかでもない。何かの後ろから、似たようなのがぞろぞろと出てくる。手に持っているのは、テレビなんかでよく見る刀。
刀!?
それが煌めき、切っ先がこちらに向けられた。
待って、なんで!?
そいつらはゆっくりとこっちへ近づくが、川のそばに置いてあった棒を見た。ぞわりと全身の毛が逆立ったようだった。
あいつらを棒に近づけちゃいけない。
そう本能的に察して、咄嗟に棒を掴んだ。そのまま力任せに引っ張って、棒と共に河原をごろごろと転がる。石が全身に食い込んで痛い。がん、と大きな音がして頭を上げれば、先程まで棒が置いてあった場所に刀が振り下ろされていた。ゾッとした。周りの石が吹っ飛んでいる。斬るというよりは砕くといったほうがいい。やばい。人間じゃないことはあの姿形でわかってはいたけれど、それにしたってやばい。殺される。一昨日の自分を殴りたい。
クソ!自分は一体何をしたんだ!
棒が重い。棒めっちゃ邪魔。でもこれを手放したら死ぬ気がする。絶対死ぬ。ガッと足元で音が鳴った。棒が石と石の間に挟まった。
えっこんな時に?
視界に石が迫る。
転ける俺、迫る人外。振り下ろされるのは石を吹っ飛ばしたあの刀。目の前が真っ暗になった。ら、どんなに良かっただろう。スローモーションで自分の腕が吹き飛ぶのを見た。漫画とかでもよく見ていたから、腕を斬られた時、激痛で悶え苦しむんだろうと思っていた。心臓が跳ね回っている。棒、お前のせいだぞ。俺の利き腕が斬られた。不思議なことに、思ったほどは痛くない。いや、痛い。汗が噴き出すくらいには痛い。でも想像してたよりは痛くないだけだ。アドレナリンかな。頭の中はぐちゃぐちゃだ。棒を掴む。精一杯引っ張れば抜ける。背中を打つ、棒が重いけどそんなこと言ってられない。相手に背を向けて走った。魚の骨が追いかけてくる。咥えている刀で斬りかかってくる。いたい。紙で指を切ったみたいな痛みだ。大丈夫。まだ走れる。
足を止めようと思った。速度がみるみる落ちていく。完全に止まった。荒い呼吸はそのままだ。
滝の音がしていたんだ。あり得ないことじゃない。道がなかった。
目の前は崖で、後ろは化け物の群れ。

詰んだ。

俺、死んだな。

振り返る。図体のでかいやつが此方へ近付いてくる。思わず後退り、かかとが落ちる。なんとか落ちるのを阻止するが、目の前までやってきた化け物の腕が此方へと伸び、俺の首を掴んだ。
嘘でしょ!? 片手で首を掴めるとか、お前どんだけ手がでかいの!?
ぐっと息がつまる。そのままゆっくりと持ち上げられた。足が地面から離れていく。踵、指の付け根、爪先。完全に宙を浮いた。ぶらぶらと足が揺れる。
みしりと耳の奥から音がした。
折られる。
ただそう思った。息ができない。手から棒が滑り落ちる。一度がらんと鳴ったが、その後の音が聞こえない。崖の下? だめだ、視界が霞む、頭に靄がかかったように、何も考えられなくなっていく。ああくそ、死にたくない。
びしりと全身に激痛が走った。電流を流された気分だ。意識が溶ける。


化け物のせせら嗤う声が聞こえた、気がする。



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