刀剣 | ナノ
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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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▼ 01

「一体何度間違えたら気が済む!」

怒鳴られている。私はいつもそれに頭を下げている。はい、すみません、申し訳ありません。別に私が悪いわけではない。彼が仕事をこなせないだけだ。そう思おうとしても、先に立つのは自己嫌悪。結局は私が至らないだけなのである。今日のお説教だって、私のミスが招いた結果だ。私が鈍臭いからで、私の気が全く回らないからでもある。上司だって、怒りたくて怒っているわけではなかろう。こんな私の小さなミスを、いちいち構っていられるはずもないのに、こうして指導して頂いている。有難い事なのだ。……有難い、はずなのだ。

「こんなことも出来ないなら辞めてしまえ!」
「……はい、すみません」

それは、困る。辞めたくない。クビにだけはなりたくない。だって、やっと採用にこぎつけた就職先だ。私を使ってくれると言ってくれたのがこの会社だったのだ。たとえどれだけ就労時間が長くとも、どれだけ残業したところで、お給料が増えないとしても。この仕事だけは、手放せない。
就職活動で何ヶ月かはニートだったし、何ヶ月もフリーターだった。両親気も心配されたし、怒られた。ずっと穀潰しで金食い虫で、無駄飯食いの私がとても申し訳なかったから、こうやって東京まで出て来て一人暮らしをやっている。そのせいで給料の八割が生活費として削られてしまっているけれど、私は仕事をやっていて、ちゃんと生きているのだと、親が胸を張れて、安心できるのならばそれで良い。

「もういい、下がれ」

はい。申し訳ありませんでした。いつもの台詞を吐いて頭を下げる。室内の空気は最悪だ。私を遠巻きにする人間ばかりで、誰も助けようとはしてくれない。当たり前である。私だって助けない。これは私の問題で、私が犯した私のミス。それを叱られているのに、庇ってしまえばその人物もとばっちりを食らってしまう。それでは物凄く申し訳なくなる。だから、今の状態が一番良い。空気はすごく良くないし、気まずさはとてもあるけれど。いつも怒られててすみません。喫煙室で、鈍臭い女、と言われていたのを聞いたこともあって、私は本当に身の縮む思いをしている。大学も卒業していて、アルバイトもやってきたのに、社会常識が身についていなくてごめんなさい。
自分に与えられた席に戻って、椅子に座る。上司に怒られる前に何をやっていたのだったかと、開いたままのノートパソコンを見る。スリープモードを解除して、ああ、パスワードの入力が面倒くさい。ぼんやりとしているとどこかから舌打ちが聞こえた。慌ててパスワードを入力する。トトト、と隣でデスクを小突く音がしてそちらを見れば、大きな眼鏡をかけた先輩が緩く笑った。目の下の隈が日毎に濃くなっていくのを見ると、彼の体調がとても心配になる。ゴホ、と咳き込む斜め向かいの彼は、大きなマスクと冷えピタを額に貼っていて、あの姿になってもう三日は経過していた。もし、お昼に外へ出る時間があるなら、コンビニで何かを買ってあげようと思う。隣の先輩が元気出しな、と声をかけてくれた。

「係長も本気じゃないよ。君が居なきゃ僕らも困っちゃうし、業務回んなくなる。君はよく頑張ってると思うよ」
「あ、あ、りがとう、ございます……」

うんうんと周りのデスクの先輩たちが頷く。先週、私の同僚の一人が会社に来なくなったし、先々週は先輩がデスクで眠ってしまったきり、二度と起きなくなってしまった。先月には別の先輩が首を吊ってしまったのをテレビのニュースで見てしまったし、今週実は後輩が、登山に行くとメッセージアプリに連絡をくれたきり行方知れずになった。それでも新しい後輩はどんどん来て、先輩も後輩もいなくなる。変わらないのは係長や課長、と台風の真っ只中、海に泳ぎに出てそのままの先輩が笑って喋っていたのを聞いた。みんな、疲れきっているのだ。私は使い道のないお給料を、時々使って、なるべく先輩方の寿命を延ばすことに尽力している。だけど、それって本当に良いことなのかわからない。だって、そんなに疲れているのに、これ以上疲れさせるなんてして良いのだろうか?
わからないまま、私は業務を再開した。この業務が何を意味しているのか、私にはわからない。紙に記載されたメールアドレスと所持者の情報を、何かのシステムに組み込むために、ひたすらに打ち込む。紙に印刷された何かの数字をエクセルを使って計算して、表にまとめて印刷する。電話を使って、教えられた通りのセールストークを行い、誰かから送られてきたメールに返信する。もちろん、マニュアル通りに。時々かかってくるわけのわからない電話はそのまま受けて、一言一句間違わないようにメモして、担当者にそれを渡す。クレームの電話にはマニュアル通りに真摯に対応する。私は今、一体何をやっているのだろう。多分、頑張れば何を言っているのか、何をやっているのかがわかるのだと思う。ここに来た時はそうだった。頑張って、理解しようとして、なのに今も、何もわかっていない。何のセールスをしているのか、何に対してのクレームなのか、一体何のためのメールのやり取りなのだろうか。とにかく、教え込まれたマニュアル通りにこなせば良い。交渉段階の一歩手前まできたら、交渉のうまい先輩と交代する。わたしは簡単な事だけをやっている。なぜ、それなのに失敗ばかりするのだろう。
ただ、漫然と仕事をこなす。アドレスの打ち込みが一枚終わった。入力済みとシールの貼られたプラスチックトレイに紙を入れ、また、新しい紙に取り掛かる。それをただ、繰り返す。一体このアドレスと、その持ち主の情報を使って、何をするというのだろう。
わからない。わからなくていい。
一番目のアドレスを終えた。次のアドレス。電話が鳴る。はい、もしもし。



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