刀剣 | ナノ
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乱藤四郎の夜尿事件から数日が経っていた。未だに細々と食事を続けている自分に腹がたつが、物を入れた胃は腹痛を起こすくせ、内容物がなくなると、空いたぞと余計な報告をよこすのだ。
井戸水を飲んではやり過ごし、時に無視してはどうにかやり過ごすのだが、この本丸の刀剣達に見付かってはその努力も水の泡。必要ないと叫んでも、ずるずると食事の間に引きずられ、彼ら手製の飯が目の前に並ぶのである。
そこまで来たらお終いだ。腹の空いた自分には、どんなに質素な飯であっても、豪勢な食事に見えるだろう。今までは腹なんか空かなかったのに。
全ては自分の意思が弱かったのが敗因で。
けれど、奴らも無理に飯を食わす必要はないはずだ。ベジタリアンに肉も栄養があるのだからと、無理に食わせようとするようなもの。刀剣だからこそアレルギーがないのが救いか。こればかりは事前に教えていても、たぶん奴らは理解できない。人の事を何も知らない、無知な刀剣であるからだ。しかし、彼らはきちんと経験をし、学習する。玉鋼の塊といえど、意思を持った付喪神。人並みの思考がない訳ではない。
無知は罪というが、百聞は一見に如かずともいう。学問なき経験は、経験なき学問に勝るのだ。
彼らは私が押しに弱いのを知った。無理に引きずってでも食卓につかせ、料理を並べると食べる。学習したのだ。そして、私にものを教えようとする。無知な刀剣へ、自分達の知識を。審神者に習ったように。食事とは素晴らしいものである、と。
くそくらえだな、と思う。食事をしたからなんだというのだ。本丸に居る以上、食事をせずとも形は保っていられる。
ただ。
刀剣男士は人と全く同じように造られているのだ。脳が有り、目玉があり、気管があり、消化器官がある。神経と血管は身体中に張り巡らされ、肺や心臓には、エネルギーを生産する機能がきちんと備え付けられている。
スイッチが入れば、電源が切れるまで働き続ける。オンにはできても、オフにはできない。だからこそ、電力供給を断ちたいのだけれど。

腹が、鳴る。

「……ああ、クソッ」

身体のちょうど中腹、鳩尾の辺り。喉の最奥に、きゅっと軽く締め付けられるような感覚がある。皮膚と肉の壁の内側で、獣の威嚇する声が小さく響く。胃と脳が、腹が空いた、と訴えてくるのだ。わかっている、と怒鳴りたくなる。腹が空いているのは知っている。一昨日の昼より、なにも食べてはいないのだから。
今手元には水はない。だが水場に行けば、今日の食事当番に出くわすだろう。そうなれば断食も水の泡、努力もむなしく腹にものを詰めることになる。かといって空腹を紛らすことのできるようなものは持っていない。
なんでもいいのだ。飯のように胃の中を満たすのではなく、この空腹を紛らし、凌げるものであれば。
ふと、この本丸の庭の光景が脳裏に浮かんだ。
次いで蘇るのは、まだ活発であった幼い日々の記憶だ。





燭台切光忠は頭を抱えていた。
皿を洗い終え、今日の夕飯の献立を考えながらも、直ぐに思考は別のところへと走っていく。
最近収得した二振りの刀の事だ。
一振りは乱藤四郎。刀剣男士として多くを占める粟田口派の一振りだ。華やかで優雅な刀身を魅せる様に、彼自身、華美爛漫な現し身を持っている。
もう一振りは大倶利伽羅。燭台切とも少し関わりのある刀剣だ。無銘である事をよく口に出して卑下するきらいはあるけれど、不器用なりに他人想いの優しい付喪神だった。
この二振りはこの本丸が主曰く、ブラック本丸という、劣悪な環境の下に顕現されてしまった個体だという。

過重労働、性的暴力、虐待、脅迫、放置、他。
刀剣男士は人間ではない。また、人権を与えるまでに、知名度があるわけでもない。労働基準法なんて以ての外、すべての裁量が審神者と政府の人間に委ねられている。
ブラック本丸は、違法ではないのだ。故に、容易に手出しはできない。殆どは注意、勧告で終わってしまう。簡単に取り締まることはできないのだ。
そしてその名称は、労働基準法に沿わない企業を揶揄したブラック企業をもじって、審神者内で呼ばれる名称に過ぎない。
通称ブラック本丸、正式名称を労働基準法違反企業型準違法労働式本丸という。

燭台切光忠にとって、労働基準法も違法労働も理解する事はできなかったが、刀剣破壊を見込んだ上での重傷進軍、夜伽強要、暴力沙汰といった具体例を挙げられて漸くその実態を知り、血の気が引いたほどだ。そんな事をあの二振りに。そして周りと同じく怒りの感情が胸中を渦巻いた。刀の矜持を踏み躙るなんて、と。
けれどそんな事を二振りに訴えた刀剣は、怒りのやり場を失ってしまった。

それが刀、それが道具、それこそが主人に仕える従者が役目。諫言は補佐役の仕事であり、自分達にその権限はない。作戦としての犠牲は仕様のない事で、全体を通せば瑣末な事だ。折れれば本霊に還れよう。折れると理解して尚、戦いを選んだ我が同胞に喝采を。満足だった。不満もあった。だが、全ては愛おしい人間のためだ。

こう答えたのは大倶利伽羅で、乱藤四郎は彼の隣でじっと彼を見ていたという。
その言葉に、反論しなかったそうだ。

確かに乱藤四郎は夜伽を課されていた。だが、それが不満だったのではない。刀剣である自分達は、道具であると同時に人の心を持たされている。この肉体も我々道具の一部。刀剣は顕現された時、どれが主人かを判断できる。鳥の刷り込み、ロボットのプログラムと同じ。彼らの意に応える為の我々が分霊、夜伽も求められて顕現したのだ。不満など抱きはしない。不満だったのは、人の心のなせる技だ。嫉妬、羨望、独占欲。使って欲しいと思う道具の意思、誰よりも主人の役に立つと思う道具の傲慢さ、自分だけを使って欲しいと思う、道具の浅ましさ。人の心があり道具の心がある、我々付喪神の性。逃げたなんだと言ってはいるが、果たして本当に逃げたのか。人の心の機微は複雑怪奇だ、本人にもわからない事もある。それを勝手に自身の物差しで計り、激怒するのはお門違いだ。そうだろう?

乱藤四郎もまた、大倶利伽羅の言葉に耳を傾けていた。自分の心と対峙して、川底の砂を浚う様に、己の気持ちを整理していたのだろう。
大倶利伽羅は怒りのやり場をなくした刀剣を笑い、あくまで俺の考えだ、と免罪符を渡してきた。

自分は自分、他人は他人。ひとの考えはひとの数だけある。千差万別、十人十色。お前たちの優しい心遣いに感謝する。それはこの乱藤四郎にとって、プラスになる事だけは間違いないだろうからな。

そう言って大倶利伽羅はその場を去った。乱藤四郎はぎこちなく微笑む。

ボクは確かに夜伽が嫌いじゃなかったと思う。だってあるじさんがボクだけを見てくれるから。でも、それが正解じゃない事はわかってた。ボクの本丸のみんな、わかってたよ。だから、機会に恵まれたボクだけが本丸から出られたんだ。……うん、ボクはあるじさんがこわい。でも、嫌いじゃない。ううん、ボクはあるじさんが大好き。あんな事をするけど、ボクを顕現してくれたあるじさんだから。
ねえ、まだ、もし、機会があるなら……お願いします。あるじさんに、間違ってるって、教えて。兄弟を、仲間を助けて。

それを聞いた刀剣は勿論彼の手をとって必ず、と叫んだ。その報告を聞いた審神者は涙を流した。燭台切もその報告を聞き、目尻を光らせたほどであった。皆で、必ず乱藤四郎と、その仲間を助けようと誓い合った。
ただ、彼、乱藤四郎の審神者がどこの誰であるか、本丸はどこに存在するのかという調査は刀剣にはできない。したがって、目下彼らの仕事は、二振りと交流を深める事であった。
つらつらと思考を回転させながら、夕飯の献立を考えている燭台切であったが、ふと、庭にある黒い塊に目を見張った。一瞬、あり得ないと断じつつも、曲者かと己自身を顕現させようと構え、それが頭を悩ませていた一振りであるのを認めて警戒を解く。

「大倶利伽羅? 何してる、の」

ぎくりとその大きな身体を震わせ、恐る恐る振り返る彼の口には色の鮮やかなピンクの花が咲いていた。しまった、とまさにその通りの表情で固まる彼の手にも花、足元にも数個の花が散らばっている。
口元に咲いていた花が地面に落ち、びっと彼が片手をこちらに向ける。待て、と言われている様であった。

「……庭を荒らしたのは認める。……許せ!クッソ腹が減ってたんだッ!!!」

勿論、本丸内にて燭台切と大倶利伽羅の鬼ごっこが開催されたのは言うまでもないだろう。


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