刀剣 | ナノ
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▼ 17 

「……大倶利伽羅だ。別に語ることはない。慣れ合う気はないからな」

口をついて出た言葉だ。おおくりから。自分からそう名乗ってしまった。
大倶利伽羅広光。自分の名だ。いいや違う。自分の名前はもっと、女性らしいものだったはずだ。 母と父が、必死に頭を捻って考え抜いた末につけたのだと教えられた。
私はこんな仰々しい名前なんかじゃない。

「今日からよろしくね、大倶利伽羅!」

目の前に立っていた少女は嬉しそうに笑み、その隣にいた紫色の髪の男も微笑ましいといった表情だ。 手を引かれる。
視界に映る自分の腕が褐色の肌である事や、女性よりだいぶ背が高いという事、耳が拾った自分の声が低い事。何もかもが今までと違って、頭の回転が追いつかない。

だって私は、普通の女子大生だったのだ。

いや、少し語弊があるかもしれない。
私は、一般的に女性が好む化粧品や衣類には全く興味なんかなくて、関心の大半が、紙に綴じられた美しい文字の世界と、本能のままに生きる動物の生き様に向いていた。おたく、そう揶揄される事もある。否定はしない。
だって私には納得できない。
どうして目の前に好きなものがあるのに、興味のないものへ金をかけなければならない。理解はできる。動物の本能だ。食べ、排泄し、眠り、子孫を成す。種を保存するための、全ての生き物の完成されたサイクル。そのために皆、金を掛けて己を飾り、より良い番を見つけようとするのだ。けれど、自分がその渦中へ飛び込むのに違和感があった。それを傍観できる位置にいるからこそ、素晴らしさを感じられる。故に、種の保存という環から、自ら外れた。

文系と呼ばれた。
つまりはインドア派だった。
運動は嫌いで、できる事なら家の中でじっとしていたい。陽の光は嫌いではないけれど、薄暗い闇の中も心地が良かった。日に焼けない肌は白く、動く事がなくエネルギーを消費しないために、あまりものを食べない自分はどうにも貧相で貧血気味、青白いとまで言われた始末だ。
背は標準のサイズ。二十代前半の女性の平均値に近い値のはずで、目の前の女性の頭の上を、労なく通る視界なんてあり得ない。
加えて声だ。何か機械を通しているわけではないし、毎日の様に聞いている自分の声が、これほどに低いわけがない。聞き間違うはずもなかった。

全て異常で、しかし、その全てが正常だった。

大倶利伽羅。自分のことをようやく理解したのは、顕現されて少し経った後だったけれど。
その時は突然の出来事に混乱していて、考えるのを後回しにした。なにより目の前の少女が楽しげで、それで良いかと思ったのだ。

それが、主との最古の記憶であり、大倶利伽羅としての最初の記憶である。





ちりん、と鈴の音が本丸に響いた。第一部隊の帰還だろう。次いで聞こえてくるのは荒々しい声と足音だ。薬研。短刀の名が聞こえる。
薬研藤四郎。あれは確か、初期に鍛刀された練度の高い刀剣だ。
声の方へ向かう。怒りや悲痛さの混じった、主を呼ぶ声だ。
薬研。薬研、折れるな。
主の居るはずの離れ。結界によって入る事の許されない場所。近付けるぎりぎりの渡り廊下で、隊長を任された和泉守が必死に声を張り上げていた。
頼む。手入れをしてくれ、折れちまう!
無駄な事を、と思う。金属に皹の広がる嫌な音が聞こええいるのに、彼らはそれでも縋っている。手入れをすれば、元に戻るのだと信じて。
離れから、誰かが動く気配はしない。
短刀を抱く太郎太刀の側へ辿り着き、ぼろぼろになった少年の頭を撫でた。口が開き、空気が漏れる。ぱきん。軽く、美しく。その音は静かな本丸に響き渡った。
彼らは床を叩き、肩を震わせる。涙を溜める刀剣もいる。皆、至る所に傷を負っていた。
太郎太刀から折れた短刀を受け取り、各部屋に下がらせる。ここからは近侍の自分にしかできない仕事だ。
第一部隊の隊長と近侍が同じでないのは、少しでも負担を減らすためだ。というのはただの口実で、全てを知っている自分だからこそ、任されている仕事にすぎない。
躊躇いなく離れの床板を踏む。ぎしりと床が軋んだ。薄っすらと積もった埃が、彼女の生活を物語る。 主。部屋の前に膝をつき、静かに呼びかけた。 短刀を置く。
部屋の中から衣擦れの音と、啜り泣く声が聞こえる。



俺たちはこの本丸に顕現されるのが早かった。故に、この本丸が、主が、どう変わっていったのかも知っている。だからこそ、主がいつか元に戻ると淡い希望を抱くのだ。 あの頃を知っているから、どうしても諦めきれない。
はじめは普通だったのだ。真面目に仕事に取り組んでいた。三日月や小狐丸なんかの所謂レア刀は一向に来る気配がなかったが、彼女はこの本丸の皆が居てくれれば幸せだと笑っていた。鶴丸と一期一振が来てくれたし、そもそもレアばかりが良いというわけじゃない、と。
どんどんと難しくなる任務や、強くなる敵にも本丸をあげて取り組み、対策などを考えたりもしたのだ。
けれど、任務は難しさを増すばかりで、彼女は次第に疲れを見せ始めた。それは睡眠不足であったり、食欲の減退という形で現れ、日を増すごとに酷くなっていく。心優しい彼女のためにと自分たちも駆けずり回ったが、どうしても審神者という業務は、刀剣の付喪神では手伝えない事の方が多い。なんとか休ませたり、栄養価の高い食事を摂らせたりと、遠回しな支援しかできない事が歯痒い。
審神者のサポートをするという式神のこんのすけも、審神者本人でなければならない仕事には手は出せない。式神が母親のように口煩く心配し、体調の管理を徹底しようとしても、仕事の締め切りは待ってくれない。
そうして、それは起きた。
ある戦場での事だ。未だ検非違使の存在すら知られていなかった時。
もちろん刀装は削がれるし、戦っていれば傷も負う。その日は次の戦闘が終わって帰還すれば、主人の仕事も一息つくということで、少しばかり高ぶっていて、人間で言うところのアドレナリンで痛みもあまり感じていなかった。そういう時、審神者が刀剣達のコンディションを鑑みて、撤退や進軍を決めるのだが、主は酷く疲れていた。
最悪な偶然が重なっただけだ。
目の前は敵の本陣で、彼女はすっかり俺たちの状態確認を忘れていて、そして俺たちは痛みを感じていなかった。主は進軍を言い渡し、会敵した時、あっと端末から悲鳴が聞こえた。
重傷の刀剣が一振り、中傷が二、軽傷が三。刀装はあってないようなもので、しかし、もう撤退は許されない。
敵は武器を構え、こちらも応戦の姿勢をとる。数少ない投石兵が大きく石を振りかぶり、戦闘の火蓋が切って落とされる。
こちらの太刀が敵に斬り掛かり、短刀が懐に潜り込む。敵の大太刀が横薙ぎの一閃、刀装を根こそぎ壊していった。太刀と太刀がつばぜり合いをしている間に、脇差に向かって刃を振り下ろせば脇差の側にいた太刀がそれを防いだ。手負いの部隊と、本陣の敵。力が拮抗していたのは初めのうちだけだ。
初めての時代ではなかった。けれど必要に駆られて、目安の練度より幾分か低い平均値で挑んでいた。敵を一体漸く倒して、次の一体に取り掛かる。大太刀を傷付けるのは難しく、あの一閃を避ける合間に、別の太刀が間合いを詰める。大太刀を、と主からの指示が飛ぶけれど、間合いにやすやすと入らせてくれるわけがない。漸く五体の敵を斬り伏せて、素早く距離を取るためのバックステップ。三度目の大太刀の攻撃。誰かの焦った声を聞く。ばきん、嫌な音が耳を貫いた。端末から聞いた事のない音が上がる。 大太刀の攻撃後の大きな隙。踏み込んで斬り上げる。戦闘終了だ。
振り向いて、崩れ落ちていく付喪神を見た。
仲間が駆け寄り、すぐにゲートを開こうと隊長が端末を操作する。皆が刀剣の名を叫び、崩れていく姿を抱きしめていた。悲鳴を上げ続ける端末に向かって、隊長は怒鳴るように手入れを要請する。
入っていた力が抜けた。自分自身である刀を落としてしまった。
ゲートが開いた時には既に崩れた刀剣の姿はなく、焦れた仲間達が一斉に空間へ飛び込む。自分は落とした刀と、敵の持っていた刀を拾い上げ、緩慢な動作でゲートをくぐった。

折れた刀剣は歌仙兼定。
主の、初期刀だった。



鶴丸が今日も出陣する。もちろん行き先は阿津賀志山だ。三日月宗近の名を呼び、かの刀を探し続けている。
あの時。歌仙兼定が折れたあの日、鶴丸は部隊長を任されていた。主が謝罪の言葉をこぼし、彼に縋り付いて泣いていた光景は今でも鮮明に思い出せる。鶴丸の顔は罪悪感で歪んでいた。
三日月宗近を見つけるのは俺だ、主に贖罪をしなければ。そう言い出したのは、主が今後は阿津賀志山の進軍だけを行うと言った日からだっただろうか。
政府から下された最後通告。

期限までに三日月宗近が顕現されない場合、本丸を解体する。

主は他の審神者と比べても芳しい成績ではなかったのだろう。今は戦時、全ては結果。足並みの揃わない、不出来な兵士に、食わせる飯はないと、そういう事なのだ。
彼女はそれに恐怖した。せっかく、ようやく新しい家族ができたのに、と呟いたのを自分は聞いた。あまり詳しく教えられはしなかったが、彼女には家族が居なかった。 孤児だったのだ。それに目を付けた政府が、有無を言わさずに登用したのである。だからこそ、切り捨てることも簡単であった。

悪い事は続くもので、間を置くことなく刀剣が折れてしまった。二番目に折れたのは一期一振だ。 初期刀の穴埋めに配置された彼は、周囲と比べて練度が一回りだけ低かった。たった一回り、されど、一回り。その時の隊長は和泉守兼定で、相手は運も悪く、初めて遭遇した検非違使で。情報はなかった。本当に検非違使が出始めの時期だったのだ。

いとも簡単に、彼は折られた。

次に折れたのは和泉守兼定。主の幼い八つ当たりと彼の中の罪悪感で、これもあっさりと戦場で砕けた。今いる和泉守は三振り目だったか。
三本の刀が折れた事で、主の心も砕けたのだろう。今までとは打って変わり、三日月宗近を顕現させるために、他を顧みないようになってしまった。それでも初期の刀が折れずにいたのは練度が高い、それだけのことだ。
疲労が溜まれば動きが鈍る。手入れされなければ傷はずっと残ったまま。経験だけでは庇いきれないものが次第に増え、折れるのも時間の問題だと、誰もが思っていた事だろう。
薬研藤四郎が折れたのは、当然であり必然であった。





「……っ鶴、!」

手を伸ばしたが遅かった。両手を広げた鶴丸の腹に、敵の刃が吸い込まれる。彼の背後で身を硬くした短刀が、来ない痛みに目を開き、飛び込むその惨劇に悲鳴をあげた。
近場にいたもう一振りの短刀が敵を討ち、戦闘が終わる。転がるように鶴丸の元へ駆け寄り、崩れ落ちる身体を抱きとめた。

「はじめから、そのつもりだったな……!」

光忠が折れたのは昨日だ。
慌ただしく帰って来た部隊の声を聞き、怠い体に鞭を打って、彼らを迎えた。
この本丸唯一の大太刀、太郎太刀の腕に抱かれているのは光忠で、苦しげに息を吐いていた。閉じられていた目が、ゆっくりと開いてこちらを見る。
みつただ、と呼ぶ自分の声が酷く掠れていた。それを聞いて、彼が微笑む。苦しげに、申し訳なさそうに。鶴丸が彼の名を叫び、伸ばされた手を掴む。ごめんね、と彼が言った。

「さきにいくぼくを、ゆるして」

それを聞いて、ぞわりと全身の毛が逆立った。聞き慣れてしまった、刀の折れる音が耳を貫いていった。鶴丸が光忠の名前を呼ぶ、泣き叫ぶのに近い、悲鳴のような声だ。
目の前で折れる刀を見るのは一体何度目だろうか。太郎太刀の腕の中で、折れる刀は何本目だ。諦めの色が滲む彼の目とかち合った。苦笑にも似た笑みが向けられ、自分もすまないと口だけを動かす。刀剣達は全員が重傷で、疲労度も高い。加えて、薬研の穴埋めにされた光忠は、練度が追いついていなかった。折れるのも当然の事。次に折れるのは一体誰だ。
折れた光忠を前にして、悲しいと思うよりも先に、頭を占めたのはその事だった。

その日、鶴丸は縋るように光忠の寝床へと身体を横たえていた。
彼を支えていた光忠が折れたのだ。主が元に戻ると信じて、手を取り合って彼らはなんとか立っていた。その支えがなくなれば、どうなるかはわかりきっていたのに。明日はお前が隊長だ、そう言われた時に気付くべきだった。

「は、は……どうだ、倶利坊……驚いたか」

久々に聞いた、彼の口癖だった。
刀剣男士は、戦うために呼び出された付喪神だ。打たれた依り代の刀と、審神者の霊力によって生を受け、契約を結ぶ。
人間への安全性、命令への服従、自己の防衛。
ロボット工学三原則に即するものを、そのまま適用している。
決して抗う事のできない、刀剣男士が存在するためのルール。はじめにこれを了承しなければ、存在する事を許されないのだ。
だが、三原則の矛盾、解釈違いは如何あっても未だ解消できておらず、また、これの原典に倣っては刀剣男士は身動きが取れなくなる。
厳格に、厳重に従う事はさせず、最低限の値を設定し、守らせる事で、政府は漸く折り合いをつけた。
ばきりと腕の中で鶴丸が折れる。
これは初めから折れるつもりで出陣していた。
自己の防衛。一番優先度の低い規則。疲れたから自刃するというのは許されないが、考える事はできる。ではどうすればいいか。実行は出来ないが、考えることは、できるのだ。
手の中の彼も、考えに考えを巡らせて、漸く掴んだチャンスだったのだろう。思い通りにことが運び、思い通りに折れることができた。驚いたか。すべてがこの一言に集約されているではないか。
お前も、俺を、主を置いていくのか。
驚いたか、だと。鶴丸め。

「……行くぞ。帰還の命はないからな」

この戦場で、きっとこの部隊は、己の本丸は、壊滅する。
主のことが心配だった。あの子は心根の優しい少女である。壊滅した部隊を迎えて、どれだけ心を傷付けるだろう。
彼女にはもう、新しい刀剣を顕現する体力は残っていない。今いる五振りで、最後だ。
残る刀剣が立ち上がるのを見届けて、賽子を振った。

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