刀剣 | ナノ
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▼ 15 

ぼんやりと天井を見上げる。何もしなくとも良いと言われたから何もしていないのだが、目を閉じても眠気が寄ってくる気配がない。居心地の良い穏やかな空気の中で、時間を無為に過ごしていくというのは、酷く久しぶりな気がしている。

乱藤四郎の本丸。ブラック企業なんかじゃない、完全な、審神者のためのハレム。
作り上げるのに相当な時間と努力が要ったはずだ。周到に計画し、準備し、実行する。三原則に縛られているといえど自分より力のあるものを、文句を言わせる事なく侍らせ従事させるのは容易ではない。乱藤四郎が逃げたのは誤算だっただろう。だがきっと、彼一振りだけで本丸から逃げ切れたわけではあるまい。可哀想にな、同情してしまう。育てているペットが全く懐かず、挙句脱走されたのだ。全く詰めが甘い。どうせならもっと綿密に面白い形で、ああ、だめだな、面白がるのは良くない。他人の不幸は蜜の味というが、手に取れる場所にあっては飽きてしまう。違う、そんな事を言いたいのではない。他人事だからと楽しんで良いわけではないのに。
だいぶ気が滅入っているようだ。
畳んだままになっている布団に背を預けて、ずるずると寝転ぶような態勢を作る。意識しながら息を吸って、吐く。体内の悪い空気を全て入れ替えるように、吸って、吐いて。
目を閉じる。何もする事がなく、睡魔も近くに居ないのなら、何かものを考えるほかない。
ここの審神者の事を考える。
あれは向こうの審神者を如何にか出来ると思っているようだけれど、そう簡単にはいくわけがない。練度がどうのという問題でない事にも気付いていないのが、あまりにも初心だ。契約に縛られる俺では向こうの審神者を害する事もできないし、その一人が強くとも、多数で叩かれればすぐに砕け散るだろう。人間には人間をぶつける他ないのに。
考え付きさえしないのだ。お人好しが過ぎる。
似ているな、と思わなくもない。私の愛おしい主。自分を呼ぶあの愛らしい声。
彼女のために、自分は戦ってきたのだ。
慣れない戦場、緊張感に血の臭い、敵意や殺意、それに痛み。そんなものには無縁だった。紙面から想像し、追体験をしたことはある。けれどそれはあくまで想像、実体験などではない。初陣には脚が、腕が震えた。体には申し訳ないと思ったが、生理現象のようなものだ、止めたいと思っても止められない。大丈夫か、と誰かに問われた。大丈夫だと返したように思うが、いっぱいいっぱいで殆ど何も覚えちゃいない。武者震いにしては青い顔だっただろう、刀剣男士にしては情けない姿だったに違いない。
だが、やらねば。戦わなければ。大切な主を護るためにも、自分の命を守り、生き延びるためにも、刀を揮わなければならぬのだ。
あれを知る刀剣達はもうすでに無く、大倶利伽羅の黒歴史は、きっちり蓋を閉めて池の底だ。
開け放していた障子の向こうから、ふわりと弱い風が部屋へ吹き込み、髪を撫でていった。

大倶利伽羅さん、とこちらを呼ぶ声がする。閉じていた瞼を開けば、障子の向こうから頭だけをひょっこりと出す、濃い紫の長髪を垂らす少年が見えた。鯰尾藤四郎、と記憶が彼の名を教えてくれる。粟田口派の脇差だ。いったい何の用なのか。彼はニッと笑う。

「ご飯を一緒に食べませんか!」

要らない、とは、言えなかった。
爽やかな人懐っこい笑顔で誘いをかける彼の表情は、断られるとは微塵も思っていない人間のそれだ。証拠に、何の抵抗も無く彼は部屋に入り込み、隣まで寄ってきてしゃがみ込む。行きましょ、ほら。立ち上がろうとしない私の腕を持ち上げ、首へ回して引っ張り上げる。自分より体格も身長も大きい体を、なんとかして立たせようとする彼の頑張りは認めてもいい。彼は文句を言いながら、立ち上がらせるのを諦め、引きずって行こうとし始めた。そこまでして私と食事がしたいのか。

「乱が漸く、大倶利伽羅さんが来るかもしれないからって食事の場に来てくれたのに、大倶利伽羅さんが居なくてどうするんですかーっ!」

知るか!
ずるずる、遂に濡れ縁にまで引きずり出されてしまった。くそ、面倒臭い。もういっそこのまま引きずられていようか。
いや、そもそも審神者には食事はしないと言ったはず、何故食事の場に、ああそうだ乱藤四郎のせいだったな、ああクソ面倒臭い、本当に面倒臭い。

「鯰尾君、何して……る、の?」

鯰尾の手を払い、急いで立ち上がって部屋へと転り戻り、障子を閉めた。心臓の鼓動が早い。声の主を確認しなくともわかる。あの声は燭台切光忠だ。なんであいつは何処の本丸にも居るんだ。やばい。私はあれには弱い。そもそもこの身体の大倶利伽羅が燭台切光忠に弱い。こう、アウトローに憧れる男子高校生も、自分の母親には弱いようなイメージがわかりやすいと思うが、多分、それに近いものだ。主のところにいた時に世話になったし、あの女のところでもだいぶ世話を焼かれた。あの顔で、あの声で。世話になっている人に、困った表情と甘ったるい声で接されてみろ。要求を飲まざるを得ないだろうが。おおくりから、外から聞こえる砂糖水のようなやわい声。喉が動く。ああ頼む、飯を食おうなんて言ってくれるな。せっかく、せっかく人の営みをしなくとも良い身体なのだ。三大欲求とは無縁なのに、それをしてしまえば、全てが自分にまとわりつく。

「今日はね、僕が作ったんだ」

やめろそういう罪悪感を煽っていくスタイル。
私が起きて一番初めに口にするのだからと気合を入れて、乱藤四郎が来るからと更に慎重に料理を厳選して、腕によりを掛けて作ったと彼は言う。余計に罪悪感が増す。
ねえ、一緒に食べよう。本丸のみんなも紹介したいんだ。ね、お願い。





目の前に並ぶ数々の料理に目眩がした。こんな量を見たのは久しぶりだ。この本丸の全刀剣は十二だときいたが、十二でもこの量だ。刀剣の数が四十、五十となる他の本丸はこれの更に倍、いや、四、五倍にはなるだろう。元の本丸ではそれを賄うために給食室を誂えたほどだったのに、食事風景がどのようなものだったのか、もう思い出せないでいる。
自分のために用意された飯碗と汁椀、両方を裏返して食べないという意思表示をしてみるが、果たしてどれほどの効果が見込めるか。
自分の隣に座るのは乱藤四郎で、その隣が鯰尾藤四郎、反対側には燭台切光忠。ひどい席だ。燭台切が隣に座るということは、必然的にあれこれと世話を焼かれてしまう。食べてしまえば腹が空くようになるし、排泄行為も付随してくる。喉の渇きも厄介だ。味を思い出せば何が食べたいという欲も湧く。肉が人の働きを始めてしまう。あれが上手く出来た、これが美味しいなどと言いながらにこにここちらに声をかけてくれる光忠へ曖昧な相槌を返すのが心底申し訳なくて、いつ食事が要らない旨を伝えれば良いのか。ああ、もう。この本丸に鶴丸国永が居ないことだけが救いだ。

「それでね、この料理なんだけど」
「うるさい」

彼の口を手で塞いだ。もご、と口が動くが、心優しい刀剣は、それで声を出すのをやめてしまう。手を当てただけだ。喋ろうと思えば喋ることができる。

「……乱の為に出た席だ。俺は食わない」

見るだけだ。
その言葉を受けた途端、泣きそうな表情を作る男に、良心が食べたくても良いのかと訴えかけてくる。食べるわけにはいかない。これを食べてしまえば、この本丸に居着いてしまいそうだから。屋根のある場所に置いてくれるだけでもありがたいのだ。これ以上負担を増やしたって仕方がない。乱藤四郎はここにいたほうが良いだろうが、自分はここにはいないほうが良い。
ここに居るのは、ここの審神者が顕現した、真っさらな大倶利伽羅が良いに決まっている。
そっと手を外した。燭台切は何も言わない。屈強な男のくせに、泣きそうな顔でこちらを見ている。負けるな大倶利伽羅、負けるな私。そんな顔したって食わないからな。反対側で服を引っ張られる。乱藤四郎も強張った顔でこちらを見ている。食わないからな。

その後も何振りかの刀剣達が現れては席に着き、最後に審神者が現れて、ちらりとこちらを見る。自分の席へと移動して、驚いた顔で再度視線をこちらへ投げた。素晴らしい二度見だ。取り繕う様に彼女は咳払いをして、手を合わせた。音頭をとるのは彼女らしい。他の刀剣達もそれに倣って手を合わせる。乱藤四郎は鯰尾に教えられながら、そっと小さな手を合わせた。自分も周りに倣っておく。倣うだけだ。
どうやらここの本丸は、なるべく皆で一緒に食事をとるのが通例のようで、きちんと十二振りが、繋げて大きくした座卓を囲んでいる。
皆に白米と味噌汁が行き渡ったのを確認した審神者が、声高に食事を開始する言葉を放った。その言葉を皮切りに、飯碗片手に箸が大皿へ伸びていく。燭台切や鯰尾はこちらをじっと見つめて手は動いていない。乱藤四郎を見れば、どうして良いかわからない様子で、身体を緊張させ、顔も強張ったまま、ぎゅっと自分の服を掴んでいる。俺はこの反応がどういうものか知っている。息を吐く。ああ、くそ!
乱暴に箸を掴み、乱の飯碗を引っ手繰る。一口白米を口に放り込んで噛み砕いて飲み込む。汁椀も同様だ。ほんの少し口に含んで胃へと押しやった。乱藤四郎の前に汁椀を戻し、使った箸を碗の上に置く。
他人が口を付けたものを食べるのは気持ちが悪いんだろうが、お前にはこれが正解だろう?

「安全だ。食え」

恐る恐る、彼が箸を掴んだ。今まで使ったことがないのだろうその箸を、見よう見まねで持ってみるも上手く出来ず、スプーンやフォークのように握り込んで味噌汁の具に突き刺した。口に運ぶ。よく煮込まれた柔らかい野菜は、先程燭台切が話していた、この本丸で取れたものなのだろう。しかし野菜を食うとは豪胆だなあ。俺は米と汁しか毒味をしていないのに。
乱藤四郎はきっと、毒を盛られた経験でもあるのだろう。拒否はしなかったことから、言うほど重い記憶ではない。
鯰尾が乱の取り皿に、大皿の料理を盛っていく。乱はそれを一つ口にしては、驚いた表情を見せ、ふわりと笑んだ。美味しい、という言葉を知らないのだろう。無理もない。
彼の主は一体どのような人間なのだろうか。人のようでいて人ではない刀剣男士。毒を盛って、どのような反応を示すのか見たいという気持ちは、理解できなくはないが。
不死身に近い存在、これを好きに出来るのなら、する輩が現れるのは必然だ。だって何をしたって、法に触れるわけではないのだ。実行したところで、良心の呵責と、政府の決めた罰則に苛まれるだけ。それらを天秤にかけて、どちらに傾くのかは、審神者による。
口の中に違和感が残る。あまりにも久々の食物、胃が働きだすのはもう少し先だが、その時の痛みを考えて憂鬱になる。ほんの少しだけだ、けれど胃に入れてしまったのも事実で。
それを吐き戻すなんていう、罰当たりなことだけは考えこそすれ、実行する勇気などない。
燭台切は、今は安心したような表情をしている。やめろ。彩りよく持った皿がこちらに差し出される。やめろ。美味しいよ。うるさい黙れそれくらい知ってる。その顔はやめろ、ああもうなんでどの燭台切光忠も、俺の扱い方を心得ているのか。わかりやすいからか、押しに弱いからか。食事は断固拒否する構えだったのに。
一番の敗因は、そう、たぶん。
私が食事が嫌いでないことなのだろう。

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