刀剣 | ナノ
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -


▼ 13 

水膜の向こうから声が聞こえる。
それは段々と音量を増し、睡眠を妨げようとする。煩わしい。
体を揺すらないでくれ、俺はまだ寝ていたい。





目が覚めたら知らない天井でした。
そんな体験をする人間はそういないはずだ。しかも、これが二度目とは。一体何度やれば良いのか。雪国だったら良かったのに。いや良くない。跳ね起きる元気もない。
自分の状況はわかっている。今回は。
前回のような失態だけは演じたくない。
ふうっと体内に溜まった空気を吐き出し、新しいものを吸い込む。僅かに涼やかな神気と霊力の混ざった空気だった。
左腕を天井へ向けて伸ばす。前世とはうって変わった褐色肌に、立派な龍の入れ墨。その下に散る、色素の薄い皮膚。あれ、こんなものあったっけ。火傷が治ったような痕だった。腹の痣とはまた違う。ぐっと拳を握り、ゆっくりと掌を開く。何度かそれを繰り返した。違和感は感じられない。
本体に何か有ったのだろう。錆が進行したのか、柄が炙られたのかはわからないが、火傷の跡に見えるからには、火に纏わる何かだ。と思う。錆が痣となって出るのだ。もしかしたら別の錆、いや黴かもしれない。
ごろりと寝返りを打った。
腹は痛まない。
あの時獅子王に頼んだ、乱藤四郎の手入れのついでに、自分も手入れされた事くらいはわかる。どちらも折れる寸前だった。きっと審神者は大きく霊力を削っただろう。
霊力は使い過ぎれば命を削る事にもつながる。霊力は体力とも似ている。体力は回復できるが、寿命は回復しない。
見知らぬ人間にまた借りを作ってしまった。あの本丸の審神者にも、借りを作ったままだ。ひとは一人では生きていけないとはよく言うが、自分一人で生きていけないならば、助からなくとも良かったのだが。

馴れ合うつもりも、群れるつもりもない。
一人で戦い、一人で死ぬ。
誰の世話にもならずに、誰の負担にもならずに、自分はこの世界から消えてなくなりたかった。元の世界の肉体はとうの昔に焼失し、土の下に埋まっている。この世界での生きる希望は、愛おしい本丸と共に手の内から消え去った。せめて、彼女の守ろうとした世界を、守って戦死をしたかった。





ぱちりと目を開く。二度寝とはいい御身分だ。
怠い体を起こし、未だ睡眠を欲する体に鞭を入れ、立ち上がった。少しふらついたが、たたらを踏みながらもなんとか転ぶのを回避する。ぐっと伸びをした。布団一枚の何もない部屋。鏡くらいはあっても良いのに、と思わないでもない。体を見下ろせば真っ白な寝間着を着せられている。この体には似合わないだろうな。腰の帯を解き、一糸纏わぬ姿となる。パンツすら履いていない。これが当たり前なのか? 寝間着を着ることはなかったから、下に褌を履くものかどうかもわからない。寝間着のまま滝行をする修行僧をテレビで見た事もあるが、これと同じものなのかすらわからない。白装束も、こんな感じではなかったか。
腹を見る。そこにあるのは割れた腹筋と、少し濃く色の変わった痣、横に薙いだ刀傷が一本。刀剣男士だったからこそ生き延びたと如実に物語るほどに大きな傷跡であった。

「……ここまで綺麗に治るのか」

こうしてビフォーアフターをきちんと見るのは初めてだ。手入れを受けた事もそんなにないから、傷跡が残らないものとは聞き及んでいても、実際目にするとこれが現実なのだろうと納得できた。今回のように、モツをぶち撒けるほどの重傷になった者は殆ど居ないのだろうし、前回も手入れを受けたが、重傷というよりは疲労度が強かったように思う。足の腿の辺りにまで広がる痣に、龍を蝕む火傷跡。腹には切腹をしたかの様な一文字の傷跡。自然と口に笑みが乗る。満身創痍だな。

左手で拳を握って、腕を前方に出し掌を天井へ向ける。全身に力を入れる。イメージはずるりと足元から湧き出た蛇が巻き付くような、ぬめる空気が体に纏わり付くようなものだ。古いアニメーション映画のように、腕から蛇のような幻影が浮き出して、体飲み込まれる感じでも構わない。自然と閉じていた目を開きながら、拳も解く。もう一度握る。ぱしん、軽やかな音が鳴り、見慣れた服が身体を覆った。
Tシャツに学ランと腰布。
うん、この身体には矢張りこれが一番似合う。
落としたままの寝間着を拾い、空気にそれを叩きつける。ばんっと良い音が鳴った。ある程度見目が綺麗になるようにたたみ、はた、と後ろを振り返る。布団畳んでなかった。
寝間着を置いて、布団の元へ戻る。掛け布団を脇に追いやってから、敷き布団を三つ折りにたたむ。掛け布団もある程度形を整えて三つ折りの上に重ね、枕をのせる。先ほど畳んだ寝間着を隣に置いた。この作業はあまり好きではない。確かに最初はただ煩わしかっただけだが、それが仲間の死に繋がる行為になり、息苦しい思いをするからだ。だが、ここは他人の家。礼儀はしっかりと正さねば。

淡い陽光が障子紙を透かして届いている。足音が聞こえる。障子の向こうに人影が見えた。大倶利伽羅、と名を呼ぶ声は誰だ。息を飲む音がする。控えめに名乗られたのは、あの文化を愛する刀の名前だ。初期刀殿か。入っても良いかと尋ねられるが、ここはそもそもが自分の部屋ではない。許可など取らなくとも勝手にしてくれればいい。こちらから障子を開けると、そこに座る歌仙兼定が驚いた表情を寄越した。
咳ばらいをして、彼はふわと微笑む。

「お早う。もう良いのかい?」

彼が何を指しているのかわからないが、頷いておく。大方、体調を慮ってくれたのだろう。それはよかった、と言ってくれる彼の所作は美しく様になっていて、懐かしさが胸を満たす。彼が折れてから久しく顔を見ていなかった。

「起き抜けで悪いのだけどね、主に会ってはもらえないか」
「……ああ、構わない」

案内するよ、と彼は立ち上がる。先頭を歩きながら、無理はしなくて良いからね、とこちらを気遣い、時折振り向いて声をかけてくれる。本当にいい刀だ。世話をかけると謝罪しておく。
濡れ縁を歩きながら、庭を眺めた。鮮やかな緑が多く、吹く風も自然で心地の良い温度だ。塀の代わりに見えるのは、悠々とした態度の逞しい木々。庭は整備された砂地ではなく、細かな草花が生え、所々に三つ葉が群生しているようであった。
野草が生え、虫が飛び、野鳥の囀る声がする。森をくり抜いて誂えたような日本家屋。薄暗さの中にも陽射しが射し込み、まるでコマーシャル用のモデルハウスだ。

面白い。

本丸は審神者の心を写す鏡だとよく言われる。
主の本丸は花が多かった。洋風庭園のような景観の中に、小さな畑や温室が鎮座していた。母屋の部屋数は多くなかったが、襖を全て開けばあまりの風通しの良さに、皆始めは驚いたものだ。主自身少し申し訳なさそうであった。部屋を繋いで団欒できる仕様というやつだ。彼女の、家族への憧れが招いた結果であった。
そういえば、彼女の友人である審神者の本丸に訪れた事もあった。彼の本丸の庭は、どことなく中華的で、竹林があり、また庭の大部分を占める大きな池には、赤い橋が架かっていた。隙間のある板張りの渡り廊下では、下に川が流れて錦鯉が泳ぐ姿が見え、主が目を輝かせていた記憶がある。
自分が脱走したかの本丸の庭は、美しく整備された日本庭園であった。計算をし尽くされた景観は、文化遺産に匹敵する。自分がよく見ていたのは波打つ砂利の枯山水だ。配置される岩の数は、一つ所からは全てが見えない仕様であった。その反対側の庭に、小さな池と滝があるのだと短刀達から聞いていた。
この本丸は童話の中にあるような、森の中の日本家屋。
どれもが心の美しさを示し、彼らの魂の有り様を教えてくれている。

ああ、良い本丸だ。

ここだ、と彼の声に意識を戻す。主、入るよ。そう声をかけ、返答のないままに障子を引く。中には洋装の女性が一人、足を崩して座っていた。

「ようこそ、大倶利伽羅」

まあ座って、と座布団を勧められる。相手をする審神者は、あまり毛も整えていないようで、ただ伸びた髪を後頭部の辺りで一つにまとめているだけだ。

「君への状況説明をしよう。……だいぶ理解しているみたいだけど。君と乱を保護したのはうちの第一部隊だ。折れかけてたのをなんとか手入れしたんだけど、中々上手くいかなくてね。まだ傷跡が残ってるでしょ、下手くそでごめんね。君は特にやり辛かった。何か変なものでも食べてる?」
「……食事はしない。手入れは感謝している。手を煩わせた」
「ああいや、そういうんじゃなくて。……食事してないの?」
「……主、僕らは人間と同じように生活しなくても肉体の維持は可能なんだよ」

怪訝そうな顔の女性に、歌仙兼定が説明を加える。なるほど、審神者になったばかりなのか。

「なんか講習で聞いた事あるな、それ。あとで確認しておこ。そう、それで、手入れが上手くできないのは君の体の中身のせいじゃないかって話。一人の審神者にだけ手入れされてたわけじゃないでしょ、君。複数の霊力が混ざり合ってて、私の霊力が上手く流れていかないんだ」
「……へえ」

それは初耳だ。顕現して以来、確かに主の手入れしか受けた事がない。それを崩したのは先の審神者だろう。あの女。なるほど、上手く馴染んでいないというわけだ。人間が食事で食べ合わせが悪く、体を壊すのとニュアンスは似ているだろうか。違うか。

「身体に残る傷はそのせいだから、まあ心配はしなくてもいいと思う。そのうち治るはずだから。あー、状況説明って言っても、あと知らなさそうなのは君は保護した日から十日間、眠り続けていたという事くらい? ……そうそう、君が連れていた乱藤四郎の事だけどね、彼は君の二日前に目を覚ました。仮契約を結ばせてもらったけど、問題ないかな? これを結んでおかないと、この本丸にいたところで、顕現するための力は回復されていかないからさ。前の主は好かないみたいだったけど、君の事は大好きみたいでね、健気にずっと目が醒めるのを待ってるよ」
「……そうか」
「気にならないの?」
「あれとは森で会っただけだ。言うほど親しいわけじゃない」
「同じ本丸から出てきたわけじゃないの!?」
「ああ」

最初こそ胡乱げな表情を見せたが、理由を知った途端に目を見開いた。本当に? 確認してなかった、と女性は片手で両目を覆った。どうせ政府への報告書に同じ本丸からとか書いたんだろう。報告書を書くのは面倒な上に時間がかかるし、訂正を入れようとすると文句を言われて揚げ足を取られる。書類仕事とはそういうものだ。どこの世界でも、どこの審神者も、そこら辺は同じのようである。そしてこの審神者も、デスクワークが得意ではないのだろう。

「歌仙……後でお願いね……」
「君は本当に報告書が苦手だね。了解だ」

ふと歌仙兼定が腕にしていた時計を見る。

「主、時間だ。大丈夫かい?」
「あとは一つだけ、大丈夫」

歌仙兼定が立ち、失礼、と障子の方から部屋を出て行った。此処に得体の知れない野良刀剣がいるのに、二人きりにして大丈夫なのか。

「さて、本題に入ろう。大倶利伽羅、私は君の力が欲しい」
「断る」
「即答! ううっ……まあ聞くだけ聞いて……いや、とりあえず聞いてもう一度考えて欲しい……手前勝手だけど、重要なことだからお願い。乱藤四郎の本丸の話ね。彼の本丸にはまだ刀剣が残っていて、私は如何にかして助け出したい。だけど御察しの通り、私は審神者になって日が浅いの。今、此処にいる刀剣で、一番練度が高いのは君だ。一時的で構わない。……力を、貸してください」
「……折れてるんじゃないのか」
「……それは無いんだよ、残念な事に。乱の話を聞く限り、奴はいわゆるショタコン……ああ、えーっと小児性愛者、でいいかな。わかる? そういうやつで、暴力は振るうけど短刀は折らないそうだよ。気に入ったものはね」
「だから、どうした」

だからどうした、なんて言葉を口に乗せる自分に嫌悪する。森で会った乱の様子や格好から、ある程度の推測はできた。あれは元々快活で愛らしい姿の少年だ。金の髪は長く、大きな青い目がさらに男の劣情を誘うのだろう。あの見目をもって、挑発するような言動を行うのも拍車をかけているはずだ。男だらけの閉鎖空間で、女に似た背格好なのは当てやすい的だ。
肉付きがよく、柔く、丸く。然程大きく幅もなく、比較的従順で御し易い短刀達。
餌食になるのは当然の結果か。

「再三言ってるでしょう、力を貸して欲しいんです。うーん、そうだな……用心棒として雇わせてくれって言ったら、君的にはどう?」

は、と息が漏れた。こいつは何を言ってる。刀剣を道具として手元に置くのではなく、釣り具のように、レンタルして使いたいと言っているようなものだった。馬鹿なの? じわりと胸を擽る。目の前に生きるものを見て、主従契約が当たり前となっている世の中で、そういった考えができるのは珍しい。
当たり前が罷り通ると、その当たり前以外を受け入れられないのが人間だ。
よくも政府がこれを審神者に選んだな。

良いだろう、乗ってやろう。

この審神者らしくないのが良い。手入れが下手くそなのも良いな。審神者らしからぬ女、これなら自分の中でも折り合いがつきそうだ。

「……報酬に何をくれる? そうだな、荷物にならないものが良い」
「……あまり、高いものは出せないよ」
「衣食は兎も角、住を提供して貰うからな。気圧わなくていい、気長に待ってやる」
「では、後ほどまた伺います」
「ああ。よろしく頼む。……そうだ、あんたに雇われるんだ、主とは仰がないが、呼び方がないと不便だな……姫御前にでもするか」
「……エッ!?」
「どうだ、驚いたか」


prev / next