刀剣 | ナノ
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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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▼ おてぎねくん、演練へ行く 後


兎に角基礎知識を二振り目に叩き込み、その日を終えた。演練の日付がずれてしまったが、融通が利いてよかった。政府付きの刀剣男士が、面白そうだからと口利きをしてくれたらしかった。鶴丸か? その代わり、一振り監視兼護衛をつけるという事だ。それくらいなら全く問題ない。担当にもありがたいと頭を下げた。

さて、と準備を終えたらしい部隊を見る。御手杵に抱えられた二振り目は、ふさふさとした着ぐるみを着せられ、ぶっすりと不満気な顔だ。
まあ、そうだろうな。模擬戦とはいえ戦場だ。そんな可愛らしい格好で行きたくないんだろう。真っ黒でふさふさとしたフェイクファーに包まれ、首元に銀の紐が垂れ、被せられたフードには熊の顔が乗っている。ああ、誰だあれ着せたの。完全に御手杵の鞘化してしまっている。いつもはダルそうな表情の御手杵が、今日に限って笑顔なのはあのせいなんだろうな。

「……どうやって買ったんだ」
「うちの乱がお手数をおかけしまして……」

申し訳なさそうに言葉を紡ぐ一期一振に、顔を覆った。乱かあ、乱なら仕方ないな……いや仕方なくないんだけど、彼ならやりかねないのだ。あとで叱っておきます。

「……行くか」

ぶるる、と不満そうに唇を震わせて音を鳴らす二振り目には申し訳ないが、あの御手杵から奪い返せる気は全くしないので、二振り目に我慢してもらうしかない。帰ったらちょっと甘やかしてやるか。



突き刺さる視線から逃げるように、体を小さくしたつもりで歩く。大きな刀剣男士の陰に隠れながら、漸く指定の場所が視界に入った。おおい、と向こうで手を振るのは白い刀剣男士だ。彼の頭には黒く丸い耳と、赤いリボンが付いている。なん、なんだ!?

「こっちだ、いやあすまんなあ、所用で迎えに行けなくて」
「……あんた達が予定通りに動いてくれればこうならなかったんだ」

朗らかにこちらへやってくるのは鶴丸国永で、その後ろで面倒そうに息を吐き、文句を言ってくるのが大倶利伽羅だ。政府付きの刀剣男士である。他にも数振り居るのだが、特に有名なのがこの二振りであった。どちらも審神者にとっては喜ばしくない噂がある。曰く、三原則に縛られない。
二振り共に、己の刀にしっかりと赤い紐が結び付けられており、簡単に抜けないように処置が施されていた。加えて、赤い組紐で飾り結びにしたものを、首元で揺らしている。
石切丸があれを見てへえ、と声を漏らしたから、きっと何か複雑な術でも掛かっているのだろう。聞いた噂に信憑性が増すではないか。

「安心してくれ、俺は御手杵を見に来ただけで、通達通り護衛はこの大倶利伽羅だ。いや、しかし……御手杵というから刀剣男士を想像していたんだが……鞘だとは」

鞘も人の身を得られるんだなあ、と興味深そうに言うので慌ててそれを否定する。あれはうちの乱が買った着ぐるみで、ちゃんと御手杵なんですよ! ほらよく見てください、貴方も刀剣の神なのだからわかるでしょう鞘か刀かくらいは。まあ本体は置いてきたんですけど。えっそんな事をしてこの御手杵は大丈夫なのかって? ご覧の通り、大丈夫みたいです。器を無理やりいじって本体を揮えなくなった分、多少離れても大丈夫な様子です。ていうか俺はあなたのその頭が気になります。

「ああ、これか! 職員が休暇で遊園地に行ったらしくてな、その土産だ! 面白かろう!」

政府の人間なんでそんな羨ましい休暇を、現代に遊びに出られるなんて。政府の人間だからだろうか。すごい羨ましい。事務職なのだろうか。いや、羨ましいけど何故そんなものを。 本人喜んでるけど、もっと何かあっただろうに。後ろの大倶利伽羅も呆れ顔だ。
満足しただろう、早く帰れと背中を蹴られ、鶴丸は渋々と演練場から去っていった。その白い服についた、一つの足型に気付かぬまま。大倶利伽羅がこちらを向く。

「うちの鶴がすまないな。あれは現世に相当憧れているんだ。檻の中の鶴なんて、動物園だけで満足して欲しいもんだが……ああ、悪い。俺が愚痴をこぼしたことは、内密に」

人差し指を一本立て、唇に押し当てる仕草をする。彼の同位体を知る自分からすれば、あまりにも見慣れない光景ではあったが、顔の整った男がするのだ。大変よく似合っていた。
政府付きの刀剣男士は亜種ばかりと聞いている。成る程、驚くほどに表情の豊かな大倶利伽羅だ。背後から誰かの呻き声がしたが確認はしない。どうせ光忠だろうからな。

「そろそろ一試合目の時間だな。御手杵、小さいのを降ろせ」

何を見る事もなくふと彼はそう言うと、御手杵に肩車されていた二振り目に視線をやった。二振り目も大倶利伽羅を見、すうっと両手を伸ばす。
その行動に、今度はこちらが驚く番だったようだ。

二振り目はかなりの怖がりだ。自分より体の大きなものを苦手とし、戦帰りの刀剣男士や、時折現れる政府の検査官や監視官、エリア担当官などの人ですら怖がるのだ。俺だってたまに怖がられるし、第一部隊にだって漸く慣れてきたところだというのに、政府付きとはいえ、大倶利伽羅に自ら抱かれようとするなんて。
特にうちの大倶利伽羅は表情が単調だ。普段は無表情か仏頂面で、戦事の時は不敵に笑むか敵を嘲笑うかくらいの変化しかない。
どちらかといえば戦闘を好み、同じ部隊の者とよく連んでいる。二振り目と初めて邂逅した時はちょうど戦帰りで、酷く怖がられてしまっていた。大倶利伽羅は二振り目に然程興味がないらしく、同じ空間にいる事が少ない。大倶利伽羅を怖がっているのだと思っていた。
もしかして、機会がなかっただけなのか? それとも俺が知らないだけで、実は頻繁に交流していたのだろうか?

御手杵から二振り目を受け取り、腕に抱く大倶利伽羅の姿はしっかりとしていて、手慣れた様子が伺える。その大倶利伽羅に促され、専用の席に腰を下ろした。戦場がしっかりと見える位置、相手の審神者とは真反対の場所だ。モニターもきちんと配置され、指示もし易い。いつ来ても良い席である。

「初めの相手は初心者だ。……いや、正確には少し違うんだが……手加減してやってくれ」

大倶利伽羅はそう言うと、二振り目に演練について様々な説明をしてくれる。正直なところ、有り難かった。自分は戦事が得意でないから、一度演練の場に立つと、周囲に気を配っていられない。彼が居なければ、きっと二振り目を放ったらかしていただろう。

基本の陣営を指示し、試合開始の法螺貝が鳴る。相手の六振りは短刀五振りと打刀という編成だったが高練度で、大倶利伽羅の発言のために思わず二度見をしてしまった。嘘をついたな、そう叫ばなくてよかったと切に思う。
先手を取られ、短刀達に翻弄される。こちらは槍が三振り、大太刀が一振り。太刀の二振りはまだなんとかなるだろうが、それでも懐に入り込まれれば勝ち目はない。練度の差もあり、自陣が押されているのが目に見える。怒号にも似た指示を出すが、相手の短刀を退けるほどの決定打にはほど遠かった。何が初心者だ。一体どんな審神者が、と遠くの席を見てぱかっと口が開く。幼い少女が声を張り上げて応援する様が見えた。もしかして、彼女が?

「愛らしいだろう。この場が彼女の初陣だ。で、あの六振りは、あの子の母親の刀剣男士というわけだ」

くそ、そう言う事か。成る程ある意味では審神者初心者というわけだ。今まで培ってきた経験のある刀剣男士だからできる、審神者の指示のない戦闘。彼女の初陣というだけあって、張り切る刀剣たちの周りには桜の花弁が舞っている。桜付けまで完璧なのかよ、一体どんな初心者だ、あの子は。因みに、と大倶利伽羅が付け加える。
桜付けをしたのは母親だからな。
あー! くそ! 初陣だもんなあ!



引き続いての二戦目が始まった。
相手のラインナップに顔が引き攣る。大太刀四振り、薙刀一振り、打刀一振り。なんて編成だよ。多分、打刀は初期刀なのだろう。他と比べても群を抜いて練度が高い。向かいの審神者は落ち着いた様子で、慣れを感じる。中堅か、ベテランか。見た目で判断できないのがこの界隈だ。先ほどの女児もそうだったが、向かいの審神者も背が低く、幼く見えた。
なんで今回の相手は子供ばかりなんだ。
ただ、引っかかることがあるとすれば、皆、初めから軽傷や中傷でその場に立っていることだった。演練の場では、前戦の傷や疲れは試合終了と共に癒される。けれど、最初からあった傷は戻らない。つまり、元からあの傷なのだ。
それに気付いて胸のあたりがざわついた。観客達もひそひそと耳打ちを行ったりしている。

「あれは問題ない。気にするな」

ブラック本丸なのではないのか。二振り目を引き取っている自分だからこそ、過敏に反応しているだけなのかもしれない。いや、自分だけではなく、自陣の刀剣男士達も気付いている様子で、殺気立っていた。一度態勢を立て直すために後ろへ下げさせれば、相手部隊は警戒するようにその場から動こうとしない。気にするな、と大倶利伽羅が再度言葉を重ねる。バカを言うな。ブラック本丸は許せない。二振り目が来てから、そう思うことが多くなった。刀剣達に指示を入れる。全力でやれ、と。

「……荒れなければいいが」

大倶利伽羅が呟いた。



二試合目が終わり、憤懣遣る方無い気持ちのまま一度、自陣の刀剣男士達の元へ降りる。一戦目どころか、二戦目も敗北してしまったのだ。あの、ブラック本丸の彼らに。
階段を下り切ったところで喧騒が聞こえた。何事かとそちらを向けば、刀剣男士が少年に殴られている。少年は先ほどのあのブラック審神者だ。剃り上げた後頭部が黒いことで、その頭を金に染めている事がすぐにわかった。耳にはピアスが光り、かなりの若さである事が伺える。中学生だったのだろうか。
殴られているのは軽傷の打刀。多分、初期刀だろう陸奥守吉行。
カッと全身が熱くなる。大倶利伽羅は問題ないというが、あれのどこを見てそう判断できる。問題だらけではないか。

「おい、そこの坊主!」

声を張り上げた。目を丸くして驚いているのは地面に転がり、殴られ続けていた陸奥守と、あの審神者の刀剣男士達だ。しかし、向こうの石切丸はやっちまった、とばかりに片手で顔を覆っている。

「ああ!? 俺を坊主とか呼んだのはてめえかクソジジイ!」

少年がこちらを向いた。ドスの効いた声にびくりと肩が跳ねる。お、落ち着け俺。ビビってどうする。相手はブラック本丸の審神者だろうが。こんな子どもでもやってる事は許されない行為だ。それを諭す事も年長者の役目。

「刀剣男士は俺達人間に力を貸して下さって」
「当たり前の事ほざいてんじゃねえぞハゲ! それくらい審神者やってりゃ誰だって知ってんだよ、頭足りてねえんじゃねえのか!? 俺が怒ってんのはてめえが思ってるような事じゃねえんだよ! 何も知らねえブタが、ブヒブヒ鼻突っ込んでんじゃねえ!」

イラッとした。どころじゃない。煮え滾るマグマの中から生まれ直した様な気分だった。今、俺から殺気が出ている気がする。陸奥守が何かを言いたそうにこちらを見るが、自分の胸倉を掴み、馬乗りになっている少年に視線を戻した。へらりと笑って少年の頭を撫でる。

「どうどう。あいちゃあおんしの事なぁんも知らんがやき」
「うるせえぞ! ガキ扱いしやがって、てめえは黙って殴られてろ!」
「ほんなら顔じゃのうて腹にしとおせ、おんしの手が傷付くんはかなわんちや」
「ぶっっっ殺すぞ!!!!!!」

少年は撫でる陸奥守の腕を叩き落として両手で胸倉を掴み、がくがくと揺すっては床に後頭部を叩きつけている。日常的に行われている事なのだろう、やられている本人も、その審神者の部隊も全く意に介していない様だった。そればかりか陸奥守の後頭部は出血して床を染めており、痛みもあるはずなのに本人は気にすらしていない。
陸奥守の頭をしこたま床に叩きつけ、軽傷が中傷に進行した時、少年は陸奥守の服の襟から手を離し、ぎっとこちらを睨んだ。

「あんた何様のつもりか知らねえけどな、口出すのは御門違いだ。助ける相手見極める目、腐ってんじゃねえのか。こいつらは妖怪で、俺は人間。いつ立場が変わったって可笑しくねえ、命の危険と隣り合わせなんだ。刃向けて来ねえように、俺が上なんだっつーことを教え込むことの何が悪い? 甘ったれたこと言ってると、足元すくわれっからな、カス」

言ってることは間違っていない。そういう考えの人間だっているだろう。だけどその言い方はなんだ。どうやって育てられたんだ。途轍もない程に腹が立つ。躾は確かに必要なのだろう。だが過剰な暴行は躾とは呼ばない。相手が刀剣男士だから、なんて言い訳は通じるはずがない。ああいうのがいるから、ブラック本丸なんてものが無くならないんだ。握る拳を振り上げそうになるのを必死に理性で押し留める。ここで暴力沙汰になれば、俺は奴と同じになる。
向こうの部隊の一振りが、少年を落ち着かせようと接しているが、取り付く島もなく殴られている。薙刀の彼がこちらを睨んでいた。よけいなことを、と口が動いた気がする。
とん、と肩を叩かれた。隣を見れば、大倶利伽羅が立っている。ああ、そうだ。彼ならなんとかしてくれるだろう。ブラック本丸を運営している疑いのある審神者として、政府に通報するのが良いのかもしれない。

「あれを通報するか? 一応受理はするが、誤通報として処理されるぞ」
「どういうことだ」
「過剰暴力に手入れ不足というのは本当だが、刀剣男士がそれを受け入れている以上、こちらは手出し出来んのでな。無理に引き剥がす利益がない。愛されてるんだ、面白いだろう?」

不意に審神者が視線を外した。じっと見ているのは二振り目だ。二振り目はびくりと体を揺らし、大倶利伽羅の服を握っている拳に力を込める。審神者は下敷きのままだった陸奥守の上から退き、大倶利伽羅の方へと寄っていく。その行動には向こうの部隊も驚いたようで、主、と慌てたような声を上げるが、止める事はしなかった。陸奥守が起き上がり、他の刀剣に包帯を巻かれている。本当に日常的に暴力を振るわれているようだ。
いち早く日本号が審神者と大倶利伽羅の間に割り込む。二振り目に近付けたく無いらしい。いいぞ、日本号。その調子だ。しかし、審神者は動じない。どころか、退け、と一言日本号に放った。すっと、日本号が審神者に道を開ける。言霊! あまりに簡単に、何の前触れもなくするりと口から放たれたそれに、目の前の審神者の能力の高さを知る。あれほど自然に言霊は放てるようなものじゃない。そもそも、言葉に霊力を乗せて放ち、ひとを従わせることは難しいのだ。言葉の力をきちんと理解し、練った霊力を形のないものに乗せることがまず、難関なのである。感情が力を増幅させることもあるが、意図的に使うとなると、思い通りに操るだけでも年月をかけた修行が必須だ。それは神職のものも、審神者も同じである。
あれがブラック審神者でなきゃ、握手でもしに行ったのに。

「その身体、どうした」

彼から隠れようとしていた二振り目が、弾かれたように審神者を見る。息ができずに喘ぐように、小さく何かを呟いた。そうだ。審神者が頷く。お前の事くらいわかる。

「……お前色んなもの落としてきやがったな。ああ、大事なもんばっか無えじゃねえか。馬鹿だ馬鹿だと思ってたが……本当に馬鹿だな」

大倶利伽羅が膝をついて二振り目と審神者の視線を合わせてやっている。審神者も小さいもんな。大倶利伽羅とも二、三言葉を交わし、二振り目の頭にすとん、と軽く手刀が降ろされた。

「……ちゃんと見ておけ、廣光」
「了解した」

俺んちの御手杵なんですけど?

審神者は二振り目の前髪を掻き分けてその小さい額を指で弾き、何かを呟く。ぶわり、と桜吹雪が舞った。えっ? 桜がひらひらと二振り目を中心に舞っている。桜が。
えっ、と声を漏らしたのは俺だったのか、俺の背後からだったのか。
大倶利伽羅が肩を震わせて笑っている。

二振り目の初めての誉桜であった。



第三戦目。俺はぐったりとしていたように思う。休憩時間があまりにも衝撃の連続だったからだ。まさか準ブラック本丸のクソ生意気な審神者が、二振り目に誉桜を散らせる能力を有していたとは。

刀剣男士の誉桜は善のベクトルでの感情の高ぶりによって現れる、神気の一種の状態だ。可視化するそれは、一時的な男士の身体能力を引き上げる。というよりは眠っている身体能力を引き出すとか、目覚めさせるという言い方のほうが正解に近いか。ウォーミングアップをしないで走るより、して走ったほうがタイムが良いとか、嬉しいことがあった時はいつもより仕事が捗るとか、まあそういう感じのやつだ。その状態が桜吹雪となって男士の周囲を舞い続けるが、その花弁は実体を持たずに空気に溶ける。ただ稀に、気持ちがあまりにも入っていたり、嬉しいという感情があまりに大きかったりすると、実体を持つこともある。

大倶利伽羅は桜の花弁にまみれていた。
つまり、そういうことだった。

なにが嬉しかったのかを尋ねてみるが、可愛らしくひみつ、と言われてしまえばそれ以上追求できない。世話を焼いている三名槍達はもう少しだけ粘っていたが、結局教えてもらえなかった様子である。

試合開始の法螺貝の音。
はっとして指示を飛ばすが、索敵は失敗する。とりあえずと無難な陣形を指示したが大丈夫だろうか。
相手の審神者はベテランの男だった。御手柔らかに願います。そう言って試合前に挨拶に来た彼は女児を連れていた。視線に気付いた彼が照れ臭そうに、うちの娘でして、と紹介してくれた。また子供か!
相対する部隊には、珍しい刀剣が三振り。三日月、小狐丸、数珠丸だ。自分の本丸にはいない刀剣である。
どの刀剣も練度が高く、最近先行実装されたはずの数珠丸も、五振りに練度が並んでいる。流石はベテランというところだろうか。女児は可愛らしく手を振って応援しており、万全を整えた相手部隊はやる気に満ちた表情であった。陣形は不利有利なく始まったが、相手の打刀や脇差の遠戦でこちらの刀装が削られる。向こうの脇差は鯰尾と骨食だ。先手も取られ、二人の会心の一撃に石切丸が戦線崩壊を余儀なくされる。一番の攻撃手を失ったこちらの部隊が押され始めた。慌てて態勢を立て直すよう指示を入れる。三振りの槍が顔を見合わせ、三方に散っていった。そう簡単にやられるのは誰だって癪なのだ。


相手の審神者と握手をして別れる。
今回の演練は三回で組んだ。全て黒星、惨敗である。大倶利伽羅は未だ花弁にまみれているが、先程よりは大分減少しているようであった。空気にでも解けたのだろう。二振り目の誉桜はまだ舞っているが、薄くホログラムを纏っているような状態にまで落ち着いていた。お前の初めての演練なのに勝利を見せてやれなくて悪いな、と御手杵が頭を撫でる。わしわし、元々寝癖スタイルの茶色い毛が、更にぐしゃぐしゃになっていく。楽しげに身を捩り、大倶利伽羅が迷惑そうに嗜める。暴れるな、落とすだろ。ぴたりと動きを止め、彼の服を両手でしっかりと掴んだ。

「負けとか勝ちとかよくわかんねえけど、みんなすっげーかっこよかった! 俺も槍振れるようになったら御手杵みたいにかっこよくなれるかな!?」
「お前は御手杵だろう。元に戻るかわからんが、振れるなら御手杵のようにはなれる。……楽しかったか」

比企はぱっと明るい表情を見せ、大きく肯定し頷いた。

「それは何より。運営班にも伝えておこう」

抱いていた二振り目を蜻蛉切に預け、頭を撫でて、何かを耳打ちする。比企は目を丸くして大倶利伽羅を見るが、酷く嬉しそうに笑った。忘れないようにするんだな。そう言われて、薄れていた花弁がまた色を取り戻す。
セカンド誉桜は政府付きの大倶利伽羅が奪っていきました。



ゲートの前まで案内され、女性職員がゲートを操作している。大倶利伽羅は不快そうな顔を隠す事なく彼女と接するが、彼女は逆で、始終顔を綻ばせていた。この温度差は何だ。
彼女はブラック本丸の対策を行う部署に所属している新人であるようだった。二戦目に戦ったあの審神者が別の者に通報されていたようで、それを確認するなり誤通報、と本部に連絡を入れていた。大倶利伽羅の話は本当らしい。知っている者には有名人のようで、三戦目のベテランの男性も、彼も悪い子ではないんですがと苦笑していた。どうやらブラック本丸通報数が群を抜いているらしかった。いや、あれはどうみても黒だろ。
もう忘れろ、大倶利伽羅が言う。

ゲートの駆動音が鳴り、薄い水のような膜の向こうに、見慣れた我が本丸が映る。礼を言おうと振り向いて、そこではじめて大倶利伽羅の首の飾り紐が無くなっていることに気付いた。落としていたら大変なのではないかときょろきょろ辺りを見回して居れば、大倶利伽羅が蜻蛉切を指差した。黒い熊のぬいぐるみと化している比企の首にかかっているのは銀の紐だったが、今はそれに赤い紐が足されていた。あれって封印のための紐とかじゃないのか? 悪影響とかない? いや、石切丸も何も言わないし、大倶利伽羅もそんなものを渡すわけないだろうけどちょっと不安だ。帰ったらしっかり見てもらう事にしよう。
それでは、と頭を下げる。ゲートの水膜に片足を入れ、体重を移動させた時、大倶利伽羅の声がした。

「なあ、錦鯉は美しいままか?」

するりと身体がゲートを通り抜け、勢いよく背後を振り向くが遅く、水膜がぱしんと弾けた。



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