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◎蟲師


「お前は蟲を寄せる体質というが、本当はお前が蟲に寄せられているのではないかと思うよ」
毎度この山を越えるたび、何かしらの蟲に捕まってしまう男の世話をしながら、草木の羽織のひとは笑んだ。片手間に、擂鉢で何かを擦り潰している。
「お前は蟲が好きだろう」
ある程度擦り潰し終えたのか、擂鉢の中身を急須に入れた。沸かしたお湯を湯呑みに注ぎ、数秒してから湯呑みの湯を急須に移す。数十秒。円を描く様に急須を数回揺らし、中身を湯呑みに注ぎいれた。小屋の中に、すっと爽やかな香りが広がる。
「アンタだって」
「当たり前だろう。この山に在るものは総じて好ましい」
ふうっと一息湯呑みに息を吹きかけ、草木のひとはそれを男へと寄越した。
「茶だ。その蟲にはよく効く」
「……悪いね」
「なあに、構わんさ。お前たちを甘やかすのは好きでね」
男の髪を掻き混ぜる様に撫で、その指通りの悪さに草木のひとは眉を顰める。
「……お前はここに居なさい、良いね」
草の混じる髪を揺らしながら、そのひとは小屋を出て行く。足元では種類も様々に植物が生を繰り返している。芽が萌え、葉が伸び、花が咲き、枯れる前に光と消える。どこの主にも見られない、そのひと特有の現象だ。
「どうも、旅の子は皆怠るな。草木とは違うというのが解っていない。ああ、嘆かわしい」

×××

ざあ、と雨が屋根を仕切りに叩いている。
男はされるがまま、布で髪の水分を拭われている。完全に子ども扱いなのである。しかし、それが案外心地良い。久々の風呂で身体を芯から温め、山を歩いてきた疲れもあり、時折男は舟を漕ぐ。その様子を見て、草木のひとは微笑み、ふうっと彼の髪に息を吹きかけた。かのひとの息は小さな風となり、その美しい白い髪から瞬く間に水分を吹き飛ばす。眠りが深くなっていく男を抱き締めるように引き寄せ、柔らかな髪を手で梳いて感触を楽しむ。もう片方の手は彼の胸の上、一定の間隔を保って優しく叩く。
彼が風呂に入っている間に敷いた布団は、太陽光をたっぷりと浴びてふっくらと仕上がっている。
彼を起こさぬよう慎重に横たえ、布団をかけて灯りを消した。
「お休み、愛しい人の子」
遠くから雨が土を削る音が聞こえる。地を伝い、体を大きく揺さぶるが、目の前の男は眠りが深く、起きることはなかった。
内臓を無理に引き千切られるかの如くの痛みが草木のひとを襲うが、そのひとは拳をひとつ握っただけで耐え忍んだ。じくじくと痛みが引かず、耳の奥に生命の消えていく声が聞こえてくる錯覚を覚える。
雨は絶えずものを叩き続けた。

×××

「よく眠っていたな」
目を覚ますと、山の主が微笑みながらこちらへ手を伸ばしてくる。髪越しに頭を撫でていくその行為はくすぐったい。嫌ではない、のだが。虫や鳥の声、草木の音が耳に届き、ぱちぱちと火が弾ける音もそれに加わる。未だに己の身体を蝕む怠さも、昨日と比べれば格段に良くなっている。それもひとえに、この主のおかげだろう。
ふと、見慣れない蟲が主の近くを浮遊しているのを見付けた。そのひともそれに気付いたのか、何気ない仕草で蟲を掴み、ふうと窓の外へと吹き飛ばす。この小屋の中にいる蟲は珍しい。よく見れば、同じ蟲がほんの数匹、主の周りを漂っていた。
「それは?」
「なんだ、初見か? 崩れた骸とかいてホウガイ、少し色の違う小さい方が癒す芽の蟲とかいてユガムシだ」
「崩骸に癒芽蟲……」
「昨日の雨で地滑りでも起こったんだろう。そのせいだ。崩骸と癒芽蟲が一緒だから問題ないさ」
「それだけの時もあるのか」
「癒芽蟲だけなら問題ないが、崩骸だけなら警戒しなさい。その土地は死に、そして死を呼ぶ。不吉な蟲でね。それよりも、だ。朝食は食べるんだろう、魚を焼いたが」
「……貰うよ」

×××

ふらふらと森の中を彷徨い、落ちている枝を拾い上げる。時に、自然に落ちたのではないだろう太い枝を見付けては呆れ、人の手の入ったであろう切り株と大穴の群を見て息を吐く。切り口は新しく、蘖も見当たらない。立派な大木があったと記憶している場所には大穴が開き、本体を失くした根が淋しく顔を出している。敷かれていた落ち葉達も掃き出されたのか、地表がすっかり陽に焼かれて乾いている。そのせいか、犇いていた草花も枯れて疎らだ。
一帯が丸裸にされて尚、気付かなかった事にそのひとは頭を掻いた。耳に届くのは風の囁きと近場にある川の叫びだ。
鮮やかな青と真っ白な積雲を見上げ、遠くの積乱雲を認める。ゆっくりと山肌を見下ろし、その下に広がる里が見えるのを確認した。辺りには濃い色の蟲達が飛び交っている。その蟲達が腹を仕切りに突いては、空中を愉快そうに跳ね回っていた。
「多くがあるようにあらん事を」
枝を確りと抱え直し、痛むだろう臓腑の事と、人の子を思う。


10/01 10:06


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