響け春雷 | ナノ


※転生現パロ(24歳×37歳)



 春のうすく、しろく煙ったような空を、はなやかに咲きほこる薄紅があちこちで彩っている。にぎわう喧騒、弁当、酒、肴、甘味。冷えに閉ざされた冬を終え、訪れた爛漫に、浮かれすべてを味わいつくそうとする平穏も、いまではわるくないと、素直に思う自分がいる。
「うわっ!」
 がさ、という音とともに、なさけない声が降ってくる。見上げれば大木の前、おもむろに立ち上がった巨躯の彼が、その金色の頭を花びらまみれにしては、目を白黒させて首を縮めているものだからおかしい。
「やっちまった、折れてねえか?」
「だいじょうぶだ」
 むしろ、もう一本桜が増えた。緩むに任せた頬で言ってやれば、じゃあいいか、とそのまま、彼がすこしおぼつかない足取りで、花見客の間を縫って手洗いへと向かう。いったいなにがいいのかと思いつつ手元の酒を傾けるおれに、それまでそこいらでばか騒ぎをしていた三人の友が、見事にほろ酔いといった様相でこちらへと転がってきた。
「あれェ? ロシナンテさんはァ?」
「ションベンって言ってたよ、ね、キャプテン」
「それにしてもローさん、来てくれてよかったよォ」
 花見までは付き合ってくれないかと思ってた。がやがやと、矢継ぎ早に思い思いのことを口にするのも、むかしから変わらない。はい、とふんわりとした毛並みの白い手に渡される三色団子を、断る理由もなく受け取る。
「行かないとはひとことも言わなかっただろう」
「いやあそうだけどォ、あんまり興味ないかもなあって」
「……おれだって、月並みな行事はきらいじゃあねえよ」
 なんだかんだ廃れないのも、それなりの理由があるんだからよ。いつもよりひとりでに舌が回る感触が、酒精のせいであるような気がして、もらった団子にひとつ、かぶりつく。いやいや、ペンギン、それだけじゃあねえよ。キャスケット帽を意味深に被りなおしては幼なじみをつつく友を、今度はなにを言い出すんだか、と静観していたおれは、その口から飛び出した台詞に、あやうく噛み損なった団子を喉に詰めかけた。
「桜の下のロシナンテさんが見たかったに決まってるじゃん!」
「ああー!」
「キャプテン、ロシナンテのことだいすきだもんね!」
「──はっ倒すぞ!」
 あとベポ、キャプテン呼びはやめろと何回言ったらわかるんだ。無理矢理に飲みくだした団子が飛び出そうなほどの声量が出たものの、はっと口を押さえた白くまはともかく、この悪友たちにはてんで効きやしないのだ。白くまも白くまで、きっと思い出しているのは、以前その呼び方のせいで、居酒屋の近くで聞いていたらしい弱小スポーツチームの監督に、助っ人になってほしいと泣いて懇願された珍事件のほうにちがいない。
「またそんな、照れることないでしょうよォ」
「決めちゃえばいいでしょ、ここで、びしっと!」
「え、決めるってなにを?」
 きょとんとする白くまを尻目に、ふたりの応援団の言わんとすることの見当がついてしまうだけに、苦々しく眉が寄る。彼へと抱くこのあたたかい感情が、ただやわらかいだけのものではない、ということを自覚してからというもの、それとなく、時には直接的に愛の告白を重ねて、どれくらいの時が経っただろう。そのたび、のらりくらりと、時には言い聞かせるように首を振る彼に打ちのめされながら、ああ、それでも、あきらめきれやしないのは、かたちはどうあれ、彼からあいされているという揺るがぬ事実にあぐらをかいてしまっているからであるのか、それとも、彼の拒絶にどこかしら、どうしてもほころびが見えてしまうからであるのか。
(もうすこしだって、おれも思ってんだよ)
 こんな考え方も、したくもねえけど。最愛のひとを、まるで籠絡するような思考に陥っていることは自覚している。それこそ、告白だってこんな公衆の面前ではなく、雰囲気や機会を作り上げて、と入念に練るような余力があったのも、いまや遠いむかしのことのようであるのだ。
 あのひとのことになると、なりふり構っていられなくなる。ずっと、ずっと「前」からそうだ。
(……そばにいるだけじゃあ、もう、足りねえんだ)
 あのひとのすべてが、永遠がほしい。あまりにも身勝手な本音が、酒精にとけた胸の穴からどろりと顔を覗かせる。だまりこくってしまったおれに、顔を見合わせた友が、あー、と、気遣わしげに口を開くのと、おーい、と陽気な大声が飛んでくるのは、ほとんど同時のことであった。
「りんごあめ、売ってたからよ。買っちまった」
 苦手なやつ、いなかったよな。でかい両手に持った、五個の艶めく紅玉の刺さった棒を、彼がひょいひょいと皆に配っていく。
 ほら、ロー。赤い実をうれしげに、真正面から差し出してくる彼が、雪どけを迎えたはずの冬景色を、背に負っているように見えた。
「……そうか。そうだな」
 いつだって彼は、無私のおとこであった。その胸に抱いた道理に正直で、こころをわけた相手にはことさら、その身を投げうってしまうようなひとであった。
 彼が、不思議そうに首をかしげる。受け取った表面の透き通る紅は、彼のひとみのように深くあまい色をしていた。
「──いいんだよ。これで」
 いまはさ。つぶやいたことばは、友には意味が通じたのだろう。そっかあ、としたり顔で後ろ手を突いて飴をかじるふたりと、ふうん、とよくわからないなりに丸かぶりをする白くま。それに、なんだよォ、と、仲間はずれとでも思ったのか、つまらなさそうにふてくされてみせる、彼のそんなおとなげのないところも、いとおしくてたまらない。
(そうだ、そうやって、素直でいてくれよ)
 おれにすべてを捧げてなんて、くれなくていい。あんたのこころが、等身大でいられる相手に、おれがなればいいだけのことであるのだから。
「……ハハ、まだついてる。コラさん」
 がり、と、憮然として白い歯で紅を砕く彼の、陽光にかがやく金髪に、鎮座したままの花びらがおかしくて、かわいらしい。崩れる顔に任せ、伸ばした手でそっと、取り払ってやる。ただそれだけであったというのに、あ、え、と、その双眸がひどく惑ったように見えたのは、ああ、どうしてであったのか。
「……シャチ。だまされたとおもって、今、酒飲んでみな」
「もうだまされてるよ……すげえうめえよ……」
「りんごあめもうまいし、おれ、しあわせだなあ」
 ぼそぼそと聞こえる野次馬の声は、待ちわびた春のいろめきにまぎれて消える。はは、と、まだついてたか、と、くしゃくしゃと頭を掻く彼の、色白の頬に差す薄紅は、それまでにしこたま飲んでいた酒精のせいにちがいない。そうにちがいないと、そうだというのに、彼は、そのまま、すこしばかりうつむいては、へら、と、わらってしまうのだ。
「……まいったなあ」
 うっかり、ときめいちまった。あぐらに頬杖をついては、じんわりとおもはゆさを目許ににじませて、くつくつと、喉を鳴らす彼の、なんという罪なことだろう。おれの気持ちなぞわかっているくせに、ああ、いや、だからこそ、そのまなざしで、こちらを向けずにいるのだろう。ふんわりとした厚い髪の下、覗く耳たぶとそこから続く首筋が、隠しようもなく、熱く染まりきってしまっているのも、きっと。
「……もっと、うっかりしてくれ」
 ぽろ、とこぼれたこころの内に、なにを言ってんだ、と彼があきれたように苦笑を漏らす。びゅう、と不意に駆けめぐった春疾風は、もしかすると、おれが呼んでしまったものだろうか。ざわめく花見客、舞い上げられた無数の桜とともに、弾かれたように空を見上げる彼の横顔の、なによりのうつくしさは、友にからかわれぬようおれの胸だけに刻みつけておくことにした。

響け春雷

2024.03.29

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