揺籃から墓場まで | ナノ


※ローコラ版マンスリーお題様より3月度のお題「煙草」をお借りして一本
※転生現パロ(26歳×39歳)



「……おれが最初からあんたと一緒にいれば、こんなもの、ひとつも吸わせなかったのに」
 机の上には、ごみ箱から回収された空の煙草の箱が二箱。彼が家を空けた二日間、さびしい気のおもむくままに消費してしまい、ベランダの吸い殻だらけの灰皿を隠蔽するのも忘れ、彼の帰宅を舞い上がって出迎えた末路がこれである。最初こそ引きつった顔で空箱を見つめていた彼は、やり場のない怒りを少しずつ切り崩すように、最近は本数を減らせていただろう、から始まる説教とも言えぬ諌言でもって、この胸をちくちくと刺している。そのうちに気でも昂ったのか、嘆息とともにぼそりとこぼしたのが冒頭の台詞で、おれは思わずわらいだしそうになるのをどうにかこらえた。
(傲慢だよなあ、おまえも、おれも)
 おれとおなじようにこの現世に生まれ変わり、その口で語ってみせてくれたかつての彼の人生に、ああ、己がその道を狂わせてしまったのだろうかと、少なからず脳裏によぎらせてしまったことを思い出す。彼は自分の意志で歩みを進め、おれはただ、その背を押しただけにすぎないというのに──むしろ、こちらから取りつけたやくそくを反故にしたせいで、またそのこころをくらがりに突き落としてしまったかもしれないというのに──思い上がりもはなはだしい。
 おれの煙草だってそうだ。潜入に伴う精神的負荷を紛らわせるにはうってつけで、結局死の間際まで手放せなかったそれを、今世ではもうさほど必要もないというのに手に取ってしまったのは、おれの意志──のはずだ。たとえ彼が、万が一にも同世代か歳上で、煙草に伸びるこの手を止められたとしても──ああ、ずいぶんとこころ揺さぶられるだろうが、必ずしも、吸わなかったとは──
「……いやあ、おたがいさまだよなァ……」
「なにがだ」
 おれは、なんにもしてないだろ。腰かけたソファの隣、怪訝に眉をひそめた彼が、なんの頓着もなくそううそぶくのを聞いてあきれる。おれが思っていたよりも、彼がこの身に、このこころにご執心であると、気づいたころには手遅れであった。実際問題、おれが彼をくるわせてしまった気がしていたのは間違いではなかったのだと、未成年の時点で熱い告白をぶつけてきた彼に、頭を抱えたのもいまやなつかしい記憶である。
 互いのこころにとかされ、傲慢は現実になる。そろりと箱から飛び出た一本に伸ばしかけた指は、すかさず彼の手に捕まえられ、じとりとしたやわい金の睨めつけとともに、代わりとばかりにくちづけをくれる。くちびるを食まれ、舌を吸われ、まるで紫煙の名残を拭い去っていくように、この首筋をも引いては念入りに粘膜を重ねる彼は、どうせことば以上のなにかを腹に抱えているのだろう。ぐいと押される肩に、あらがう理由もなく倒れてやれば、かばうように頭を支えてくれるやさしさがいじらしい。
 絶えぬ接吻に、簡単に息が上がるのも煙草のせいだろうか。ちゅ、ちゅ、と、かわいらしい音を立てては、またかわいくない舌の絡めとりかたを繰り返す器用な彼の頭を、抱きこめて押し撫でる。そこに込めた詫びを感じ取ったのか、そのまま頬ずりをするようにこの首許へと顔をうずめた彼は、ぽつり、と、せつなげに低い声をかすらせるのだ。
「……たのむよ、コラさん」
 すぐにやめなくてもいいから、せめて、減らしてくれ。艶めいたはなしをするかと思えば、変わらぬ話題に、ばつがわるくなる。気管に入りかけた唾を咳で弾いて飲み込み直し、わるかった、と、さびしくてつい、と、そう出来心を白状しようとしたおれは、同時に継がれる彼のことばに、なにも言い出せなくなってしまった。
「おれが……おいつけなくなっちまうだろ」
 それが、彼とおれの間に横たわる歳月という隔たりを指していることなど、とうのむかしからわかっていた。それでなくともいちど、望まぬかたちでおれをうしなったことに、そのずたずたであった胸をことさらひどく傷つけてしまっているのだ。そっと心臓の上に乗る、彼の日焼けした手が、どこかこころもとなさそうに見えて、やわく包みこんでやる。
 なあ、ロー。病もなく伸びやかに成長した、たくましいその背に、手のひらを置く。
「どうしたらおれは、おまえの不安を拭ってやれる?」
「……ずっと、一緒にいてほしい」
「いるだろ、いまこうして」
「そうじゃあない」
 そうだけど、そうじゃあない。だだをこねるように、すこし苛立たしそうに、唸る彼が額を擦りつける。虎か豹か、どのみち猫科のそれにも似たしぐさに、思考が逸れそうになるのはおれのよくないところだ。彼はどこまでもまっすぐに、おれを追いかけてくれているというのに。
「どうしたってコラさんは、先に、いなくなる」
 口にもしたくないと言わんばかりに、声が搾られる。見慣れはじめた天井が、こまったように、彼とおれを見下ろしている。過去か、現在か、おまえたちはいったい、どこにいるのだと問うように。
「……あのなあ、そんなのわかんねえだろ」
 七十、八十で亡くなるやつもいれば、九十、百まで、なんならもっともっと、生きるやつもいる。おまえがそうか、おれがそうかはわからねえ。そんなの、おまえがいちばんよくわかってるはずじゃあねえか。
「人間、なにが起こるかわからねえ。それこそ、寿命までに、なにかあるかもしれねえし──」
「やめろよ」
「……そうだな、いやなはなしになっちまった」
 ぴしゃりと遮る怒気のにじむ声音に、よほどおれに死を近づけたくないと見えて苦笑する。でも、結局そんなもんだろ。ぴょんぴょんと毛先の跳ねている短い黒髪を撫でて、ぎゅう、と、立派な長身を抱きしめる、これも、彼にとっては、こどもだましのように思えてしまうのだろうか。
「おれたちにできることといえば、こうやっていま、しあわせを噛みしめることだ」
 なあ、ロー。おまえも、そう、思ってはくれねえか。彼の肩口に頬を寄せ、告げた祈りは、所詮きれいごとでしかないのだろう。それでも彼はぐっと、息を呑んだようであった。息を呑んで、そうして、深く吐いた彼は、身を起こしては、この顔をひたむきに見つめるのだ。
「おれだって、あんたを……あんたのいるいまを、あいしてる」
 だが、それとおなじくらい、おれは。うすいくちびるがわなないている。燦然とかがやく対の蒲公英色が、すがるように、おれをくぎづけにする。
 なにがあっても、あんたと。
「あんたと、死にてえんだ」
 その精悍なかんばせは、ずっとずっと懸命であった。斜に構えがちな普段の態度なぞかなぐり捨て、差し出してきたそれはさながら、遠い遠い星への願いのようであった。
(……なんてプロポーズだよ)
 それが、かつてのおさないおまえの病を、なにがあっても治そうとしていたやつに言う台詞か。いちどきに湧き上がる文句と、あきれと、もうひとつ、まんざらでもないとほざく己が、へらりとこの顔をばかのようにゆるめる。彼の双眸が、惑うように揺れた。
「じゃあ、一緒に死んじまおうか」
 いますぐは、いやだけどよ。すっかりまるみの消えた頬を包む。指先に触れる濃い生え下がりをなぞり上げても、彼は微動だにしなかった。その代わりとばかりにいざようひとみが、口唇が、やっとのことで、だめだ、と口走る。
「それは……だめだ」
 いのちは、使い切るものだ。きっぱりと、矜持を曲げず、そう首を振ってくれる彼に、それでこそ医者だとめちゃくちゃに頭を撫でてやりたくなるのをこらえる。ああ、正直、おれはおれのいのちなんぞ、どうだっていいのだ。もういちどこの世で彼と、恩師と、家族と出会い、あのころと似て非なるつづきのように、なにげないしあわせを、ぬくもりを得ることができた、それだけで、おれはもう、腹八分目どころか、満腹で動けないくらいであるのだ。
 それだから、この身を想いつづけてくれた彼が、おれがいなくなったことで、ずいぶんとさびしい思いをさせてしまった彼が、満たされるというのなら、おれはなんだってしてやりたくなる。
(でも、それを良しとしないのも、ローなんだよなァ)
 もう幾百人もの生を救ってきたであろう彼の頬を、きっと、あまりにしつこく撫ですぎたのだろう。もしくは、この顔が、知らぬ間にだらしなく崩れ去っていたのか。ぐっとそのしわの寄りやすい眉間を狭めた彼は、だ、か、ら、と、その爪の整った指で、この鼻先を軽く突いた。
「コラさんが長生きするしかねえんだよ」
 わかったら、さっさと煙草をやめろ。極論に走ったせいか、先ほどよりも譲歩の消えた強い語気に、はあい、と間の抜けた返事をする。それでもなお、苦虫を噛みつぶした顔をするのは、この忍耐力をまったく信用をしていない証拠だろう。そもそも、おまえが望んでやまないことのほうがよっぽど、無茶苦茶な、とんでもないわがままであるというのに。
「……この、あまえんぼうめ」
「それはあんただろ」
 鬼の居ぬ間に、こんなに吸っちまうんだから。きゅ、と、この頬をつまみながらも、どこか憮然とした表情をしているのは、ちゃんと己の底知れなさを自覚しているからなのだろう。わかってるって。軽くつねられるくすぐったさに破顔して、いとおしい果実の片割れを抱きしめる。
 せいぜい、がんばるからよ。染み込むぬくもりに、その耳許へとくちづけを贈る。そうしてくれ、と、よく通った鼻梁を擦り寄せてくれる彼に、もう二度とおれのいない世界を味わせまいと、おれは開けたばかりの机上の箱をすっかり捨て去ってしまうことに決めた。
 ──およそ三日後、襲いくる禁断症状にのたうち回っているところを、彼に必死になだめられる羽目になるのは、また別のはなしである。

揺籠から墓場まで

2024.03.21

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