きみにはかなわない | ナノ


※ローコラ版マンスリーお題様より2月度のお題「バレンタイン」をお借りして一本
※転生現パロ(26歳×39歳)
※アニオリ描写への言及あり



 コラさんは、チョコレートみたいなひとだ。今世で出逢えたばかりのおさなかりし彼が、不意に紡いだそんなことばを、この季節になると思い出す。あまったるくて、すこしにがくて、とろけてきえて、でもまた、なんとなくほしくなる。続いた台詞が、弱冠十三歳にしてはやけにまっすぐで、そのときのおれは笑いとばすことで照れを隠したのだったが、いま思えば、あれは明確な口説き文句であったのだろう。
「……おーい、ロー?」
 そんな、どうやら古来よりおれに夢中になってくれているらしい彼が、今日はなにやら様子がおかしい。生来我が強く、なんでも自分で解決しようとする、あまりわがままを言う質でもない彼が、おれに対してはときどききまりがわるそうに、ぼそぼそとあまえに来る。外ではあれほど泰然自若として、シニカルに口端を歪めさえするというのに、いざおれにおねだりをするとなると力が入ってしまう。そんないじらしさを見せられてしまえば、おれだってチョコレートのひとつやふたつ、いくらでもくれてやらずにはいられないのだ。
 それだのに、どうしたことか、帰宅するなりだいすきなはずのおれからチョコレートをもらった当のこのおとこは、手渡した時こそぱあ、と目を輝かせたものの、ありがとう、とそれを持って長椅子に腰掛けたきり、箱を開けることもなくぼうっと虚空を眺めはじめたのだ。声をかけてもうわの空で生返事をする彼に、過ぎたうぬぼれに冷や水を浴びせられたような心地がする。しかしそれも一瞬のことで、あまりに浮かぬ顔つきに、なにかがあったのではと、心配がその上を塗りつぶしていく。
「ロー……おい、ロー!」
 隣に腰を下ろし、箱を手の中でいじる彼の名を、繰り返し呼んで肩を掴めば、はっとしたように彼がようやっとこちらを振り返る。
「あ、ああ、わるい、コラさん……」
「なんか、あったろ」
 くすんだ金のひとみをおおきくぶれさせて、口走るように詫びる彼に、間髪入れず問う。息を呑み、それでもくちびるを迷わせる彼をじっと見つめてやれば、しばらく逡巡していた彼は、観念したようにため息をついて箱を机に置いた。
 いや、その。めずらしく歯切れのわるいくちぶりにも、水を差すまいと口を閉ざしておく。
「……ラミが……野郎のために、チョコを、作ってたらしい」
「うん……うん?」
「よくよく聞きゃあ、最近、つ……つきあいだしてたらしい」
「……おう」
「母さまは、感じのいい子だと言ってたが」
 ほんとうだと、思うか。ひっきりなしに指を組み直し、つっかえつっかえ、彼なりにことばを選びながら、その胸の憂いごとがこぼされていく。あのかわいらしい彼の妹御は、さあて、いったいいくつだったろう、と考えるより前に、さっと脳裏を自分の兄の顔が横切った。
 彼の長年にわたる情熱にほだされ、深い仲となったことを、念の為と伝えた、あのときの空気の凍りかた。そうか、とだけぎこちなく答える兄に、いっそ前世のように虚栄の笑みを貼りつけてくれたほうが気が楽だと、ろくでもないことを考えてしまったことまでもを思い出して、先に生まれた者というものはこうも難儀な生きものであるのかと、わらいだしそうになる。
 そんな、ドフィみてえな。まかりまちがっても彼にだけは言ってはいけない台詞をすんでのところで飲みこんで、そ、りゃあ、と無理矢理に舵を切る。
「ローのお母上がそう言ってんなら、そうだろ」
「どうかな。母さま、ひとがいいから……」
 父さまも、ラミも、だまされてるんじゃあねえか。ぐぐ、と、皺の寄りがちな眉間にまた力がこもっては、不穏な気配が丸めた背中から立ち昇る。普段の、俯瞰的にものを見るおまえはどこへ行ってしまったのだ、と思えども、以前に彼がなにかの折に語った、その胸底にこびりついた悔恨を知れば、もう無遠慮に一笑に付すことなど、できやしないのだ。
(『──ラミは、おれがころしたようなものだから』)
 おれが、閉じこめて、叶えられもしないやくそくをしたせいで、あの子に、こわくて、くるしい思いをさせちまった。おれに対する執心とはまた違う、それでも端から見れば異様な、彼の妹御への過保護さ。数年前、目に余るそれを軽く揶揄したおれに、すこしの間を空けて返ってきたのは、そんな重苦しい過去の記憶であった。いまでもまざまざと覚えている、彼の、その口端に浮かべた自嘲と、昏い双眸によみがえる、怒りの混じる底知れぬかなしみは、ああ、かつての年端もゆかぬ、やわらかかったはずの彼のこころが、どんなふうに千々に引き裂かれたのかを如実に物語っていた。もともと水を向けるつもりではあったとはいえ、ひどく軽薄にその古傷をこじ開けてしまったことに、おれは首を振ってはひしと彼を抱きしめて、いたましさに潰れてしまいそうな胸のまま、なさけない涙声で詫びたのだったか。
 今度こそ、と、彼はずっと、気負っているのだろう。妹のことも、両親のことも、そして、きっと、おれのことも。
「……じゃあ、おれも、だましてることになるなあ」
 片膝を抱き、そこに頬を預けてそう言ってやれば、怪訝な顔をこちらへ向けた彼が、理解が追いついたのか、そんなこと、と鼻白む。怒涛のごとき反論が飛び出してきそうな気色を、どうどうと手のひらを前に出してなだめたおれは、それだよ、と憤懣遣る方ないといった様子の鼻先を指で軽く弾いた。
「いまの気持ちに、ラミちゃんもなるんだぞ」
 腹が立っただろ。そんなはずがないって、言い返したくなっただろ。ラミちゃんだって、そう思うだろうさ。そんなことないって、しんじてほしいって、どうしてしんじてくれないのって。
「そんなこと、あの子に言わせたいのか」
 口をつぐんだままの彼が、その黒いまつげを伏せて、すこしずつ、平静を取り戻していく。彼だって、理解はしているはずであるのだ。すべてを掌握し、管理することで得る安寧は、ただの独善にもなりえることも。すべては理解できずとも、寄り添い、信頼し、羽ばたかせる勇気が、尊重であり、愛情であることも。
(……ほんとうに、ドフィに似てるよ、おまえは)
 こころのもろい、いまにも崩れてしまいそうなよわい部分が、兄とそっくりなかたちをしていることに、かすかに口許がゆがむ。かつて父を殺した兄を、うらむばかりで救いたいなどとは思ったこともなかったが、この平穏の現世にいる今、どうすれば兄を、そのがんじがらめになっていたこころをほどいてやれたのか、時折、考えてしまう自分がいる。
 おれには、恩師がいた。厳格な、それでいてあたたかな情を持つ、正義の恩師から受け取った「道理」というものが、おれにはあった。ゆがんだ兄にこそ、必要であったろうそれは、ついぞだれからも渡されることなく、おれもまた、兄にそれを差し出そうとするには、あまりにも再会が遅すぎた。
 拾われたのが、兄であったなら。そう思うたび、あの引き金を、父の腕の中にまもられたまま泣き叫ぶだけで、駆け出しも、飛びつきもできず止められなかった己の、おさない無力さが、浮き彫りになる。
(……たらればの話を繰り返しても、しかたねえ)
 黙したまま、生真面目にこちらのことばを咀嚼しているらしい彼の横顔に、堂々巡りの思考を捨てる。病に、世の中に自暴自棄になっていたいつかの彼を救いたかったのは、まだ間に合うと、無意識にそう考えていたからでもあるのかもしれない。かつての兄のような怪物にさせまいと、その孤独を、彼には味あわせまいとしていたのかもしれない。
「……そうだな。一旦、落ち着いて考える」
「ああ、そのほうがいい」
 そもそも、一回も会ってねえんだから、そんなに心配なら、ちゃんと紹介してもらえ。ふう、と息をついて背を長椅子に預ける彼に、つられて破顔すれば、こくり、とうなずく素直さが好ましい。思わずその烏羽色の頭を撫でてやる。砂金の対のひとみが、ようやくおれをしっかと捉えた。
 むずりと、そのうすいくちびるが、なにかを思いついたようにほころぶ。
「やっぱり、コラさんは、チョコレートだな」
「……まあた言ってらあ」
 おまえ、むかしも、わざと言ってたろ。不意に落とされたなつかしい台詞に、気恥ずかしさが勝ってその頬をやわくつねってやる。くつくつといたずらにわらうのは、図星の証であるのだろう。あんな荒療治で、胸を覆う暗雲が多少晴れたというならなによりだが、こちらはこちらで、誠に遺憾なことがあるのだ。
「そんなこと言ってる暇があったら、さっさとおれのチョコも食えってんだ」
 おまえがねだるもんだから、せっかく用意してやったのに、雑に扱いやがってよ。年甲斐もなく口を曲げ、いっそ頬も膨らませて不満を表してやれば、ぎょっとしては、決まりがわるそうに箱に手を伸ばす彼がいとおしい。ごめん、と謝る彼に、ああ、ろくに怒りも続かず首を振ってしまうのが、おれのいけないところなのだろう。開けた蓋の下から現れるハートの形をした甘味たちに、じんわりとうれしそうに目を細める、その顔を見ただけで、なんでも許せてしまう気になる、この愛にとけたこころも、また。
「だいすきだ、コラさん」
「……おれもあいしてるよ、ロー」
 やさしいくちづけが、まっすぐな言の葉が、とろけては染みこんでいく。いったいだれがまさにチョコレートのようであるのか、こたえあわせなど、とうのむかしに終わっていた。

きみにはかなわない

2024.02.18

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