餞別 | ナノ


※原作軸・ドレスローザ編ラストの大宴会にて



 あのひとのふところのぬくもりを、思い出す。
「くたばんなかったのね。裏切り者」
「……どの口が」
 煙のにおいが隣に腰を下ろした。鼓膜が悲鳴を上げるほどにやかましい大宴会の中、メイド服を着た昔なじみの女がふ、と白煙を吐く。戦火の中で見初めたらしいどこぞのおとこに、あれほどまとわりついていたのがうそのように、彼女は片手に持った酒を静かに傾けた。
「なんの用だ」
「なによ」
 なにかなきゃ、だめなわけ。秀麗な眉をきつくひそめ、口を曲げる彼女を、湧いた苛立ちのまま睨みつける。こちらはやっと、やっとの思いで、恩人の本懐を遂げたのだ。糸の支配の中、ぬくぬくとすべての意志を投げうって駒になり果てていただけのおまえと、話すことなど、なにがあるというのか。
 じわ、と、その大きな両目に涙が溜まる。いまにどこかへ逃げ出すと、そう思いきや、彼女は、ぐっとこらえるように唇を引き結んでは、今や海の向こう、すべてから解き放たれた王国を振り返るのだ。
「……わたし……『便利』なだけだった」
「いまさらか」
「……そうよね」
 あんたも、わたしに金、せびったもんね。思わず返せば、乾いた笑みで大昔の悪行を掘り起こされるのに、喉が詰まる思いがして舌打ちをする。すこしばかり溜飲を下げたようにわらう彼女の黒髪を、潮風がそよがせた。
「わたし、あんたのこと、かわいそうなやつだとは思っていたのよ」
 コラさんのことも、乱暴だったけど、きらいじゃあなかった。久方ぶりに自分以外の他人の口から出た、恩人の愛称の響きに、酒をあおろうとしていた手が止まる。直前の、自身に対する粗削りな認識といい、この女はいったい、なにを言わんとしているのか。
 いまだったら、わかる気がするの。言を継ぐ彼女のまなざしが、宴の隙間を縫って、ただひとりを見つけだす。
「わたしにとってのあのひとが……あんたにとってのコラさんだったのね」
 わたしは、コラさんを、よく知らない。裏切り者だったって、若──ドフラミンゴを破滅させようとした、海軍の間者だったってことしか、知らない。でもあんたは、あの半年で、ほんとうのコラさんを見たんでしょう。
 コラさんに、「見つけてもらった」んでしょう。
(『かわいそうによォ……!』)
 暗澹としたおさない胸へ、あつくかがやく星屑のように降りそそいだあのひとの情が、行き場のなかった己の足許を、存在をゆるし照らし出した、あの瞬間の感触が、まざまざとよみがえる。ああ、どうして、あのひとを追い詰めた側の存在であったおまえが、それを口にするのだ。まだ年端もいかぬ子どもであったとはいえ、なぜ、それを、うしなった当人であるおれに、言えてしまうのだ。この女はむかしからそうだ。こちらの神経を逆撫ですることを、平気でする。
 吐く煙が流れくるのがうっとうしい。あのひとのにおいに近く、遠いそれに、あのひとの遺した記憶さえかき消されてしまいそうで、息を止める。
 彼女が、不意に立ち上がった。ロー。呼ばれる名に、見上げた目は、ああ、どれほど醜悪であったのか。
「わたし、しあわせになるわよ」
 くやしかったら、生きて、見返してみなさい。まっすぐに、得意げに、そう啖呵を切る彼女に、一瞬、思考が途切れる。
「つまんない抜け殻になんか、なんないでよ」
 あんたはふてぶてしく、しぶとく生きてるのがお似合いなんだから。高飛車に言い放つその両眼が、やたらと揺らいでいる。それが彼女なりの激励であるのだと、悟るなり、これまでの憤懣がばかばかしく、いきおい脱力へと変わっていくのだ。
「……勝手にしろよ」
 おれも、勝手にする。そう、鼻で笑ってやったというのに、いつかであればむきになって頬でも膨らませていたであろう彼女は、満足そうに、ならいいわ、などと肩をすくめるのだ。
「おい、──」
 そのまま立ち去ろうとする背中に、かつて教えてもらった真名を投げかける。
「……そいつの手、離すなよ」
 ひらり、華奢な手が、力強く上げられる。互いに差し出したはなむけをひったくり、おれたちはそれ以上、なにを言うこともなく、知れぬ明日へと舵を切った。

餞別

2024.03.13

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -