残痕 | ナノ


※転生現パロ
※R15



 調べものをしようとしたらよく出てくる、まったく関係のないえっちな広告でよお。なんか、全身噛み痕だらけ、みたいなやつ、あるだろ。
 素肌を隠すリネンに頬杖をつき、すこしまだ滲んだ上目をこちらによこす彼の、おもむろに話し出す内容がよりによってそれかと、含んでいた水を噴き出さなかったことを褒めてもらいたい。無理矢理に飲み下して咳払いをする、その間にも、唐突にろくでもない話を始めた当の彼は、素朴な疑問とでも言うように言葉を継ぐのだ。
「おまえは、そういうこと、やりてえほうかと思ってたけど」
 違うのか。すこしばかりかすれた、ねむたげな声音が、この胸の苛烈な劣情をさらりと見透かしてくる。単にマーキングの話をしたいのならば、なにもそんな例を出さずとも良いだろうに、あえてそうしたのは、おれの彼に対する気の触れかたが、彼としても目に余るものであるから、なのかもしれない。おれだってある程度の良識は持ち合わせているのだ、そこまで露骨に表に出しているつもりはなかったのだが、こころを寄せる本人に指摘されることほど、こたえることはない。
 だまりこくるおれに、彼が太い首を傾げる。白金の重たげな前髪が、片目を隠した。
「……そもそも、ヒトによる咬傷は、感染症の危険が高い」
「ああ、なるほど」
 そりゃあこわいなあ。そっと髪をどけたそこに現れる紅が、ひとつめの建前を笑んで受け流す。なんてったっておまえは、医者だからなあ。相槌のような、催促のようなそんな年上の台詞に、きっとこの顔はじわじわと苦くなってしまっているにちがいない。情報を引き出す間者の手腕というものはこうもしたたかなものか、と、失声症を装っていた彼にはおそらくあまり関係のないだろう賛辞を内心で送ったおれは、とうとう観念しては嘆息をついた。
「……たしかに、コラさんが思ってるとおりだよ」
 どうかしてるくらいだ。むしろ、そのくらいのことなんて、序の口だって思ってくれていい。いったいおれはなにを言わされているのかと、我に返りそうになるのをこらえて、彼の眼をまっすぐに射抜く。あまりにも長い年月、片時もわすれずにいたもう戻らぬ恩人が、こうして、目の前に、触れられるかたちを伴って、あのころのぬくもりをそのままに、そばにいてくれる。
(二度とはなしたくないと、はなれたくないと、思うのは、当然のことだろう)
 そしてそれが、すこしばかり歪んで、独占欲というくだらない膿をこの胸へと大量に生み出していることも、よくよく自覚している。彼がいったいどんな下劣なものを見てしまったのかは知らないが、それ以上のことが一瞬でも脳裏にちらついたことがないかと言われれば、嘘になる。
 あかいひとみが、揺らいでいる。
「……しかし、だ」
 万が一にでも、実際にこの感情を表現するのなら、おれは、もっとちがう方法を選びたい。やや汗ばんだ襟首に、頬に触れれば、そちらへとまなざしを流す彼が、たとえば、と、くちびるを揺らめかせる。さあ、と肩をすくめてやると、そこではじめて、彼は意表を突かれたのか、薄い眉を浮かせるのだ。うつぶせであった半身が、ごろ、とこちらへと向く。
「すくなくとも、噛むなんて真似は、したくねえ」
 たかが知れた、おれの身勝手な欲のために、コラさんに痛い思いをさせるわけにはいかないし、ぜったいにさせたくない。あらわになった胸元を、いまはもうない銃痕をなぞるように、とん、とん、と、指先でいくつか突いては、そこを押し撫でる。す、と、彼が細く息を吸う、肺のふくらみが、手のひらに伝わる。
 コラさん。呼べば、きしむようにおれを見上げるそのかんばせが、いつだっていとおしい。
「おれが自由なら、あんたも、自由なはずだろ」
 ちがうか。おれを解きはなったあのことばを、彼もきっと、ちゃんと覚えてくれていたのだろう。しばし息が詰まったように口をつぐんでいた彼は、不意に、天を仰いではその大きな片手で顔を覆ったかと思うと、深々と腹の底から息を吐きだすのだ。
「……ロー、おまえってやつはよお……」
 こんなに、かっこよくなっちまって。ぼそぼそと、いかにもきまりがわるそうに呟きだす彼に、思わずわらえば指の隙間からあまい睥睨が飛んでくる。あまりのおかしさにその手をぐいと剥がしてやれば、さして抵抗もせず大の字になった彼は、おとなげもなく口を尖らせているのだから、おれは喉を鳴らしてはくちづけずにはいられない。
「最高にあいされてるなあ、おれってば」
「わかればいい」
「ハハ、そっか」
 でもな、ロー。抱きしめ、頬を寄せて、彼のにおいを吸いこむこの耳に、彼がくちびるを寄せる。
「……たまには、ひとりじめしてくれても、いいんだぜ」
 こんなふうに。ないしょばなしのように、吹きこまれるささめきの、直後、じゅ、ときつく吸われる襟元。走る軽い痛みとともに、はっと彼の顔を見れば、細められるその目許に滲むあだめかしさが、ああ、そこにうずもれた意図を、ずっと汲みまちがえていたことを、いやというほど思い知らせてくるのだ。
(……最初から、そう言えばいいだろ!)
 喉元まで出かかった文句を、危うく飲み込んで隠滅する。そんなことを言ってしまえば、やさしい彼にまたしてもなだめられて、おだてられて丸めこまれてしまうのが落ちだろう。とっさにぐっと口を曲げた、それに彼が目をしばたいている間に、おれはいじらしい彼に今度こそしるしを贈るべく、その皮膚をあまく食んだ。

残痕

2024.02.06

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