処方箋にはきみと書く | ナノ


※ローコラ版マンスリーお題様より1月度のお題「風邪っぴき」をお借りして一本
※転生現パロ



「――シンデレラは、だ」
 魔法がとける前に城から逃げようとして、硝子の靴を落っことしていくわけだが、あれが偶然であったのか、故意であったのか、という議論はよく交わされているだろう。無論、素直に受け止めるなら、魔法がとけてしまうという焦りから、脱げてしまった靴を履き直せもしなかったのだと考えられるわけだが、物語の帰結を考えるに、あれは王子に自分を探してもらうための策であったんじゃあないかと勘ぐることもできなくはない。
「だが、コラさんはそうじゃあない」
「……どうしたの、だいじょうぶ……?」
「話が急すぎてついていけねえ」
「ローさァん?」
 コラさんは、あのひとはドジっ子なんだ。あのひとなら、なんの疑いもなくドジを踏んで、硝子の靴なんかほっぽって帰っちまうってわかる。いっそ硝子も踏みつけて、怪我でもこさえてしまうかもしれねえ。そしたら、そこに血の痕が残るだろ。血液なんか、それこそ硝子の靴が足に合うかどうかよりもよっぽど確実に、本人を特定できる情報がたんまり入っているわけだ。
「つまり、コラさんはどうあっても見つかるし、しあわせになる」
 ああでも、足の怪我だけは、ちゃんと治してあげねえと。そんな傷だらけの素足で走っちまったら、そこから雑菌が入って、コラさんが破傷風にでもなったら、おれは。
「ローさん、しっかり! ひとの心配してる場合じゃあないですよ!」
「なんでこのひと、こんなに顔に出ねえんだ!」
「大変だあ、はやくロシナンテに連絡しないと」
 ああ、もしもし、よかった、出てくれた。そうなんだよ、来たときからなんかおかしいとは思ってたんだけど、すごい熱で。うん、まだなんにも呑んでないし、たぶん、この感じ。
「風邪じゃあないかなあ」
(……風邪?)
 ――いつからか見上げていた、居酒屋の座敷の天井が、ぐるぐると回っている。覗きこむ友たちの狼狽した顔に、どこかへと電話をしている、白い毛長のもふもふした手が、視界に入りこむ。耳に滑りこんだ単語と、ひどく浮かされた己の状態が、流感、とねじの飛んだ頭でどうにか結びついた瞬間、おれは飛び起きては荷物と上着を引っ掴んでいた。
「ローさん!」
「わるかった」
 医者として、あるまじき失態だ。おまえら、うつりたくなかったら、すぐに手洗いとうがいをしておいてくれ。靴を履き、詫びの代わりにいくらかの飲み代を置いては、なにやら背後から止めようとする三人を強く制して、店を出る。びゅうと吹く夜の寒風にぞ、と全身が一気に総毛立つのと同時、節々が痛む身体の重さにようやく自覚が追いついた。痛みだす頭、もつれそうな足を引きずりながら、帰路をたどる。
(……あの、『となり町』までの道のりにくらべたら、こんなもの)
 慣れている。白とはほど遠い土瀝青を踏みながら、すぐれぬ体調でいつもの集まりに向かってしまったことに、かつての死の外科医もずいぶんあまったれたものだと自嘲する。ただの睡眠不足であるはずであったのに、きっとそのせいで免疫がやられてしまっていたのだろう。あのいまいましい公害病ならいざ知らず、ほんとうに感染するようなものを友人のもとへと持ちこんでどうする、と苦虫を噛みつぶしたような思いで襟巻を口まで引き上げる。
 ひっきりなしに飛び出すくしゃみが、痛む頭に響く。眼球が熱く、瞼が重い。こまかくふるえ、ぶつかる奥歯を、きつく噛みしめては一歩ずつ、地を踏みしめて歩いていると、車道からの聞き覚えのある軽いクラクションが、おれの視線を持ち上げた。
「ロー!」
 縁石すれすれのところまで車を寄せ、泡を食って運転席から飛び出してくる、すらりと高い、いとしい黄金色のひとの姿に、どっと力が抜けてしまったのはなぜであったのだろう。よろめくこの肩をしっかと抱きとめてくれる彼は、ああ、おまえ、どうしてこんなところまで、とやかましく嘆きながらも、この身を助手席まで導いてくれるのだ。
「……コラさん……」
「うん? なんだ、ロー」
「……あんまり……近づくな」
 うつっちまう。ほとんどうわごとのようなことばにも、ばか言うな、と一蹴してシートベルトをつけてくれる彼の手は止まらない。ばたばたと運転席に巨躯を詰め込み、パーキングブレーキを解除する彼の焦ったような横顔に、おれはシフトノブを掴んだその手へ鉛のような手を重ねた。
「言っておくが……病院は行かなくていい」
「なにを言ってる。こんな熱、放っておけるわけがねえだろ」
「……検査を受けるにしても、早すぎる。いま必要な薬は、家にある」
 行くにしても、明日でいい。倦怠感に負け、ずいぶんと端折った説明をしたものの、泳いでいたそのあかいひとみは、どうやらおれを信用してくれたらしい。
「……おまえが言うなら、そうなんだろう」
 でも、おかしいと思ったら、すぐに連れていくからな。手をひっくり返し、重ねていた手を握ってくれるその、ひんやりとした感触に、心地よさのまま首を縦に振る。よし、と満足そうにうなずく彼は、気を取り直したようにこの手を離しては、若干窮屈そうに折り曲げた長い足で、アクセルを踏んだようだった。
(……そういや、ペーパードライバーなのに、よくここまで来たな)
 どういうからくりで取得したのか、運転免許こそ持ってはいるものの、日頃の行いのせいで――ひとの理解を超える数々のドジがけして故意ではないというのだから、なおのこと――おれを含め、彼に運転などという空恐ろしい行為を強いる者はだれひとりとしていなかった。ハンドルを握るその甲が白くなるほど力をこめ、不自然なほどの前傾姿勢で道の先を睨めつける彼を、ぼんやりとながめているうちに、その姿が、上着も羽織っていない、着の身着のままであることまで気がついてしまって、おれは、己の浅はかさがどれほどそのあたたかな胸をかきみだしてしまったのかを、悟らずにはいられないのだ。
 告げかけた詫びを、彼の集中を遮らぬように飲みこむ。ロー、と、そのくちびるが、ちいさく動いたのは、信号が赤になった、そのときのことであった。
 ロー。ほのかな紅の光を浴びた、芯の強い横顔が、だいじそうに、この名を呼ぶ。
「うつろうが、うつらまいが、おれは、おまえのそばにいるよ」
 だいじょうぶ。こちらを向かぬまま、伸びてきた片手が、手探りでこの頭を見つけては、やさしい重みとともに撫でてくれる。ああ、彼もまた、おれと同じ記憶の海を泳いでいたのだと、今度こそ、ちゃんと会うことができたのだと、そんな実感が押し寄せて、それは彼のゆるがぬ愛情とともに、この胸の奥底の一生傷へと、いちどきに流れ込んでいくのだ。彼はなにも変わらなかった。まったくの他人の子であったこの身に降りかかった、忌避、隔離、粛清、偏見、そんなあんまりな不条理に、なんの裏もなく、策もなく、ただただこころを寄せて、そのこころまでもをおれにくれた、あのころのままの彼であった。
(『あいしてるぜ』)
 おれもだよ。目尻が濡れたのは、高熱のせいか、それとも、いつかの無念がひとつ、とけていったような気がしたからか。耳の奥でひびくあのさいごのことばに、どうしたとて伝えたかった返事を、いまさらになって、乾ききった口で紡ぐ。
 それからおぼえていたのは、しばらく後の、後続車から鳴らされたのであろうクラクションの音だけであった。
(……聞いたあんたの顔が、いちばん見たかったのに)
 やはり、帰ってからにすればよかった。いつのまにか眠りこんでしまっていたらしい、目を覚ませば、明るく陽の差し込む自室の天井が見える。あいもかわらず関節と頭は痛み、おまけに喉のただれという症状も増えているあたり、流感という昨日の見立ては間違っていないだろう。高々と積み上げられた毛布の下、着替えさせられていた寝間着をたどれば、やはり生まれていた釦の掛け違えを熱い指で直していく。そんなことをしているうち、ふと耳慣れた足音が部屋に近づいてくることに気づいたおれは、思わず時計へ目を遣っていた。
「お、起きたか。おはよう」
「……おはよう。仕事は」
「そばにいるって言っただろ」
 なあんて、もともと休日だけどな。おまえ、日にち感覚もわかんなくなってるじゃあねえか。まさしく医者の不摂生だぞ。快晴の朝にふさわしい陽気さでまくしたて、この頬を長い指でつんつんとかまってくる彼に、ぐうの音も出ない。それでも、それを言うなら不養生だ、とがらがらの声で返すと、彼はおかしそうにくしゃりとわらった。
「言い返す元気があるならよし、だ」
 おかゆ、作ったけど、食えるか。焦げてないとこはうまいと思うぜ。にこにこと、なにやらやけにうれしそうに問うてくる彼に、焦げたというのにそれほどうまいのかと怪訝に思いつつうなずけば、よっしゃ、と足取りも軽く出て行こうとする。気だるさはあるものの、悪寒もおさまりつつある身をゆっくりと起こしていると、彼が不意に、振り返っては下瞼を反らしたのが見えた。
 いやな予感がする。
「――おれが、シンデレラだっていうはなし」
 あとで、ゆっくり聞かせてくれよ。にんまりと、いかにも愉快そうに、彼がそのでかい手で口許を押さえている。すでに茹で上がっている頭が、一瞬で昨夜の醜態を鮮明に晒していく。勤務のかたわらの医学論文の執筆に、気がつけば朝を迎える日々の繰り返し。どうにもぼうっとする頭を寝不足だと決めつけ、気晴らしと目覚ましも兼ねて友との集まりに向かうなり、詠唱してみせた、我ながら意味のわからない、あの呪文の数々。
「き……かせるわけねえだろ!」
 かっと昇った血とともに叫べば、くわばらくわばら、とわざとらしくこわがっては改めて台所へと向かう彼の、思ったよりも細身のあの背中が、こにくらしくて歯噛みする。一瞬でも、あの返事について問うてくれるのかと期待したおれがばかだった。急に興奮したせいか上がりきった心拍に、痛みのひどくなった喉で深呼吸をする。
(……まあ、いい)
 時間はたっぷりあるんだ。どこかで使い古されたような台詞を内心でこぼし、ぬるくなりきった額の冷却シートを剥がす。全快したら、否が応でもこのこころを彼に、真正面からぶつけてやろう。けして風邪っぴきにはさせないが、彼だって一晩くらいは、おれの愛の熱に浮かされる日があっても良いではないか。
「……そんなに……怒るなよ……」
 彼が持ってきた焦げくさい粥を、無言でむさぼるおれからただならぬ気配を感じたのか、おびえるその声にただ、怒ってねえ、とだけ返す。こまったように頬を掻く、その仕草すら余裕に見えて、おれはひとり、勝手な野望の気合いを入れ直した。
 粥は存外、美味であった。

処方箋にはきみと書く

2024.01.31

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